【SQX】1-2 東土ノ霊堂

「うおおおおおおっ!!」

 気合いと共に足を踏ん張り、手に持っていたそれを思い切り引く。相手も己が罠にかかったと気付いたらしい。水面がにわかにざわめき立ち、腕に伝わる抵抗が急激に大きくなる。エノクは歯を食いしばった。何という手強い敵だ。だが、この戦いには絶対に負けられない。

「エノクくん頑張れ! いけいけ! もう少し!!」

 数歩後ろに立つチエリの声援を受けながら、一度呼吸を整えて再び得物を強く握り直した。掌の内でぎしりと軋む音。時間はかけられない。速攻で……決める!

 と、釣竿を引こうとしたエノクの耳に、とすり。と小気味の良い音が届く。ばちゃばちゃと水面が激しく波打ち、程なくして赤い濁りと共に水面に浮かんできたのは巨大な魚で、その胴体には一本の矢が刺さっていた。エノクとチエリが背後を振り返る。構えていた弓を下ろしたモモコは二人の視線を受けて困惑の表情を浮かべた。

「え……こうして仕留めた方が早いと思ったんですが……駄目でした?」

「ああ……いや……」

「大丈夫です……」

 沈黙が下りる。エノクはいそいそと釣竿を引き、息絶えた池のヌシを陸へと引き揚げた。何はともあれ、これで二つ目のクエストは達成である。


   ◆


「やあ~君達! 立て続けに二つのクエストを達成するなんて、なかなかやるねえ!」

 酒場の店主のわざとらしいまでの明るい声にエノクは思わず頬を掻く。ヤギ探しと池のヌシ釣り程度でそこまで言われるものだろうか。

「マギニアでも噂になってるよ? 『スターゲイザー』はヤギ追いの勇者兼池のヌシ釣り名人だってね!」

「はあ……」

「何だい! 嬉しくないの? まあ何はともあれ、君達の名前が街の人達に広まってるって事さ。……うーん、これだったらアレも君達にお願いできるかな……?」

 問い返す暇もなく、クワシルは掲示板──マギニア中から集まったクエストが掲示してある大きなコルクボードである──から一枚の紙を外して持ってくる。

「実はね、受けてほしい依頼があるんだよ。それというのは人捜しなんだけどね……」

 聞けば、薬草を集めるクエストを受けた新米冒険者の少女が街へ戻ってこないらしい。依頼の品はマギニアから程近い場所で採集できる薬草であるためクエスト自体の難度はそこまで高くない。ここまで時間がかかるという事は彼女の身に何かあったのかもしれない。彼女を見付けて連れ帰ってほしい……という事であった。

「一人ではなかったし、大丈夫だと思ったんだけどねえ。人ひとりの命がかかってるかもしれないワケだし、冒険者同士の助け合いって事でお願いできないかな?」

「分かりました。引き受けます」

 二つ返事で承諾したエノクにモモコとチエリが顔を見合わせ、クワシルは助かるよお、と笑う。

「捜してほしいのは薬師の女の子で、名前はビルギッタちゃん。行き先は北の森だってさ。ちょっと危なっかしい子だから、見たらすぐに分かると思うよ。そんなわけでお願いね~! よろしく!」

 にこやかに捲し立ててエノクの胸に依頼書を押し付けると、クワシルは先程から彼を呼んでいた客の元へのんびりと向かっていく。荷物を担ぎ、依頼書を手に酒場を出たところでチエリが不思議そうに口を開いた。

「すんなり引き受けたねえ」

「え……? だって困ってたみたいだったし……駄目だった?」

「問題ないでしょう。何にせよクエストをこなさないと迷宮に入る許可は出ないようですし」

「へー、そうなんだ」

 チエリが納得したように頷く。鞄を開けて荷物の確認をしていたモモコは、薬品の数を確かめ終えるとエノクに目をやって微笑んだ。

「では早速行きましょう。もたついている間に捜し人が死んでしまっては元も子もないですからね」


 世界樹とそれを取り囲む四つの島から成るレムリアの中で、『はじまり島』と名付けられたこの島は最も小さく、そして最も穏やかな島である。広範囲に渡って見通しの良い平原が広がり、危険な魔物も少ない。これだけ平和な場所であるのだから、マギニアの停泊地として選ばれた事にも頷ける。

 だが一見安全に見えても油断してはいけない。司令部による調査によれば、先日マギニアに侵入してきた魔物は島の北部にある深い森からやって来たという話だ。森の更に奥地には、危険な魔物達の住処があるかもしれない。

「……いくら薬草摘みだけのクエストとはいえ、そんな場所に新米冒険者を行かせるのって……」

「まあ、ミスでしょうね」

 よくある事です。と言い切ったモモコにエノクはそうですか……と返す事しかできなかった。

 薬師の少女を捜して訪れた北の森は鬱蒼として暗く、静かな空気が辺りに満ちている。昼間だというのに木漏れ日のひとつも射さない様子は、侵入者が奥へと進む事をこの森自身が拒んでいるかのようにも思える。刀を抱き締めたチエリが不安げに辺りを見回し、オバケ出そう、と呟いた。

 十分は歩いただろうか。森の中程を通過し、進行方向から光が射し込んでくるのが確認できるようになったところで、突如前方から獣の咆哮が聞こえてきた。次いで、高い悲鳴のような声も。

「これは……」

「行きましょう!」

 先陣を切って駆け出し、草木を掻き分けて声の出所に辿り着いたエノクの目に、杖を構えた少女の姿が映る。彼女が対峙しているのはつい先日マギニアで見たあの蝿のような魔物達だ。ぷるぷると震えながら魔物を見据えていた少女は、エノクの姿に気付くと涙に濡れた目を見開いて上ずった声を上げた。

「ぁ、ぁえ!? あっ……あなた達は……」

「下がってて!」

 エノクが剣を抜くのと同時に、魔物のうちの一体が勢いよく飛びかかってくる。気合いと共に剣で叩き落とせば、視界の隅に迫っていたもう一体が胴に矢を受けて後退りするのが見えた。

「やあーっ!!」

 矢傷のために動きが鈍った魔物を、駆けてきたチエリが刀で刺し貫く。残った無傷の魔物は危険を感じ取ったのか逃げようとしたが、これも飛来してきた矢に阻まれた。地面をのたうち回っていた一体を一突きして止めを刺し、エノクは少女を振り返る。脚に軽い擦り傷や引っ掻き傷が見えるが、他に目立った怪我は無いようだ。

 手を差し出せば、少女はありがとうございます、と応えて立ち上がる。

「えっと……あなたがビルギッタ?」

「え……あ、は、はいっ! ビルギッタです!」

「クエストを受けてあなたを捜してたんです。無事で良かった」

 言葉を交わしている内に、モモコとチエリが魔物を殲滅し終えたらしい。一息吐く三人にビルギッタは慌てた様子で頭を下げる。

「み、皆さん、ありがとうございました……私はメディックのビルギッタといいます」

「私達は『スターゲイザー』。貴女がマギニアへ戻って来ないので捜しに来ました」

「はい……薬草を探しているうちに迷ってしまって……この任務は私には荷が重かったようです……」

 がくりと肩を落としたビルギッタだったが、突如はっとしたように顔を上げて周囲を見回し始めた。何事かと訊ねるより前に、彼女は憔悴したように呟く。

「ラ、ライカ……! あの……一緒にいた筈のライカがいなくなってるんです……!」

「ライカ……?」

「私の妹のような存在なんです。危険は少ないと思って連れてきたんですが……」

 辺りを探してみるが、ビルギッタの言うライカらしき存在は見当たらない。これは由々しき事態だ。妹のような存在というからには彼女よりも年下の少女なのだろうが、そんな子供が森の中で一人でいるのは危険どころの話ではない。

「あ、見て見て! こっち、誰か通った跡がある」

 そう言ってチエリが指さした場所には確かに何者かが茂みを掻き分けて先へと進んでいったような痕跡がある。そんな……と呟いて青い顔で俯くビルギッタを見てエノクが困ったような表情でモモコに視線を送る。彼女が仕方ありませんね、というように肩を竦めると、エノクは落ち込む少女に向き直って口を開いた。

「あの……僕らがその……ライカ? を捜しに行きます。放っておくと危ないし……」

「!あ……ありがとうございます!」

 ビルギッタがぱっと表情を明るくする。

「そ、それならその……私も同行します。戦闘はできませんが、治療でならお役に立てるかと思うので……」

「分かりました。気を付けて進みましょう」

 装備を整え直し、ライカが向かったと思われる方向へと足を進める。どうやらビルギッタを探しているうちに森の出口へと近付いていたらしい。ライカを捜しながら草木の隙間を縫うように進んでいけば、程無くして開けた空間へと辿り着いた。暫くぶりの太陽の光に安堵する間もなく、一行は驚愕に足を止める。

 そこにあったのは、古びた石造りの建造物だった。

 ぽかんと口を開けて目の前の光景を見つめるエノクとチエリをよそに、所々が緑に覆われた石壁をそっと撫でてモモコが呟く。

「遺跡ですか」

「こんな遺跡があるなんて……驚き、です。……ライカはこの中にいるんでしょうか……」

「そうですね、中を調べてみましょう」

 淀みない足取りで遺跡に踏み込んだモモコの背中を、はっと我に返ったエノクとチエリは慌てて追いかける。

 遺跡の門を潜った先は狭い通路になっていた。石柱に囲まれた通路のその先には小さな広間があり、五つの扉が行く手を塞いでいた。広間を見回したチエリが小首を傾げて呟く。

「これって……迷宮だよね」

「そうですね。……困りました、探索するにも地図の用意がありません」

「あ、それなら……」

 モモコの言葉を聞いたビルギッタがぽんと手を打ち、自身の鞄から一枚の紙を取り出した。

「もし良かったら、これ……」

「良いんですか?」

「私は予備があるので……」

 では遠慮なく、とビルギッタから地図を受け取って荷物からペンを取り出すモモコを横目に、エノクはふと微かな違和感に気付いて辺りを見回した。怪訝な表情できょろきょろと視線を動かす彼にチエリが声をかける。

「エノクくんどうしたの?」

「いや……ちょっと、何かに見られてたような気がして……魔物か動物かな」

 まさか、こんな場所に人間がいるわけはあるまい。これといった物音もしなかったし、きっと小動物が何かがこちらを窺っていたのだろう。そう結論付け、エノクは警戒を解くと地図を描き始めたモモコの元へ歩み寄っていった。

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