【SQX】1-3 エンカウント

 通路の突き当たりに、小さな穴が開いている。

「も、もしかして……この中にライカがいるかもしれません」

 心配そうな表情で言ったビルギッタは、どうやら穴の中に入ってみるつもりらしい。気を付けてくださいね、と声をかければ力強く頷き、這うようにして穴の中へと進んでいく。その様子を眺めながら、エノクははて、と首を傾げた。ビルギッタの"妹のような存在"だというライカがどのような容姿をしているのかは分からないが、こんな小さな穴に入ってしまうような幼い子供なのだろうか。

 浮かんだ疑問をモモコとチエリにぶつけようとしたその時、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。次いでビルギッタが穴から飛び出してくる。慌てて武器を構えるより先に、彼女を追ってきた魔物が素早く襲いかかってくる。


「うう……すみません……本当に……」

 チエリの腕の怪我を治療しながら、今にも倒れてしまいそうな顔色をしたビルギッタが言う。チエリは苦笑混じりに気にしないでよおと応えているが、正直こんな事が何回もあっては堪ったものではない。

 遺跡の中で襲ってくる魔物達は森で出会ったものよりも幾分か手強い。戦闘はなるべく避けつつ慎重に進んでいるが、先程のように奇襲を受けてしまえばそうもいかない。

「この先にもそれらしい姿は見えませんでした」

 単身先行して道の突き当たりまで見て回っていたモモコがそう言いながら戻ってくる。どうやらこの道は『はずれ』だったようだ。

 これ以上進むより他の道を調べた方がいいと判断し、一度元の広間へ戻る事にする。まだ開けていない扉は残り三つだ。チエリが頬を掻きながら問う。

「次はどこに行くの?」

「手がかりも無いからなあ……どうしよう」

「これで決めましょう」

 と、モモコが拾い上げたのは一本の木の枝で、彼女はそれを足元の石畳にそっと立てる。一瞬置いてころりと倒れた枝が指したのは広間の西側に並んだ二つの扉のうちの左側だ。

「こっちですね」

「そんな決め方で良いんですか!?」

「良くはないですけど、この状況では何にせよ勘に頼るしかありませんし……」

 もっともな意見である。迷宮に入ってからビルギッタが何度か呼びかけているがライカは一向に姿を見せない。恐らく遺跡の奥へと入り込んでしまっているのだろうが、その奥へと続く扉がどれかは予想がつかないのだ。結局は勘で選ぶしかない。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦。とりあえず先へ進みましょう」

 扉の先は例のごとく入り組んだ通路になっているようだった。盾を構えたエノクを先頭にゆっくりと進んでいく。どういうわけか、この通路には先程まで探索していた場所よりも魔物の気配が少ない。この様子ならば奇襲に怯える事もなくライカを捜せるだろう。

 そんな事を考えながら曲がり角に差しかかった時、異変は起きた。つんと鼻をついた刺激臭にエノクは思わず顔をしかめた。硫黄か何かにも似た、嗅いでいると気分が悪くなるような臭いが周囲に立ち込めている。背後にいた三人もそれぞれが鼻をつまんだり口許を手で覆ったりして臭気を堪えているようだった。

「この臭いの、あっちから来てない?」

 鼻をつまんで眉を寄せに寄せたチエリが南へ伸びる通路を指さす。確かに、そちらの方角へ少し歩いてみると辺りに漂う臭いが徐々に強くなるのが感じられた。流石にこんな臭いがいつまでも続くようでは探索もままならない。原因を突き止めようとエノクが一歩踏み出したその時であった。

「おーい、そっちは危ないから行かないほうがいいぞー」

「……!?」

 突如聞こえてきた男の声に、一行は驚いて声の主の姿を探す。が、周囲を探してもそれらしき人影は見付けられない。困惑するエノク達を見かねたらしい、今度は苦笑混じりの声が投げかけられる。

「ああ違う違う。こっちだよ、こっち」

 そこでようやく声が頭上から降ってきている事に気付き、エノクは視線を上へと向けた。目の前に立つ大きな木の上に、枝に寝そべりながらこちらへ向かって手を振る赤毛の男の姿が見える。

「やっほやっほー。そっちの通路、さっき他のでかい魔物に追われた小さい魔物が逃げ込んでいくのが見えたんだ。この臭いも多分そいつのせいだから、放っておけば収まると思うぜ。ところでお主らはマギニアの冒険者?」

「そうですけど……」

「それなら良かった!」

 弾んだ声で言い、男はよっ、と軽い調子のかけ声と共に枝から飛び降りて軽やかに着地する。その顔を近くでよく見てみれば、顔面の中心に走るバツ印のような傷痕が目を引いた。快活な笑顔を浮かべて彼は言う。

「某(それがし)はサヤ。冒険者なんだけど、たまたまこの遺跡に迷い込んで出られなくなったもんで困ってたんだ」

 エノクは隣にいたチエリと顔を見合わせる。自分達以外の人間はいないと思っていたが、まさか迷い込んできた冒険者がいたとは。一行の顔を眺めながらサヤは問う。

「お主らは司令部の命令で調査に来たかんじ?」

「いえ、彼女の連れを探してここまで来ました」

 モモコがビルギッタを示しながら言う。ビルギッタはぺこりと会釈すると、あのう、と控えめに口を開く。

「ら、ライカを見ていませんか……? その……灰色で、ふわふわで、目がくりくりしてて可愛い子……なんですけど……」

 その情報は初耳である。えっ……とビルギッタを見やるモモコをよそにサヤは顎に手を当ててうーんと唸った。

「多分それらしきものは見た……と思う」

「ほ、本当ですか! 一体どっちに……」

「そっちの通路を曲がっていったのがそれだったんじゃないかな……断言はできないけど……」

 東へ伸びる通路を指しながらそう言ったサヤに、ビルギッタの表情がにわかに明るくなる。確信はできないとはいえ、ライカがどこにいるのか見当もつかないこの状況ではささいな情報でも大変ありがたい。ありがとうございます!と頭を下げるビルギッタにいーよいーよと笑い返し、サヤはモモコに向き直って両手を合わせる。

「それはそうと、某も連れていってくれないか? 何ならギルドにも入れてほしい! 仲間に入れてくれるところがなくて困ってたんだ。頼む!」

「……リーダーは私ではないので。どうします? エノク君」

 サヤがエノクに視線を移す。期待を込めた目で見られる事にむず痒さを感じながらエノクは答えた。

「僕はいいと思います。三人だと人手が足りないと思うし……」

「おおっありがとう! エノクっていったっけ、よろしくな! そっちのお姉さんもお嬢ちゃんもよろしく!」

「はあ……」

 笑顔のサヤに手を掴まれてぶんぶんと振られながらエノクは困惑気味に応える。何だかすごい勢いの人だ。ふとモモコに目をやる。彼女はサヤをじっと見ながら何か考え込んでいたようだったが、エノクと目が合うと苦笑混じりの微笑みを浮かべた。

 話が纏まったところで、黙り込んでいたチエリがうんざりしたように声を上げる。

「ねーえ……早く行こうよ。ここ、まだ臭いし……」

 その言い草ももっともだ。足早に通路を通り抜け、サヤが証言した方向へと向かう事にする。


 遺跡の内部には、所々に壊れた罠のような仕掛けも見られた。罠というからには侵入者を排除するために置かれたものなのだろうが、果たしてここは何のために作られた建造物なのだろう。壁の紋様を指でなぞり、サヤが肩を竦めた。

「古代レムリア人、めちゃくちゃ手かけて作ってるな……」

「こんなに厳重に守られているんですから、余程重要な施設だったのかもしれませんね」

 慣れた手つきで地図を描き込みながらモモコが呟く。現在一行がいる場所は通路の行き止まりである。サヤを仲間に加えて探索を再開してから暫く経つが、ライカの姿は未だ発見できていない。

 元来た道を戻れば、遺跡の門を潜ってすぐの場所にあった広間のような、少し広めの部屋に出る。部屋にある四つの扉の内、開いていないのはあと一つだけだ。

「ライカ……この先にいるのかな……」

 不安げなビルギッタの呟きを聞きながら、エノクは扉の先へ一歩踏み出す──同時に横から飛び出してきた大きな影に押し倒され、彼は石畳に背中を強く打ち付けた。背後から悲鳴が上がる。衝撃でぐらつく視界いっぱいに広がるのは、鋭い牙を鳴らして獲物を見据える狼の顔だ。

「エノクくん!」

 悲鳴じみた声が聞こえたが返事をする余裕は無い。魔物が大口を開けて噛みつこうとしてくるのを盾を突き出して防ぐ。腹にかかる重みで腰から下を動かすことができない。魔物の生暖かい息づかいを間近に感じ、エノクの背筋に冷たいものが走る。降ってきた涎が頬に点々と垂れ、牙の食い込んだ盾から嫌な音が聞こえてくる。

 喰われる。

 非常事態にパニックを起こそうかというところで、突如魔物の動きが鈍くなった。苦しむように呻いてよろめき、二、三歩後退したところで誰かがエノクのマントを掴んで力任せに後ろへ引き込む。代わりに駆け込んできたチエリの渾身の一振りが狼を吹き飛ばした。

「エノク君、しっかり」

 モモコの声に、呆然としていたエノクは我に返る。どうやら自分を魔物の下から引きずり出したのも彼女であるらしいと気付き、彼は全身の力が急に抜けていくのを感じた。

「ビルギッタさん! 看てもらえますか」

「は、はいっ!」

 立ち尽くしていたビルギッタが慌てて駆けてくる。魔物に対峙しているのはチエリとサヤだ。サヤが投げた変わった形の刃物が前肢を地面に縫い付け、その隙にチエリが首筋を狙った突きを繰り出す。鮮血を噴き出しながらもんどりうって倒れた魔物は少しの間びくびくと痙攣していたが、やがて動かなくなった。サヤが魔物の方へと近付き、刃物を回収して死骸を通路脇の茂みへと移動させ始める。

 目の前の光景をじっと眺めていたエノクにビルギッタが声をかけた。

「あ、あの、痛むところはありませんか? 倒れた拍子に、骨にヒビが入っているかも……」

「…………いや、……たぶん大丈夫です」

 ビルギッタがほっと表情を緩める。転がってしまっていた盾を拾い上げて立ち上がり、エノクは震える手を胸に置いて深く息を吸う。心臓が早鐘のように打ち続けている。

 本当に、殺されるかと思った。

 俯くエノクを見てモモコが口を開きかけたその時、何かが茂みの中で動く音が辺りに響いた。茂みを掻き分け、咄嗟に武器を構えて固唾を呑んで音のした方を見ていた一同の前に現れたのは、赤い首輪をつけた灰色の毛並みの犬であった。

「……! ライカっ!」

「……え?」

 一声叫んでビルギッタが駆け出し、残された三人は思わず言葉を失う。ビルギッタに抱き締められたライカははち切れんばかりに尻尾を振り、嬉しそうにワンと吠えた。死骸の処理を終えて戻ってきたサヤが抱き合う一人と一匹を見て笑みを浮かべる。

「やっぱりライカってそいつだったんだな。合ってて良かった良かった」

「はい! 本当にありがとうございました……!」

 感動の再会を目の前にして、エノクとモモコとチエリは未だ動けずにいた。まあ、確かによく考えてみれば、ビルギッタはライカの事を"妹のような存在"と言ったのであって人間の子供だとは一度も言っていなかったが、それにしたって。

「……ライカ、犬だったんだ……」

 ぽつりと呟いたチエリの声は虚空へと溶けて消えていった。


   ◆


 冒険者ギルドの受付でサヤがギルド加入の手続きをしている間、エノクは待合所のベンチに腰かけてぼんやりと窓越しに見える空を眺めていた。時刻は夕暮れ時、太陽の落ちかけた空は紫色に染まり始めている。

「どうでしたか、初めての迷宮探索は」

 隣に座っていたモモコが静かに問いかける。エノクは暫し黙り込んで、ゆっくりと言葉を探すようにして答える。

「……怖かったです。死ぬかと思った……」

「これから先、もっと危険な目に遭うかもしれませんよ」

「……はい」

 探索司令部からあの遺跡の調査を命じられたのはつい先程の事だ。明日からは本格的な迷宮探索が始まる。遺跡の奥へと進めば、更に強力な魔物も出てくる事だろう。ふと、目前に迫る狼の表情を思い出した。獲物を殺そうとする確固とした意志の宿った、獣の瞳……軽く首を振り、嫌な情景を頭から追い出して彼は言葉を続ける。

「……でも、きっとそれが僕に課された試練だと思うので。やれるところまでは……やってみます」

 エノクの声は小くか細かったが、その口調からは確かな意志が感じられた。モモコはそうですかと呟いて沈黙する。エノクはそっと胸に手を当てて空を見た。鮮やかな橙から深い紫に変わりつつある中天には既に幾つかの星が瞬いているのが見える。

 星……そう、星だ。届かないと分かっていながら、手を伸ばさずにはいられない。そんなものばかり追いかけて生きてきた。この島で何か掴めなければ、自分は一生臆病で情けない自分のままだ。

 じっと窓の外を見つめ続けるエノクの横顔を見てモモコはそっと目を細め、帽子のつばをそっと引き下げた。

「二人ともー、終わったよ! 帰ろー」

 サヤに付き添っていたチエリの呼び声にモモコがベンチから立ち上がり、エノクもそれに続く。荷物を抱え上げたところで、盾についた傷がふと目に止まった。狼の牙の鋭さを思い出しそうになるのを頬をつねって誤魔化し、彼は自分を待つ仲間達の姿を見据えた。

 今日一日で一度に味わった楽しさと、喜びと、恐怖と。それらを胸に刻み付けて彼は一歩を踏み出す。

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