【SQX】2-1 五人目の女
『ふーん。ゆうかんなんだね。それに……やさしいところもあるみたい』
『イヌはたすけてたみたいだけど……それがヒトでもたすけるの?』
◆
碧照ノ樹海は柔らかな日射しの降り注ぐ穏やかな迷宮である。一面の緑と色とりどりの花、そしてどこからか漂う甘い匂いが冒険者達の心を和ませ、ここが危険な樹海である事を忘れさせる──しかし油断してはならない。冒険者達が気を抜いて注意を疎かにするその瞬間を、魔物は草葉の陰から虎視眈々と狙っているのだ。
そんな迷宮で『スターゲイザー』はひたすら採取に励んでいた。採取と言っても何も金に困っている訳ではない。商会からの依頼で薬品の材料となる植物を探しているのだ。
「ネクタルは需要が大きいからね。品薄になるのも無理はない」
茂みの中から樹海アロエを摘み取りながらそう呟く星術師の男の名はマルコという。彼は他の新人冒険者達に先んじてこの迷宮の探索を行っていた熟練冒険者だ。
「逆に言えば、品薄な内に原料を売ってしまえばいつもより儲けが出るって事だけど」
「ははあ、マルコ殿もなかなか狡いなあ」
からかうようなサヤの言葉にマルコは苦笑する。
「前に言った通り、僕らはお金目的で冒険者やってるからね。……こういう稼ぎ方は彼には秘密だけど」
そう言いながらマルコが視線をやった先では、彼の相棒であるオリバーが木の枝を使ってチエリと打ち合っていた。どうやら剣の稽古をしているようだ。強面のオリバーだが存外に面倒見は良いらしい。チエリもきゃあきゃあと楽しげな様子で木の枝を片手に彼へと向かっていっている。
「でも、そうでなくとも金策は大事だよ。僕らは見ての通り二人で探索してるから、装備代や薬代は特に多めに取っておきたいし」
「成程なあ」
「……そういえば君達は四人パーティーなんだね」
マルコがふと思い出したように呟く。籠の中に小さな花を詰め込んでいたエノクが顔を上げて困った様子で頬を掻いた。
「やっぱり五人いた方がいいでしょうか」
「うーん、そうだな……今のメンバーだと回復が手薄に見えるかな」
「バランスの良いパーティーは大事だぞ!」
背後から急に聞こえた大声にエノクが慌てて振り返れば、そこにはいつの間にオリバーが立っていた。その後ろからはチエリも顔を出している。稽古中に転びでもしたのか、二人とも全身がやけに薄汚れていた。
「オレ達のように1足す1でも2以上の力があるんなら話は別だが……それはそれとして役割分担は重要だからな」
「メンバーを増やして困る事は無いと思うよ。回復役がいると探索も楽になるだろうし」
「そうですよね。求人出してみるかな……」
「でも、そういう職業ってみんな欲しがるから競争率高いんだよね」
「盾職なんかもいいが……そっちはそっちで引く手あまたって感じだろうなあ」
周囲が和気藹々と話をしている中無言で茂みの中を探っては花や植物を摘み取っていたモモコが、ふと手を止めてうーんと唸った。何事かと振り向いた一同を見て、彼女は肩を竦めて溜息混じりに言う。
「クラントロ、全然見付かりません」
今回のクエストの依頼品・クラントロは稀少な植物だと聞く。もしかするとここではない、限られた場所にしか生育していないのかもしれない。そろそろ場所を変えようかという事で話が纏まり、エノクは小さな花が詰まった籠を手に立ち上がろうとして、ふとある事に気付いて盛大にむせた。
「おっオリバーさん、頭に草が生えてます!!」
「何だと!?」
オリバーの小麦色をした禿頭に、青々と茂る一房の草。転んだ時にたまたま頭にくっついたのだろうか。チエリとモモコが不自然に口を引き結び、ただ一人堪える事ができなかったサヤは思わず吹き出すと腹を抱えて笑いだす。オリバーの頭上でモヒカンの如く存在を主張するその草を見てマルコが声を上げた。
「それは……!」
「知っているのかマルコ!」
「く……クラントロだ……!」
何とまあ大した偶然だ。オリバーの頭に乗っかっていたのはちょうど探していた植物だったのだ。とにもかくにもこれを納品すればクエストは無事に完了である。
サヤは笑いすぎてモモコに怒られた。
◆
マルコとオリバーと別れて探索を切り上げ、依頼の品を商会に納品し終えた『スターゲイザー』一行はマギニア市街地を歩いていた。市街地といってもここは普段利用する宿や酒場があるような区域ではなく、マギニアの住民達が利用するための商店や食堂などが集まる区域だ。冒険者達があまり訪れないこの場所に彼らがいるのには理由がある。
碧照ノ樹海から帰還した後、一行はまず冒険者ギルドへと向かった。新しいメンバーの求人依頼を出すためである。駆け出しの無名ギルドにそう簡単に人が集まる筈もないがとりあえず出すだけ出しておこう……という魂胆だったが、受付をしてくれたミュラーから返ってきたのは驚きの言葉だった。
「丁度良かった。君達と話をしたいという者がいてな、何でも冒険者を紹介したいそうだ」
「え!? 誰ですか」
「居住区で医院を開いている女性だ。直に話をしたいという事だから、会いに行ってみてはどうだ?」
そう言ってミュラーが渡してきたメモには、居住区の住所示す数字の羅列と共に『北十字治療院』の文字が記されていた。
「お医者さんってことは、メディックの人を紹介してくれるのかなあ」
見慣れない街並みを珍しげに眺めながらチエリが弾んだ声で言う。もしそうならばまさに"渡りに船"といったところだが、果たしてそうそう都合よく幸運が舞い込んでくるものだろうか。
手元のメモと街角に記された住所とを見比べながら先頭を歩いていたモモコがここですね、と呟いて足を止める。そこにあった何の変哲もない二階建ての建物はおよそ医院らしからぬ佇まいをしているが、面には確かに『北十字治療院』の看板が掲げられていた。
背後の三人にちらりと視線をやってから、モモコは玄関先に吊るされたベルを控えめに鳴らす。
「ごめんください」
暫しの間の後、ドタドタと慌ただしい足音が聞こえてくる。はい、と少々苛立ちの混じる声と共にドアが開き、その向こうから現れた顔にモモコは驚きの声を上げた。
「ノワールさん?」
エノクが目を丸くし、チエリとサヤが顔を見合わせる。男はドアを開けたそのままの姿勢で一瞬呆気に取られたように固まっていたが、すぐに苦い表情を浮かべて応えた。
「……またお前達か。何の用だ?」
「冒険者ギルドから、こちらに私達と話をしたい方がいると聞いて……」
「あー、モモコさん」
話を遮るように、ノワールの後ろからひょっこりと顔を出した少女がモモコの腹に抱きつく。モモコは微笑み、マナちゃんもお久しぶりです、と彼女の頭を撫でた。マナはうふふと笑ってモモコから離れると今度はエノクの方へ突撃していく。
「エノクもー。あそびにきたの?」
「いや、遊びに来たわけじゃ……ていうか、僕のことは呼び捨てなんだね……」
はしゃぐマナを見て盛大な溜息を吐き、ノワールは相変わらずのしかめ面でモモコへ向き直る。
「冒険者ギルドから話を聞いたと言ったな」
「ええ。何か間違いがありましたか?」
「私はそんな話は知らない、が……何の事か見当はつく。責任者を呼んでくるから少し待て」
踵を返し、ノワールは廊下の奥へと駆けていく。その背中を見送り、モモコはエノクにじゃれつくマナに問いかけた。
「マナちゃん達はここに住んでいるんですか?」
「うん、イソーローなの」
「居候ですか。成程」
「あっあの、あなたマナちゃんっていうの? あたしチエリ! よろしくね!」
「…………ぅん…………」
「け……警戒されてる……」
がーん、とでも聞こえてきそうな表情でがっくりと項垂れるチエリにモモコが苦笑する。どうにか少女の気を引こうと四苦八苦するチエリの姿を横目に、マナの執拗な裾引っ張り攻撃から解放されてほっと胸を撫で下ろしたエノクにサヤがこっそりと話しかけてくる。
「なあなあ、さっきの人知り合い?」
「ノワールさんの事ですか?そうですね、色々あって……」
「ふーん……」
ノワールがどうかしたのかとエノクが問い返す前に、廊下から軽い足音が響いてきた。こんにちは、と穏やかに笑いながら現れたのは白衣を纏った一人の女性である。
「君達が『スターゲイザー』か。私はマリアンヌ・ノルデ、この医院の院長だ。急に呼び出したりして申し訳ない」
「紹介したい冒険者がいるという話でしたが……」
「ああ、奥で詳しく話そう。どうぞ上がってくれ」
そう言ってマリアンヌは廊下の奥へ歩いていく。こっちだよとマナに手を引かれたモモコが先んじて奥へと進んでいき、三人もその後に続いた。
廊下の奥は待合室になっていた。何人かの患者が診察を待っている横を通り抜け、一行は『診察室』という札の掛かった部屋へと入っていく。部屋の中では医師と思わしき青年が老婆を相手に診察を行っていた。
「オイオイオイばーちゃん! 骨もうくっついてんじゃねェか! この再生力……アンタさては飲んでんなァ!? 牛乳!!」
……本当に医師なのだろうか。
四人が通されたのは診察室の更に奥、テーブルを挟んで二つのソファが並んだ応接室であった。促されるままに腰かけると、どこからか現れたノワールが紅茶入りのティーカップとクッキーが積まれた籠を運んでくる。クッキーに手を伸ばそうとしたマナはすぐさま保護者に抱き上げられ、頬を膨らませて彼の腕の中でじたばたと暴れた。
「……それで、本題だが」
マリアンヌが肩を竦める。
「一つ謝らないといけない。紹介したい冒険者がいるとは言ったが、正確には"これから冒険者になる予定の人物"を紹介したいんだ。語弊があって申し訳ない」
「大丈夫っすよ、どうせ新人ばっかりのギルドだし」
サヤがあっけらかんと応える。軽い調子の言葉だが、現在のメンバーもモモコ以外は探索初心者であるため言っている事自体は正しい。ひとつ頷いてエノクが口を開く。
「えっと、それで紹介してもらえるっていうのは、どんな……」
「巫医の女性だ。彼女も居候なんだが、私の助手をしてもらっていてね。治療術の腕は保証しよう」
巫医──ドクトルマグス。ちょうど求めていた、治療術に秀でた職業だ。本当に紹介してもらえるならば願ってもいない事である。だが、その巫医本人はいったいどこにいるのだろう。訊ねるより先に、マリアンヌが少々困ったような笑みを浮かべながら問いかけてくる。
「どうだろう? そちらの事情もあるだろうし、無理にとは言わないが……」
「いえ、私達もちょうど新しいメンバーを探していたところで……」
「それなら良かった!」
ぱっと明るい表情になったマリアンヌはすかさずテーブルの下から一枚の紙を取り出す。よくよく見てみれば、それはギルド加入の申込用紙であった。
「マナを助けてくれたという話を聞いてね、彼女を預けるなら君達しかいないと思っていたんだ。いやあ本当に助かるよ。少し気難しいけど根は優しい子だから、どうか仲良くしてやってほしい」
「いや……だからその、本人はどこに……」
「ああ、今呼んでくるから少し待っていてくれ。……ヘティ! ヘンリエッタ! ちょっと出てきてごらん!!」
大声で女性のものらしき名前を呼びながら部屋を出ていくマリアンヌを冷ややかな目で見送り、ノワールはエノクの方を見て呟く。
「どうなっても知らんぞ」
「え?」
「どうせ苦労するのはお前達だろうが……くれぐれも見捨てるなよ」
「あの、それって……」
「やあ、待たせたね」
一体何の事かと問い返そうとしたところで、マリアンヌが鼻唄混じりに部屋へ戻ってくる。彼女が連れていたのは黒髪の女性だった。半ば引きずられるようにしてやって来た女性の顔を見て、エノクは思わず息を呑む。彼女の瞳は、奇妙なほど深く鮮やかな真紅色をしていた。
「彼女がヘンリエッタだ。よろしく頼むよ」
「だからッ急に何なんだ! こいつらは誰だ!」
「これからお前が世話になるギルドの人達だ。仲良くしなさい」
今にも噛みつかんばかりの表情で叫ぶヘンリエッタに軽く応え、マリアンヌはいつの間にやら手にしていた帽子を彼女の頭に載せる。ギルド、とおうむ返しに呟いたヘンリエッタの顔がさっと青くなる。
「私は嫌だと言った!」
「そうは言ってもね、お前もそろそろ外で働いてみてもいいんじゃないか」
「嫌だ! このっ……離せ!!」
……何やら雲行きが怪しい。これ大丈夫?とサヤが呟く声がした。どうしたものかと戸惑うエノクの腕をにこやかに掴み、マリアンヌはずんずんと歩き出す。向かっている先はどうやら玄関である。医師らしからぬ腕力で二人を引きずり、慌てて後を追ってきた残りのメンバーごと外へ放り出した後、満面の笑みでマリアンヌは言う。
「それじゃ、そういうことで。頑張ってきなさーい!」
勢いよくドアが閉まる。
『スターゲイザー』の四人は呆然と顔を見合せ、玄関先で立ち尽くすヘンリエッタの方へ視線を移す。わなわなと震えながら帽子を深く引き下げた彼女は、例えるならば親と喧嘩をした子供のような、複雑な感情の渦巻く瞳でもって四人を見返していた。
「良かったのか」
やり取りを聞いている間にすっかり眠りこけてしまったマナを抱えながら、ノワールは問う。マリアンヌは黙って肩を竦め、テーブルに置きっぱなしになっていたティーカップを片付け始めた。
「相当恨まれるぞ」
「恨まれるくらいで済むなら安いものだ。それに、君達も他人の心配ができるような立場じゃないだろう」
今度はノワールが肩を竦める番だった。むにゃむにゃと何やら寝言をいうマナを連れて彼は静かに部屋を出ていく。男の背を見送り、マリアンヌはティーカップを盆に載せ終えると小さく息を吐いた。
「上手くいってくれればいいが」
呟きは誰の耳に届くこともなく宙に溶けて消えていく。やがて彼女も去った部屋には静寂だけが残された。
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