【SQX】3-3 獅子奮迅
「だから叫ぶなって言ったのに……」
宙に浮かびながら肩を竦める少年に、エノクは呻き声で応える。叫び声に驚いて茂みから飛び出してきたウーズや人食い草を何とか一掃したはいいが、そろそろ体力的にも剣を振るうのがきつくなってきた。魔物の死骸から距離を取り、地面に座り込んで樹に体を預ける。顔を上げてみれば少年の手にはいつの間にか一振りの武器が握られていた。あれは剣……いや、槍だ。ハイランド地方でよく見られる、穂先を二つの刃で挟み込んで大剣として扱えるようにした槍である。
「……は、ハイランドの子供戦士の霊……」
「手助けしてやったのに失礼な奴だな!」
思わず漏れた呟きに少年がぎゃんと吼える。その言葉を聞いて、エノクは魔物の死骸の中に倒した覚えのないものも混ざっていた事を思い出した。どうやら魔物のうち何匹かはこの幽霊が倒していてくれたらしい。そこでふと浮かんだのは、先程『密林の殺し屋』に襲われていた時の光景だ。
「もしかして、あの時も……?」
「ん? ああ、サソリの事か。あれは咄嗟にな。上手くいって安心したぞ」
あっけらかんと答える声にエノクはげんなりとした表情を浮かべた。よくよく思い出してみれば、背後に『密林の殺し屋』が迫っている事を知らせたのもこの少年の声だった。知らず知らずの内にこんな訳の分からない存在に助けられていたとは。透けている足を極力気にしないようにしつつエノクは彼に言う。
「その節はどうもありがとう。でも、きみは一体何なんだ……」
「言っただろ。『残像』だ」
まったく分からない。
大事なことは何も分からないが、とにかくこの少年は『残像』というものであり、単なる幽霊とはまた違う存在らしい。エノクはほっと胸を撫で下ろした。不気味な事には変わりないが、悪霊の類いではないと分かれば少しは安心できる。少年はエノクの周りをくるりと一周してのんびり言う。
「ま、好きに呼ぶといい。どうせ名前も無いし」
「はあ……」
「それより早くここを抜けなくていいのか?仲間と合流しないと、本当に危ないだろ」
その言葉を聞いてエノクは慌てて立ち上がる。そうだ、この謎の幽霊もどきがいきなり現れたせいで今の状況がすっかり頭から抜けていた。とにかく急いでこの森から抜け出さなければ、自分が本物の幽霊になる羽目になってしまう。剣と盾を構え直し、来た道とは逆方向に歩き出す。頭上まですっぽり木々に覆われているため視界は薄暗いが、そのために光が射し込んでくる方向が分かりやすいのはありがたい。明るい場所を目指してずんずん進んでいく。
「ちゃんと合流できるかな……」
「できるできないじゃなくて、何が何でも合流してくれ。俺だっていつも助けてやれる訳じゃないんだぞ」
「え、そうなの……?」
「色々あるんだ、俺にも。それより森を抜けるぞ」
今まで延々と続いていた木々の回廊が数メートル先で途切れている。茂みに身を潜んで辺りを確認すると、森を抜けた先はどうやら大部屋に繋がっているようだった。大部屋は目を凝らさなければ向こう側の突き当たりが見えない程広く、地面には点々とトゲの生えた赤い草が茂っている。近くに魔物の姿が無い事を確認して茂みから一歩踏み出した。
この大部屋はいったい地図のどの辺りに位置しているのだろう。少なくとも景色に見覚えがない以上、あの『密林の殺し屋』がいた部屋から進んだ先にこの部屋があるであろう事は予想がつくが。
「あの三人の姿は見えないな」
少年が呟く。ヘンリエッタ達はまだこの場所に辿り着いていないのだろうか。既に出口を見付けて脱出しているという可能性も無いではないが、あの三人がエノク一人を置いて先に脱出したとは考えたくなかった。
「これからどうするんだ?」
「ええと、とりあえず壁沿いに、」
がさり、と。
言葉を遮るように背後から聞こえた音にふたりは振り返る。先程通ってきた森の奥から巨大な影がゆらりと近付いてくるのが見えた瞬間、エノクはすぐさま踵を返して駆け出した。宙を滑るように後を追ってきた少年がおいおいと呟く。
「デカい鳥だ。追ってくるぞ」
「分かってる!」
本当に、とことんツイていない。デカい鳥とはつまり『ジャイアントモア』の事だ。あの魔物は縄張りに入ってきた敵を視界に捉える限りとことん追い回す習性がある。振り切るには視界から外れるしかないが、果たして障害物さえろくに無いこの広い大部屋でどうやって逃げ切ればいいというのか。
『ジャイアントモア』が地を蹴って駆けてくる音が、背後から徐々に近付いてくる。前方には扉が見える。このまま走ればあと数秒で辿り着く──が、それより先に追い付かれる!
「避けろ!」
少年が声を上げるのと当時にひときわ強く地面を蹴る音が聞こえてくる。咄嗟に真横に跳んだその直後、先程までエノクがいた場所を跳躍してきた巨鳥の脚が大きく抉った。衝撃で足許が大きく揺れる。すぐに体勢を立て直して盾を構え、色鮮やかな羽毛に覆われた巨体を見上げる。着地の衝撃で埋まった爪先を土の中から引き抜き、『ジャイアントモア』はエノクを見据えて甲高い鳴き声を上げた。どうやら逃がしてくれるつもりは無いらしい。
どこからか取り出した槍を構え、少年が叫ぶ。
「蹴られるなよ!」
言うや否や、空を蹴って跳躍した彼は身を翻して『ジャイアントモア』の首に刃を叩きつける。攻撃を受けた巨鳥は悲鳴を上げ、半狂乱になって首を振り回した。当たればただでは済まないその攻撃を少年が軽やかに避けて次の一撃を繰り出している間に、エノクは注意が疎かになった足許へ潜り込み、繰り出される蹴りを防ぎつつ左脚だけを狙って斬りつけていく。
上方と下方からの連撃に耐えかねたのか、『ジャイアントモア』はぶるりと身を震わせるとつんざくような叫び声を上げ、ひときわ強い力で暴れだす。上空から微かな悲鳴が聞こえた。はっと顔を上げたエノクだったが、そのせいで防御の体勢を取るのが一瞬遅れる。気付いた時には彼の目の前にはがむしゃらに振るわれた翼が迫っていて、寸でのところで突き出した盾ごとエノクは思いきり後ろに倒れた。
打ちつけた背中が痛む。すぐに身を起こしてF.O.Eの足許から離れ、盾を手に立ち上がろうとした瞬間に右の足首に走った痛みに彼は唇を噛んだ。まさか挫いたのか、よりにもよってこの状況で。『ジャイアントモア』は全身を血に染め、片足を引きずりながらも目の前の敵に向けてぎらぎらとした目を向けている。無傷の右脚でぐっと地面を踏みしめ、姿勢を低くして突撃の体勢を取る──。
「……ッらああああぁっ!!」
──雄叫びと共に飛び込んできた影が、巨鳥の胸を深く切り裂く。悲鳴を上げる暇さえ与えず、返す刃でもう一撃。エノクは唖然とその背中を見上げた。肩で息をしながら、血に濡れた鎌を構えてエノクを背に立つその後ろ姿は。
「レオ君……!」
思わず声を上げたエノクをちらりと見やり、ぐっと表情を歪めたレオはしかし、すぐに『ジャイアントモア』に向き直って満身創痍の相手に追い討ちをかけに行く。次に取り残されたエノクの元へ駆け寄ってきたのはヘンリエッタと商人の二人であった。商人がほっとした表情でエノクの傍らに膝をつく。
「よかった、生きてたぁ……!」
「あ……ええと……」
「動くな。治りが悪くなる」
いつにも増して機嫌の悪そうな顔をしたヘンリエッタが杖を掲げて巫術を発動させる。体の内側が熱くなり、背中や足首の痛みが消えていくのを感じたところでようやくエノクは肩の力を抜いた。同時に疲れがどっと押し寄せてくる。どうなる事かと思ったが、何とか助かった。
レオの振るう鎌が、ついに『ジャイアントモア』に致命の一撃を与えた。赤く染まった羽毛を撒き散らしてその巨体が崩れ落ちるのを見届け、青年はどこか憔悴したような様子でエノクの元へと歩いてくる。そして彼の気の抜けた表情を見るとずるりと膝から崩れ落ちた。商人が慌てて支える。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」
「──、……ボクに、一人で無茶するなって言ったのは、君じゃないか……」
あ、と昨夜のやり取りを思い出し、エノクは視線を彷徨わせた。レオは深く項垂れたまま、震える声で言う。
「生きててくれて良かった……」
彼にとってその言葉が、どれほどの重みを持つのか。
商人がレオの背中を優しく撫でながらエノクをじっと見つめる。エノクは暫しああ、だかうう、だか口ごもった後、ゆっくりと口を開いた。
「心配させてごめん。……きみのお陰で助かったよ」
「……謝る事じゃないよ。仲間を助けるのは、当然の事だからね」
レオは少し顔を上げ、潤んだ瞳を細めて笑った。エノクもほっと表情を緩める。
互いの無事を喜び合う三人をよそに、一人で『ジャイアントモア』の死骸を検分していたヘンリエッタがおい、と声を上げて部屋の向こうを指さす。
「魔物が来る前に出るぞ。早くしろ」
彼女が示す先にあるのは大部屋の出口だ。確かに、こんな見通しの良すぎる場所でまた襲われでもしたらたまったものでない。すぐさま立ち上がり、荷物を手に扉へと急ぐ事にする。弾き飛ばされていた剣を拾い上げて先を行く三人の後を追おうとしたエノクは、ある事に気付いて思わず足を止めた。いつの間にかあの幽霊もどきの少年の姿が消えている。
あれはもしや、極度の緊張のせいで見えた幻覚か何かだったのだろうか。一度はそう思ったが、ふと倒れたF.O.Eの死骸を目にしてやはりあれは幻などではないと確信する。巨鳥の首には、あの少年の振るう槍によってできた傷が確かに残っていた。急に現れて急にいなくなった、『残像』と名乗る少年。彼はいったい何だったのか……怪訝に思いつつエノクは足早に前方で自分を待つ三人を追う。
扉の先には階段があった。迷宮上層へと続く上り階段だ。ようやく見付けた脱出経路に四人は揃って安堵の溜息を吐く。
「やったー! やっと帰れるね」
「上のどこに続いてるんだろう……?」
「あの飛竜のところに出たりしたら嫌だよね……」
「……とにかく、上るか」
ヘンリエッタの一言に頷き、一同は上り階段に足をかける。数歩前を行くレオと商人の背中を眺めながら、エノクはギルドの仲間達に想いを馳せた。皆どうしてるだろう。もしかしたら今も僕らを捜している真っ最中かもしれない。何にせよ随分と心配をかけてしまっただろうから、きちんと謝らないと……。
ふと、後ろから伸びてきた手が考え込む彼のマントをぐいと引く。振り返れば、相変わらずしかめ面のヘンリエッタがそこにいた。
「えっと……どうしました?」
「前々から思っていたが、お前は馬鹿なのか?」
「ば……馬鹿とは……」
「無茶で無策で無鉄砲だ。見ていられん」
散々な言い様だが、身に覚えがありすぎて何も反論できない。遠い目をして黙り込むエノクのマントから手を離し、一歩踏み出して隣に並ぶと彼女は小さな声で呟いた。
「私の前では死ぬな」
「……え?」
思わず気の抜けた声を出したエノクを、帽子の下の赤い瞳がじろりと睨む。慌てて何でもないです! と弁明すれば、彼女はふんと鼻を鳴らして再び気だるそうに口を開いた。
「それとお前のその態度、どうにかしろ」
「ど、どうにかとは……」
「その妙に畏まった態度だ。媚びてるつもりか」
「いやそういう訳じゃ」
「なら今すぐやめろ。呼び捨てで良いし敬語もいらん」
「え、ええ……」
いきなりそんな事を言われても困る。が、ヘンリエッタの視線からひしひしと伝わる圧力に、エノクはついに折れざるを得なかった。
「じゃ……じゃあ、ヘンリエッタ……」
「ん」
恐る恐る呼んでみれば、ヘンリエッタはひとつ頷いてエノクからふいと視線を外した。背中が冷や汗でじっとりと濡れているのを感じつつ、戸惑ったようにその横顔をちらりと眺める。ヘンリエッタが何を考えているのかはよく分からないが、とりあえず少しは打ち解ける事ができたと思っていいのだろうか。もしかすると彼女は彼女なりに、自分に歩み寄ろうとしていたのかもしれない……いや、もしもそうだとしたらあまりにも不器用すぎるが……。
気付けば階段の終わりはもうすぐそこだった。頭上から射し込む光に目を細めつつ、最後の一段に足をかける。ワイバーンによる誘拐から丸一日を経て、ついに彼らは飛竜の巣からの脱出という偉業を果たしたのだった。
◆
「そんな事があったのか。大変だったろう」
「それなら尚更たっぷり食べていって貰わないとな。頑張った自分へのゴホウビ、ってヤツだ」
鉄板の上に野菜を並べつつ労いの言葉をかけるマルコの隣で、オリバーが汗を垂らしながらひたすら肉を焼いている。エノクは苦笑を返して自分の皿に盛られたステーキの欠片を口に放り込んだ。
獣王ベルゼルケルとの戦いで重傷を負ったオリバーとマルコだったが、その傷もすっかり癒えて近々探索を再開する予定らしい。そういうわけで今日は快復祝いとベルゼルケル討伐の祝賀会を兼ねたステーキパーティーなのである。会場である幽寂ノ孤島ベースキャンプには肉の焼ける香ばしい匂いが漂い、食欲に負けた仕事中の衛士がこっそりとおこぼれを貰いに来る姿もちらほらと見られた。
「あの、これボクも参加して良かったんですか?」
「いーのいーの。どうせあたし達だけじゃ食べきれないし」
恐る恐る訊ねたレオにチエリがあっけらかんと答える。彼女の皿の上にも当然のようにこんがり焼けた大量の肉が盛られており、レオは困惑したようにそうか……と頷いた。そんな彼の背中をオリバーが勢いよく叩く。
「わ!?」
「お前も遠慮せずにもっと食え! 冒険者は体が資本! そんでもって強い体を作るのは肉、肉、そして肉だ!!」
「えっ、ええー……」
豪快に笑いながら、オリバーは切り分けた肉を次々とレオの皿に乗せていく。目の前でみるみるうちに肉の山が築かれていくのを唖然と見つめるレオに苦笑し、マルコは火の通ったとうもろこしを口に運ぶ。
「勿論、食事のバランスも大事だけどね」
「若い子はよくあんなにお肉ばかり食べられますね……」
げんなりとした表情で呟いたモモコの手はフォークを握ったままで完全に止まっている。やはり年ですかね……とどこか虚ろな表情を浮かべる彼女に何と声をかければいいものか。悩むエノクの肩に、隣に座っていたサヤが急に手を回してくる。
「お主めっちゃ食ってんじゃーん。肉好き?」
「好きですけど……」
「腹一杯食える事に感謝しろよな。下手したら死んでたんだぜ?」
「……はい」
「まあ生きてて良かったよ。某らもお主のこと必死になって捜してたんだからな」
エノクはぐっと言葉に詰まった。エノクとヘンリエッタがワイバーンに連れ去られた後、残された三人は衛士隊や他の冒険者と共に夜を徹して捜索を行っていたらしい。四人が地下二階に戻ってきた時は大変な騒ぎだった。捜し人が揃いも揃って無事に戻ってきたのだから大騒ぎになるのも当然だが、あの時の事は思い出すだけで胃が痛くなってくる。
「本当にすみません……」
「いや謝られても困るんだけど。それより!」
エノクの肩に回した腕の力を強め、サヤはヘンリエッタをびしっと指さして叫ぶ。
「お主ら何で急に仲良くなってんの? 何があったんだ! 吐け!!」
「別に何も無かったですよ」
「嘘つけ! どうなんだよヘンリエッタ!」
急に声をかけられたヘンリエッタはただでさえ寄っていた眉間のシワを更に深くして、吐き捨てるように応える。
「くだらない話を振るな」
「喋るようになったと思ったらこれだし! 畜生! 某の事も呼び捨てで良いんだよ!? 言ってみサヤって! ほら!!」
「そ……そんな……」
ぎゃあぎゃあと騒ぐサヤと肩を揺さぶられるエノクから逃げるように、ヘンリエッタが不機嫌極まりない表情で彼らから距離を取った。そこへオリバーがすかさず焼き上がった肉を押し付けに向かう。にわかに騒がしくなる宴会の風景をじっと眺めていたレオは、隣で肉を貪っていたチエリに言う。
「何ていうか……良いね、こういうの」
「でしょー。仲間と食べるご飯って美味しいもんね」
にんまりと笑うチエリにレオも笑い返し、山盛りになっていた肉をそっと口に運んだ。焼いた牛肉に塩胡椒を振りかけただけのシンプルなステーキの味は、何にも勝る極上の美味として彼の記憶に刻まれる事だろう。
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