【SQX】4-1 少年少女樹海お悩み相談室
「あたし、やっぱり冒険者向いてないのかなあ……」
と、いつになく弱気な様子でぼやいたチエリを見て、四人は顔を見合わせた。
垂水ノ樹海と呼ばれる新たな迷宮の調査はつつがなく進んでいる。今日も無事に日中の探索を終え、夕食を摂るため酒場にやってきたところなのだが、どうもチエリの様子を見る限り楽しいディナーという空気ではなさそうだ。地図の束を整理する手を止め、モモコが問う。
「どうしたんですかチエリちゃん。何か悩みが?」
「……あたしって皆と比べるとあんまり役に立ってないでしょ。戦いにも慣れてないし、すぐ怪我するし」
「いや、そんな事はないと思うけど……」
エノクの脳裏に浮かぶのはこれまで経験してきた戦いの中でのチエリの様子だ。巨大な花の触手を斬り落とす姿、獣王の関節に刀をねじ込んで腕を封じる姿、ワイバーンの翼を斬りつける姿……確かに防御面は少々心もとないとはいえ、どの戦いでも彼女は十分すぎるほどの働きをしてくれていたと思うのだが。そう言ってみたものの、チエリは沈んだ表情のまま首を横に振る。
「でもあたし、誰かがサポートしてくれないと何もできないでしょ。たとえばモモコさんとか、一人でもいっぱい魔物倒せるのに……」
「そういうのいちいち気にしてたらキリが無いぞ」
料理に手をつけながらやりとりを聞いていたサヤが呆れたように言う。同じく食事をしていたヘンリエッタはどうやら事態を静観するつもりらしく、一瞬チエリに目をやっただけで特に何か言う事はなかった。黙り込むチエリにモモコが柔らかな笑みを向ける。
「私は貴女が今まで生きてきた倍以上の時間を、弓を握って過ごしてきました。そもそも重ねた経験の数が違うんですから、そうやって比較するのは正しくありませんね。それに一人で戦える事だけがすごいという訳ではありません。一人で全て事足りるなら、ギルドを組む必要も無いでしょう?」
「それはそうだけど……」
「貴女はよくやっています。役に立ってないなんて言いましたけど、誰かにそう言われた訳じゃないでしょう? チエリちゃんは十分働いてくれていますよ」
優しく諭すようなモモコの言葉を聞いてもチエリの表情は晴れない。エノクとモモコはそっと視線を交わす。これは困った。思春期まっただ中の少女の悩みはどうやらかなり根深いようである。
テーブルが重苦しい空気に包まれる。鼻歌混じりに料理を運んできたクワシルが、何とも言えない表情で沈黙する五人を見てうわあと声を上げた。
「ちょっとちょっと! そんな辛気臭い顔されるとウチの料理が不味いって思われちゃうじゃない! せめて店を出るまでは明るい顔しててよね」
「はあ」
「っていうかどーしたのさ。新進気鋭の『スターゲイザー』様が、そんな浮かない様子で」
いかにも興味本位といった様子で訊ねる店主にモモコがチエリが色々悩んでいるらしい事を告げる。クワシルは成程ね~と頷いて白い口ひげを撫でた。
「同じように悩んでる子はよく見るよ。新人さんは誰しも通る道なのかもね。……そういえばこの間も似たようなこと言ってウンウン唸ってた女の子がいたっけ。誰だったっけなぁ、確か盾職の……」
と、そこまで言ったところで言葉を切り、彼はにっこりと笑って掌を差し出す。
「という訳で、相談に乗ったんだからくれるよね?相談料!」
「新手の詐欺か何かですか?」
「司令部に訴えるぞ」
「やだなあ冗談だよ、冗談!」
けらけらと笑うクワシルに一同は冷ややかな視線を向ける。いったい何がそんなに楽しいのか。ひとしきり笑い終えるとひとつ息を吐いて去っていった店主を見送り、エノクは改めてチエリに目をやる。彼女は相変わらずどこか暗い表情のまま、目の前の料理から立ち上る湯気ばかりを見つめていた。
◆
「あーあ、やっぱり冒険者なんて、アタシには無理デスかねぇ……」
なんとまあ、どこかで聞いたような言葉である。
商店の店主からの依頼を受け、このカリスという新米冒険者の女性と共に垂水ノ樹海の探索を始めて半日になる。依頼では素質ある冒険者だと聞いていたが、まだまだ駆け出しのエノクから見ても彼女の動きは頼りなく、とてもではないがパーティーの守りを任せられるような状況ではなかった。言っては悪いが、こんな状態なら他の仲間に見放されたという話も納得がいく。
険しい表情で黙り込んでいたモモコがひとつ息を吐いて口を開く。
「見込みは無くはない……と思います」
「え!? マ……マジデスか!? じゃーもうちょっと頑張っちゃおうかなー」
カリスは嬉しそうに顔を輝かせたが、すぐに遠い目をしてどこか寂しそうに呟いた。
「アタシ、絶対強くなりたい理由があるんデス。でも……全然相手にしてもらえないんデスけどね」
言葉を切ってしばし目を伏せ、カリスは懐からアリアドネの糸を取り出す。そろそろ解散しようという彼女の提案に反対する者はいなかった。
「僕らはもう少し探索を続けます」
「そうデスか。じゃあ、また明日よろしくデス!」
にっこりと笑い、迷宮から脱出するカリスを見送って一同は盛大な溜息を吐いた。いつもの探索に一人加わるだけでこうも疲れるとは。大きく伸びをするエノクの傍らで、神妙な顔で何か考え込むモモコにサヤが声をかける。
「モモコ殿、実際のところはどう思ってる? 見込みあるって言ってたけどさ」
「……見込みがあると思うのは本当です。ただ、あのままでは盾職としてはとても使えませんね」
「某もそう思う。たぶん焦りすぎてんだよなー。メンタル面のアドバイスなんてできねえよ」
いろいろ早まんなきゃいいけど。と他人事のように呟くサヤにモモコは曖昧な苦笑を返した。エノクはうーんと唸る。二人の言いたい事は分かるのだが、そうもはっきり口に出されると自分の事ではないとはいえどこか居たたまれない気持ちになる。複雑な心境でやり取りを見ていた彼のマントをヘンリエッタが引く。
「同じ盾持ちなんだからお前が教えれば良かっただろう」
「え……いや、でも僕の盾はあくまでサブだし……」
「サブでも盾は盾だ」
「そうかなあ……」
「とりあえず明日できる限りの指導はしてあげましょう。身に付けた技術をどう扱うかは彼女次第です」
きっぱりと言い切り、モモコは足許に置いていた荷物を拾い上げる。それを見た他のメンバーも彼女に倣って各々の荷物を纏め始めた。迷宮でいつまでも立ち話をしている訳にはいかない。帰りがけに採集場所に立ち寄って素材を集めたら今日の探索は終了だ。
目的地に辿り着くまでに何度か魔物と戦ったが、いずれもカエルや動くドリアンが相手であったため簡単に倒す事ができた。異臭を放つドリアンの死骸を剣で脇に寄せながらエノクは辺りを見回す。この樹海はこれまでの迷宮と比べて暖かく、見たこともない花が一面に咲き乱れている。遠くから聞こえるのは出入口のすぐ傍にある滝から水が流れ落ちる音だ。穏やかな空気と花の香り、そして水の音に包まれて何をするでもなく佇みながら彼はあくびをひとつ漏らした。こうも穏やかな様子だと眠くなってしまう。
「いやそんなリラックスするなよ。樹海だぞ」
唐突に聞こえた声に思わず硬直する。恐る恐る声のした方を見上げてみれば、そこには見覚えのある黒髪の少年が浮かんでいた。
「うわあああああ!?」
「何だあ!?」
採集をしているモモコの側で魔物がいないか見張っていたサヤが、エノクの叫び声に短刀を抜いて振り返る。オバケが、と口にしかけたエノクだったが、寸でのところで言葉を飲み込んだ。こちらを見ている筈のサヤには少年の姿に気付いた様子が無い。
「俺の姿はお前にしか見えてないみたいだな」
少年が呑気に呟く声を聞きつつ、慌てて叫び返す。
「な、何でもないです! ちょっと虫がいて……」
「ええー何だよ、驚かせんなよな」
呆れたように武器を収めて素材を集めるモモコの元に戻っていくサヤを見送り、エノクはほっと息を吐いた。傍らに浮かぶ少年を見上げてみれば、彼はにやにやと笑ってエノクを見つめている。
「いい驚きっぷりだったな」
「きみ、消えたんじゃなかったのか……?」
「消えた訳じゃない。強い衝撃を受けると実体を維持できなくなるみたいで……まあそんな事はどうでもいい」
エノクからしてみれば決してどうでもいい事ではないのだが。複雑な表情を浮かべる彼の周囲をくるりと一回りし、少年は静かに口を開いた。
「お前、あの娘の話ちゃんと聞いたか? ほら、あの黒髪の」
「……チエリの事?」
「そうそう! かなり悩んでるみたいじゃないか。ほら、今だって」
少年が指さした先にはひとり静かに佇むチエリの姿がある。今日の彼女は探索中も口数が少なく、何か考え込んでいる事が多いように見える。恐らく先日酒場で言っていた悩みが原因なのだろうが、仲間とはいえ年下の少女の内面にずかずかと踏み込むのも気が引けて結局詳しい話は聞けないままだったのだ。
「でも、僕が相談に乗っても力になれそうにないし……」
「逆だ逆。あの娘にいちばん近いのはお前だろ? 新米で、へなちょこで、素質はあるのに頼りない」
「強い衝撃を受けると消えるんだっけ?」
「やめろ!」
剣に手をかけたエノクから慌てて距離を取り、少年はひとつ咳払いをして続ける。
「とにかく。あの盾の女の子だけじゃなくて仲間の事をもっと気にかけてやれ。何かあってからじゃ遅いぞ」
「それは、そうだけど……」
「……お前何を一人でブツブツ言ってる?」
背後からの声に振り向いてみれば、響石が大量に詰まった袋を持ったヘンリエッタが怪訝な顔でエノクを見ていた。
「気味が悪いからやめろ」
「えっ、あー……ごめん……」
「それじゃあ帰りましょうか。糸は使わなくても大丈夫ですね」
採集を終えたモモコが満足げな表情で立ち上がる。出入口に向かって歩き出す大人達の背中から視線を外し、エノクは辺りを見回した。少年の姿はいつの間にか影も形もなくなっている。またそのうちいきなり出てくるのだろうか。急に現れたり消えたりするのは本当にやめてほしいものだが。
少し離れた場所にはチエリがぼんやりと佇み続けている。どうやら他のメンバーが帰還を始めた事に気付いていないらしい。エノクはその頼りなさげな後ろ姿を見て先程の少年の言葉を思い出した。
──いちばん近いのは、僕……か。
数秒迷った後、小さく息を吐いて声をかける。
「チエリ!帰るよ!」
「あ……うん!」
エノクの呼びかけにはっと振り返り、チエリは急いで駆け寄ってくる。隣に並んで歩く彼女の物憂げな横顔に、エノクは結局何も言葉をかける事ができなかった。
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