【SQX】4-3 想い想われ

 襲いかかる魚の群れを一閃のうちに薙ぎ払う。両断されたかみつき魚の頭は体液を噴き出しながら地面に落ちて動かなくなった。もんどりうって泥濘を跳ね回る最後の一匹に刀を突き刺して止めを刺し、チエリはふうと息を吐く。刀を収め、振り返って笑顔でピースサインを掲げる彼女にエノクは手を振って応えた。

 二人で話をしたあの夜以降、チエリには以前のような元気が戻りつつあった。正直なところエノク自身からすると本当に相談に乗れたのか不安なところはあったが、結果的に元気が戻ったのなら何よりだ。

「チエリちゃん、絶好調ですね」

 そう言いながら、まだ使える矢を回収し終えたモモコがエノクの隣にやってくる。

「はい。本当に良かったです」

「……エノク君が元気づけてくれたんでしょう?ありがとうございます」

 エノクは目を丸くした。あの夜の事は誰にも言っていない筈だが、どうやら見抜かれていたらしい。モモコはくすりと笑って肩を竦める。

「大人の私が何か言ってもお説教みたいになってしまいますから。同じ若者のエノク君の言葉の方が響くんでしょうね」

「えっと……僕、そんな大した事は……」

「そうですか? まあ、そういう事にしておきましょう」

「ごめーんモモコ殿! これ壊れた」

 魔物の死骸から使える素材を剥ぎ取ったサヤが泥濘を踏み越えて戻ってくる。その手に握られているのは泥まみれになった木片とツタの残骸だ。あちこちに広がる泥濘に足を取られないようにとモモコが即興で作った"かんじき"……だったものである。探索用の長靴を忘れていたために急遽用意したものだが、やはり有り合わせの材料では強度が足りなかったらしい。

「元々その場しのぎの道具ですから。この先の地面は安定しているようですし、もう外しても大丈夫でしょう」

「了解。さて、だいぶ奥まで来たけど……あいつどこにいるんだろうな」

 あいつ、とは言うまでもなく、迷宮の主の討伐ミッションを受けて単独で迷宮の奥に進んだというカリスの事だ。話を聞くに出発の時点でかなり後れを取ってしまっているようだが、ペルセフォネから直々に頼まれた以上は何が何でも追い付かなければならない。カリスの命も司令部からの信頼も、『スターゲイザー』にとってはどちらも捨て置けないものである。

 地図を広げてこれまでの道筋とまだ探索してない範囲を確認する。地図上で空白となっているのはフロアの西半分の更に南側だ。

「このどこかにいるのかな」

「何にせよ最深部までは行かなければ。急ぎましょう」

 普段の探索の時より幾分かペースを上げて一行は迷宮の奥へと進んでいく。草を踏む足音以外に聞こえるのは微かな水音や茂みの向こうで小動物や魔物が動く音だけだ。他の冒険者の姿は見えない。ミッションの発令に伴い、司令部がフロア奥部への立ち入りを制限しているためだ。ヘンリエッタがふんと鼻を鳴らして呟く。

「五月蝿くなくて良い」

「僕は人がいないとちょっと怖いよ……」

「そうか? 静かだと気配も探りやす……待て、何か聞こえる」

  サヤの言葉に他のメンバーも足を止めて耳を澄ませる。彼の言う通り、どこからか水音とも葉擦れとも違う音が微かに聞こえてくる。何かが空を切る音、鈍い打撃音……これは、戦闘の音だ。四人に目配せをひとつして弓を構えたモモコが、茂みに身を潜めて音の聞こえてくる方向をそっと窺う。前方に広がる光景に彼女は目を細めて低く呟いた。

「戦闘準備を」

「何がいるんですか?」

「ロブ君です」

 問い返す暇もなく、茂みから躍り出たモモコが青年に襲いかかろうとしていたイビルフィッシュの胴を射抜いた。残りの四人もすぐさま彼女の後に続く。

 制圧は間もなく完了した。盾に押し潰されてひしゃげた森林カエルの死骸を水際に寄せ、エノクは剣を収めて背後を振り返った。水路にかかる石造りの橋に座り込み、青年は苦々しい表情を浮かべている。

「……『スターゲイザー』か……助けてくれた事には感謝する……だが、」

 傷を押さえながら立ち上がり、ロブは一番近くにいたエノクに掴みかかる。

「わ!?」

「どうしてカリスを止めなかった!? あいつ一人を危険なミッションに行かせやが、……ッ!!」

 苦しげな表情でエノクに詰め寄っていたロブが、急な衝撃に腹を押さえて踞る。突然二人の間に割り入り、彼の腹を杖で小突いたのはいつにも増して剣呑な表情を浮かべたヘンリエッタだ。慌てて止めようとする手を振り払い、彼女は低い声で言う。

「いい加減にしろ。そうやって私達に責任を押し付けて、自分だけが正しいとでも言うつもりか」

「…………」

「自分の思い通りにならない事を他人のせいにするだけならガキでもできる。喚き散らすのは勝手だが私達になにか言う前に──」

「ヘンリエッタ!」

 エノクがヘンリエッタの肩を強く引く。振り返った彼女を諭すように彼はそっと首を振る。

「言いすぎだ」

「……お前が甘すぎるだけだ」

 ヘンリエッタはそう呟くと杖を鳴らしてロブに治療の巫術を施し、それきり黙り込んだ。やりとりを静観していたサヤが肩を竦めて口を開く。

「お主の言いたい事は分かるけどな、ミッションを受ける受けないは本人と姫様が決めた事だ。某らに介入の余地は無い」

「そりゃ、そうなのかもしれないが、……」

 言葉を切り、青年は悔しそうに顔を伏せた。重苦しい空気が場に満ちる。樹海を音もなく吹き抜ける風に、俯いたロブの焦茶色の髪だけが揺れる。

 数分に満たない筈の空白の時間はその場にいる彼らにとっては何十分にも感じられた。沈黙を切り裂くように、ロブが再び口を開く。

「あいつとオレは海都という街で一緒に育った。ま、幼馴染ってヤツだ」

 足許を見つめたまま、ぽつりぽつりと彼は語る。同じ孤児のカリスとは姉弟のように育った事。幼い頃はよく苛められていた事。自分を苛める子供達をカリスがよく叱っていた事。今でもカリスは自分を守ろうとしている事。修行したから同行したいと言ったカリスを拒絶した事。カリスを想っての言葉が、逆に彼女を樹海へと向かわせてしまった事。

「……どうしてこんな事になっちまったんだ? オレはあいつを危険な目に遭わせたくない。ケガひとつさせたくない」

 静かに語るロブの表情は暗い。握りしめた拳を震わせつつ、彼は振り絞るように呟く。

「だから黙って海都を離れたのに……それが却ってあいつに危険な冒険者の道を選ばせちまったなんて、……」

 沈黙が下りる。その場にいる誰もが複雑な表情を浮かべていた。街でいきなり喧嘩腰に声をかけてきたり樹海で素っ気ない対応をされたりと何かと印象の悪いロブであったが、どうやら彼も彼なりに思うところがあって行動していたらしい。あまりに沈痛な様子を見かねたエノクがそっと口を開く。

「あの……」

「ッばかーーーっ!!」

 突如響いた大声に一同はぎょっと振り返る。五人分の視線を一身に浴びつつ、声を上げた張本人であるチエリはぷるぷると肩を震わせてロブに詰め寄る。

「ばかばかばか! なんであたし達にそれ言うの! そう思ってるならカリスちゃんに直接言ってあげればいいでしょ!!」

「え、ああ……」

「いくら仲が良くたって、気持ちはちゃんと言葉で伝えないと……伝えないと……うっううー……!」

 勢い任せに叫ぶチエリの丸い瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれだす。一同は再び驚愕に目を剥いた。目の前で急に泣き出した少女にロブは狼狽えたように後退る。

「お、おい、なんで泣き……!?」

「あらら……チエリちゃんが泣く事ないでしょうに……」

「お主もしかして怒ると泣くタイプ? ほらこれ使え」

 サヤから渡されたハンカチで大人しく顔を拭うチエリの背中を、モモコが苦笑混じりに撫でる。"なに泣かせてるんだお前"というような表情で再び杖を掲げて青年へ詰め寄ろうとしたヘンリエッタはエノクが慌てて抑えた。

 チエリはごしごしと涙を拭きながら鼻を啜り、小さいながらもはっきりとした声で呟く。

「大事だから心配してるんだって。ちゃんと言ってあげないと、傷つくのはカリスちゃんでしょ」

 少女の言葉にロブは戸惑ったように何度か視線を泳がせ、やがて細く息を吐いてゆっくりと口を開く。

「……それは、……いや、その通りだ。……悪かった」

 わしわしと頭を掻き、彼はほんの数秒だけ目を伏せてから決意の籠った目で『スターゲイザー』を見やる。

「『スターゲイザー』……あいつを止めてくれないか。オレも傷の手当てをしたら追うつもりだが、時間がかかりそうだ」

 カリスを頼む──そう言ってロブは頭を下げる。元よりペルセフォネからミッションを受けた身だ。『スターゲイザー』に断る理由はない。ひとつ頷けば、青年の顔には初めて不器用な笑みが浮かんだ。


   ◆


「……そうデスか。ロブが、そんな事を……」

 一連の経緯を聞き終えたカリスが表情を歪め、ぺこりと頭を下げる。

「すみませんデス。皆さんにはご迷惑をおかけして……」

「気にしないでください。結果的にみんな無事だった訳だし」

 カリスを励ますように応えるエノクの背後で相変わらず機嫌の悪いヘンリエッタがひとつ鼻を鳴らす。

 ロブと別れたあと急いで迷宮を突き進んだ『スターゲイザー』がようやくカリスに追い付いたのは、迷宮の最深部と思われる部屋のすぐ目の前での事だった。運良く間に合ったが、あと少し時間がずれていたらカリスは一人で迷宮の主──魔魚シルルスに挑んでいただろう。

「戦闘ではお役に立てるように……いや、役に立ってみせるデス! 絶対デス!」

「あんま力みすぎんなよー」

 鼻息を荒げつつ意気込むカリスに武具の整理をしていたサヤが呆れたように声をかける。彼女自身の強い願いでこのまま魔魚討伐に挑む事になったが、この調子ではやはり心配である。

 力みすぎない……と呟きつつも逆にガチガチに固まってしまっている彼女に、チエリがひょこひょこと近付いていく。

「頑張ろうねカリスちゃん。特訓の成果みせてやろ! 魔魚だか何だか知らないけど、あたし達とカリスちゃんで協力すればぜったい勝てるよ!」

「! はいデス! ……ここの主を倒せば……アタシ、今度こそロブに認めてもらえるデスかね」

 神妙に呟いたカリスを見やり、チエリは腰に下げた刀にそっと手をやって暫し考え込む。

「カリスちゃんはさ、ロブくんに認めてもらって……それからどうするの?」

 カリスは目を瞬かせた。それから慌てたように辺りを見回し、誰も自分達に注目していない事を確かめるとそっとチエリを手招きして側に寄せる。誘われるがままに耳を寄せれば、カリスはほんのりと頬を染めて小さな声で告げる。

「ずっと隣にいられれば、それで満足なんデス」

 今度はチエリが目を丸くする番だった。カリスは照れたようにはにかんで秘密デスよ、と囁く。少しの間言葉を失っていたチエリは、ほっと肩の力を抜くと彼女につられるように笑った。

 そうだ。そんな単純な事で構わないのだ。そんな些細な事でも前へ進むための原動力になるのならば。

「……やっぱり、あたしが考えすぎてただけだったんだ」

「?」

「ううん、何でもない」

「ところでチエリちゃん、目が腫れてないデスか?」

「え!? い、いや気のせいじゃないかな……」

 それとなく目許を隠すように俯き、チエリは誤魔化すように刀や手甲の位置を直し始める。言うまでもなく目許の腫れの原因はハンカチで涙を拭くのに強く擦りすぎたためだ。感極まって泣いてしまったなどと知られては恥ずかしい。

 怪訝な表情を浮かべたカリスが口を開くより先に、準備できましたか、とモモコが少し離れた場所から二人に声をかける。見てみれば、他のメンバーは既に装備を整えて奥の部屋へ続く扉の前に集まっていた。

「もう行くの?」

「あんまモタモタしてても日が暮れるしな」

「あ! その前に……その、アドバイスとか頂けないデスか? 強い敵と戦う時はどうすればいいか……とか」

「……だそうだぞ」

 カリスの言葉を受けたヘンリエッタが振り向いたのはエノクの方向で、急に話を振られた彼は動揺して思わず盾を取り落とした。

「え!? 僕ですか!?」

「盾持ちはエノク君だけですからね」

「なんかしてやれよ、アドバイス」

「ええ……そんな……うーん……」

 盾を持っているとはいっても、実のところ防御より敵を殴打するのに使っている事の方が多いのだが……と言いかけてエノクは口を閉じる。自分を見るカリスの目があまりにも輝いていたためである。そんな目を向けられてしまってはアドバイスせざるを得ない。考えに考え、ようやく出てきた言葉を絞り出す。

「ガードは冷静に……とか……?」

 カリス以外には微妙な目で見られた。

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