【SQX】5-1 霊堂に這うもの
棚に並べられた盾とその隣に添えられた値札とを見比べ、エノクは思わず溜息を吐いた。盾を新調するつもりでこうして商店へやって来たが、つい先日発見されたばかりの素材を使った最新作ともなると流石に高価だ。購入は見送るか、もしくはもう少し安価なものを選ぶ方がいいだろう。
振り向いてみれば、一緒に買い物にやって来たチエリもまた別の棚の前で足を止めて商品を吟味していた。そっと近付き、彼女の手元を覗き込む。その手の中にあったのは新品の靴だ。
「靴を買うの?」
「うん。今のやつだいぶ傷んじゃったから」
そう言うとチエリは手にしていた靴を掲げて店の奥で何やら勘定をしている店主に向かって声を上げる。
「すいませーん! これください」
「おお、それにするのかや? 流石にお目が高い。……お主は何も買わぬのか」
不満げな様子を隠そうともせずに、店主がエノクをじろりと睨む。急に話を振られたエノクはええっと、と誤魔化すように視線を泳がせた。
「いやその……盾は高くて……」
「えー、ダメだよエノクくん」
チエリが懐から財布を取り出しながら言う。
「防具にはお金かけなきゃ。うちのお母さんも言ってたよ、『買わない理由が値段なら買いなさい、買う理由が値段ならやめなさい』って」
「おお、至言じゃのう。まったくその通りじゃ。今日買った装備品が明日の自分の命運を左右するかも知れぬのだぞ?ここでカネを使わずにいつ使う?」
「そ、そうですかね……」
「そうだよー。だから買っちゃお?」
「明日には売り切れておるかもしれぬぞ」
エノクは困惑した。商魂たくましい店主がセールストークをしてくるのは分かるが、何故チエリまで自分を言いくるめようとしているのだろう。とはいえ二人の言っている事は至極真っ当だ。今の傷だらけの盾を使い続けるより、高価で高品質な新品の盾に買い換える方がいいに決まっている。
数千円の出費になるが、必要経費なのだからモモコも許してくれるだろう。そう結論付け、エノクは先ほど見ていた盾を手に取って店主に指し示す。
「じゃあこれ……新作の盾をひとつ……」
「毎度あり!」
エノクから代金を受け取ると店主はからからと笑い、チエリを連れてカウンターの奥へ入っていく。二人が向かっていったのは職人達の作業場である。この店では防具のサイズを各個人に合わせて調整してくれるサービスも行っているのだ。チエリの足のサイズは成長途中の少女のそれであるため、当然靴は店頭に並んでいるものより小さめに調整しなければならない。
エノクが棚に詰め込まれた商品を眺めながら作業が終わるのを待っていると、背後の扉から誰かが店に入ってくる気配がした。振り返って見てみれば、そこには見覚えのある顔がひとつ。相手もすぐにエノクの姿に気付いて声を上げる。
「こんにちは! 久し振りだね」
「えっと……『ウルスラグナ』のニーナさん」
「そうそう。元気にしてた?」
薬品の棚からネクタルを取りながらニーナは明るい笑みを浮かべる。彼女とこうして話をするのはワイバーンを討伐した後に一度顔を合わせて以来だ。原始ノ大密林で初めて出会った時と同じ鎧に身を包んだ彼女にエノクは笑顔で答える。
「はい。何とかやってます」
「垂水ノ樹海のボスも倒したんだって? あなた達やっぱりすごいね」
「いや、あの時は協力してくれた人がいたので……ニーナさんは今どこを探索してるんですか?」
「第五迷宮だよ。新しく見付かった霊堂」
「あ、僕達と同じですね」
「最近は皆あそこに押しかけてるからね。……そういえば聞いた?不審者が出るって話」
エノクは目を瞬かせた。第五迷宮──真南ノ霊堂に出入りし始めて数日が経つが、そんな話は初めて聞く。首を横に振れば、ニーナは私も実際に遭ったことはないんだけど、と前置いて話しだす。
「一階の奥を探索してたギルドが見たんだって。森の奥を一人で歩いてる怪しい人影があったって……司令部が調査してる最中だからまだ情報は表に出てないけど、他にも同じものを見た冒険者が何人もいるみたい」
「へええ……」
だが、それだけ聞くとソロで探索している冒険者が奥地へ迷い込んでしまったというだけの話にも思える。不審者と断定するにはまだ早いのではないだろうか。そう訊ねたエノクにニーナは頬を掻きながら応える。
「いやそれがね。その人影っていうのが、色黒で、刀を持ってて、薄汚れてて」
「はあ」
「上半身が裸の男だったんだって」
「ふ、不審者だ!」
そこまで来るともう紛れもなく不審者だ。半裸の冒険者なんていない、と断言する事はできないが、少なくとも半裸の薄汚れた男が一人で迷宮を歩いていたらそれはもう不審どころの話ではない。ニーナもそうでしょ、と苦笑を浮かべる。
「まあ本当に不審者なのかは置いといて、何事も用心するに越した事はないからね」
「そうですね……僕達も気を付けます」
「お待たせエノクくん!」
ちょうど会話が途切れたタイミングを見計らったかのように店の奥からチエリが元気よく駆けてくる。どうやら靴のサイズ調整は完了したらしい。エノクは足許に置いていた荷物を抱え上げる。今日の用事はこれで完了である。薬品を抱えたニーナに向き直り、軽く頭を下げた。
「僕らはお先に失礼します」
「うん、さよなら。またね!」
ひらりと手を振ってカウンターへ向かっていく背中を見送り、エノクはチエリと共に店を後にする。一度宿に帰って準備をした後は探索に出る予定なのだ。行き先は他でもない、不審者が出るという第五迷宮である。
「不審者ですか。それはいけませんね」
伐採をする手は止めないままに、モモコが眉を下げてそう呟く。対して、周囲を警戒しながらエノクの話を聞いていたサヤは怪訝な表情で首を傾げた。
「でも、ただ不審ってだけで何か害があった訳じゃないんだろ?」
「油断は禁物です。もしかしたら放火殺人犯かもしれませんし」
「放火殺人犯!?」
「あ、いえ、そうと決まった訳ではないですよ。ただ、私がラガードで遭った不審者はそうだったので……」
「体験談!?」
「ラガードの樹海は魔境か何かか?」
ヘンリエッタの突っ込みにモモコは曖昧な笑みを返した。彼女が敢えて否定しなかった事に軽い恐怖を覚えつつ、エノクはマギニアがここレムリアに到着した日の事を思い出す。マギニアに乗り込んだ冒険者の中には犯罪者紛いのならず者も混ざっている……そう言っていたのは確か、ミュラーだっただろうか。ひとくくりに冒険者といってもその出自や内に秘める野望は様々だ。噂の不審者が悪意を持ってマギニアに乗り込んだ人間であるという可能性も否定できない。
気を引き締めていこう、とこっそり決意を新たにするエノクの隣でモモコがあっと声を上げる。見てみれば彼女の手には見るからに硬そうな木材が握られていた。今日の目的の品、鉄刀木である。
「終わった終わった。そんじゃ帰るか」
「えー、もう帰るの?」
アリアドネの糸を取り出したサヤに対して声を上げたのはチエリである。つい数時間前に買ってきたばかりの靴を指さし、彼女は不満げに言う。
「もうちょっと歩いていこうよ。明日あたり次の階に進むんでしょ? その前に履き慣らしておきたいもん」
「そうですね……じゃあ歩いて帰りましょうか。異論のある人?」
「僕は大丈夫です」
「別に……」
「皆がそう言うなら某も別に良いぜ。でも近道は使おうな」
そういう訳で、元きた道を歩いて戻る事になった。上り階段までは直線距離ではそう大した長さではないのだが、辿り着くまでに高台のようになっている低い壁を上ったり下りたりを繰り返さなくてはならない。これがなかなか厄介な構造なのだ。地図を描くのにもたいへん苦労した。なにせ普通の床に加えて高台の上まで道のりを記録しなければならないのだから、手間がかかる事この上ないのである。地図を手に先行しつつサヤがぼやく。
「この先もこんな造りになってるのかねー。大変だこりゃ」
「何が大変だ……軽々歩いてるくせに……」
額に滲む汗を拭ったヘンリエッタが忌々しげに呟くのをサヤは笑って受け流す。軽やかに段差を上って高台に立った彼は、辺りを見回してふと足を止めた。一点を見つめたまま動かなくなるその姿を見てすぐ後ろに続いていたエノクが声をかける。
「どうしたんですか?」
「あれ見ろ」
いつもより幾分か低い声でそう言い、サヤが眼下に広がる茂みを指さす。少し離れたその場所によくよく 目を凝らしてみてエノクはぎょっとした。茂みの中からはみ出ているのは、人間の足だ。
思わず駆け出そうとしたエノクを押し留め、サヤはマフラーを口許まで引き上げて呟く。
「某が見てくる」
言うや否や高台を飛び下りて音もなく着地したサヤは、気配を殺してゆっくりと茂みの中へ進んでいく。残された四人は固唾を呑んでその背中を見守る。木々の隙間を縫うようにして目的の場所まで辿り着いたサヤが、足の持ち主の姿を確かめる──その時、モモコが叫んだ。
「敵襲!」
はっとしたサヤが短刀を抜き、振り返りざまに宙に掲げる。彼の首筋に食らいつこうと飛びかかっていた赤い狼は勢い余って自らその刃に食らいつき、悲鳴を上げて後退した。
先んじてサヤを急襲した一体に呼応するように、周囲に続々と狼達が現れる。ダイアーウルフの群れだ。どうやらあの人間の足を確かめに来たのは自分達だけではなかったらしい。逃げようとする間さえ与えず狼達は敵意をあらわに襲いかかってくる。
懐に飛び込んできた一体の脳天に盾を叩きつけて気絶させ、エノクは三体のダイアーウルフを相手に一人立ち回るサヤの援護に向かう。
「あっちは大丈夫か!?」
「数が少ないから大丈夫!」
そう答えて剣を振るいつつ、壁の上で応戦を続ける女性陣の様子を窺う。少し心配していたが、どうやら杞憂だったようである。モモコに目や脚を射抜かれて怯んだ狼をチエリとヘンリエッタがばっさばっさと殴り倒している姿が見えた。心配どころかむしろあちらの方がよほど頼りがいがありそうだ。
と、そんな事を考えている間にダイアーウルフが一体エノクの背後に回り込む。慌てて振り向いて盾を構える……が、それより先にどこからか飛んできた槍の一撃を受けて獣は地面に転がった。赤いタータン柄のマントが揺れるのを視界の端に捉えつつ、エノクは目の前に迫っていた一体の首筋を剣で深く裂いた。血を吐いてもがく狼にもう一度剣を突き立て、ついに動きを止めたのを見てようやく肩の力を抜く。剣を引き抜いて鞘に収めたところで耳許に少年の囁く声が響いた。
「ほーら、やっぱり頼りない」
からかうような声色に思わず悪態をつきそうになるのをぐっと堪える。サヤに気付かれないように文句でも言ってやろうと振り返るが、先程まであった筈の少年の姿はもうそこには無かった。エノクは溜息を吐く。あのオバケもどきにも慣れてきたが、それはそれで厄介なものがある。
サヤと女性陣もそれぞれ戦闘を終えたようであった。短刀に付着した血を払いつつサヤが近付いてくる。
「お疲れ~。いやあ急に来たからびっくりしたな」
「そうだね。しかもよりにもよって狼……怖かった……」
「あー。お主、最初の霊堂で狼に襲われたもんな……っと、それどころじゃなかった」
狼の死骸を踏み越え、サヤは目指していた場所へと駆けていく。すぐ近くで戦闘があったにも関わらず、例の足は微動だにせずそこに横たわり続けていた。エノクもサヤの後を追い、彼の背中越しに恐る恐る茂みの向こうを覗き込む。
そこに倒れていたのは一人の男だった。ぐったりした様子だが、息はある。その事に安堵しつつエノクは首を傾げた。
「遭難した冒険者……かな?」
「……いや、よく見ろ」
言われた通り男の姿を観察してみる。ぼさぼさになった黒い髪、大小様々な傷が刻まれた褐色の肌、腰に下げた刀、何故か裸の上半身……と、そこでようやくある事に思い至った。彼の特徴と合致する人物の情報を、自分は知っている。
「まさか……不審者ってこの人!?」
「多分な。どうする? とりあえず司令部に報告か」
「その前に怪我の治療を……」
「二人とも大丈夫ー!?」
会話を遮るように呼びかけつつ、チエリが高台から下りて駆け寄ってくる。二人の無事を確認してほっとした表情を浮かべた彼女はしかし、倒れている男の姿を見てさっと顔を青くした。どうしたのかと問われるより先に、震えた声でチエリは呟く。
「く……クチナさん……」
エノクとサヤは顔を見合わせる。チエリを追ってきていたモモコからすっと表情が消えた。はっとして口を押さえる少女につかつかと歩み寄り、モモコは彼女の肩にぽんと手を置く。軽く置かれただけのその手はまるで重石のようにチエリの動きを封じた。
「知り合いですか?」
「あう……いや、その……」
「知り合いなんですね?」
「は、はい……」
蚊の鳴くような返事にモモコは重い重い息を吐いた。チエリの肩から手を離し、つられて固まっていた男性陣に指示を出す。
「街へ連れて帰ります。エノク君、サヤ君、彼を運んでもらえますか?」
「あっはい」
「了解っす」
てきぱきと動き出す二人を横目にモモコはチエリに向かって淡々と告げる。
「詳しい話は帰ってから聞きます。良いですね」
モモコから放たれるプレッシャーに完全に敗北したチエリは声も出ないままにこくこくと頷いた。その目には涙すら浮かんでいる。
ダイアーウルフの死骸から使える素材を剥ぎ取っていたヘンリエッタは、ようやく追い付いた仲間達の微妙に張りつめた空気にぱちりと目を瞬かせた。
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