【SQX】5-2 クチナ

「いやーありがとう! 助かった」

 呑気な口調でそう言う男に、カルテに鉛筆を走らせていたマリアンヌははぁ、と気の抜けた声を返した。急遽運んできた余り物のパンやスープを次々と口に放り込みながら彼は続ける。

「お腹がめちゃめちゃ空いててな、気付いたら倒れてたんだ。見つけてくれる人がいて良かった」

「……つまり、空腹で倒れたと?」

「そうそう!」

 あっけらかんとした返事にマリアンヌは閉口し、後ろに控えて医療器具の整理をしていたヘンリエッタは眉間のシワを深くした。聞けば聞くほど何もかもが腑に落ちない。

 『スターゲイザー』が真南ノ霊堂で拾ってこの治療院まで運んできたこの男、名前はクチナというらしいがどうにも怪しい。一人で迷宮をふらついていたのもそうだが、行き倒れていた割にはあまりにも元気すぎるのだ。意識を失うほど極度の空腹状態にあった人間が目覚めてすぐさま起き上がり、「ごめんけど何か食べ物くれない?」などと言えるだろうか。

 ふうと息を吐いてカルテを閉じ、男に一声かけるとマリアンヌはヘンリエッタを連れて一度部屋を出た。いつにも増して機嫌の悪いヘンリエッタは射殺さんばかりの視線を彼女に投げかけつつ小さな声で言う。

「どう考えてもおかしい」

「だよなあ。お前達、ヤバいの拾ってきたんじゃないか?」

 返答はない。マリアンヌはひとつ肩を竦めた。

「まあ、担ぎ込まれてきた以上は彼も患者だ。快復するまでは面倒を見ないとね……もう少し具合を見ておきたいから手伝ってくれるかい?」

「お前……私を勝手に放り出しておいてよくもぬけぬけと……」

「それについてはまた後で。患者の前で喧嘩はご法度だろう?」

「…………」

 黙り込むヘンリエッタの頭をぽんと撫でてマリアンヌは病室の扉を開き、そして絶句した。固まって動かない彼女の肩越しに部屋を覗き込んだヘンリエッタも同じように言葉を失う。二人の姿に気付いた男はにっこり笑い、あっけらかんと言う。

「これ邪魔だったから外したぞ」

 彼が示したのはベッドの脇に積まれた包帯やガーゼの山だ。つい先程まで彼の身体に宛がわれていたそれらが全て外されている事については、まだ反応のしようがある。二人が驚愕したのはそこではない。

 彼の身体、つい数十分前に手当てしたばかりの大小様々な傷達は、どれもすっかり塞がって傷痕を残すばかりになっていた。


   ◆


 モモコは頭を抱えた。見事なまでの落ち込み具合であった。対面して座っていたチエリが彼女の姿を見てますます深く俯く。

「うう……ごめんなさい……」

「……大きな事件が続いてすっかり忘れてましたけど、そういえば言ってましたね。ここまで連れてきてくれた人がいた、って……」

 どうして追及してなかったんでしょう……と撃沈するモモコに戸惑いつつ、エノクがこれまでのチエリの話を軽く纏める。

「ええと、つまりチエリはあのクチナさんって人と一緒にマギニアまで来たんだけど、いつの間にかはぐれて、一人で迷子になってたところを僕らと合流した……って事だったんだね」

「うん。でもまさか、こんな風に再会するなんて……」

 確かに夢にも思わないだろう。まさか知り合いが迷宮で遭難して、挙句の果てに不審者扱いされているなどとは。そしてモモコもまさか知人の娘があんな怪しい男と行動を共にしていたとは思いもしなかっただろう。ご両親にどう説明すれば……という呟きはあまりにも悲嘆に満ちていた。

 長く重い息をひとつ吐き、モモコは力のこもっていない声でチエリに問う。

「そもそもどうして彼と一緒にいたんです? 元々知り合いだった訳ではないでしょう」

「……お父さんの事を知ってたの。あたしの顔を見たときに、あいつの娘か、って言われた」

「……何ですって?」

「あたしだって疑ってなかった訳じゃないよ! でもお金出してくれたし、変な事はされなかったし……お父さんの事すごく気にかけてるみたいだったから……」

 段々と自信を失っていくチエリの言葉にモモコは神妙な表情を浮かべて黙り込む。応接室には沈黙が下り、部屋を仕切るパーテーションの向こうでサヤとマナが楽しげに遊んでいる声だけが谺する。みてみてこれかわいいでしょー。はっはっはマナ殿は折り紙が上手だなー。

 そんな重苦しい空気を打ち破るように、出入り口の扉が開く音が響く。茶菓子を手に部屋に入ってきたノワールはあまりにも静かな雰囲気に一瞬目を剥き、すぐに呆れたような溜息を吐いた。

「何を落ち込んでる。あの男をどうするか話し合うんじゃなかったのか」

 彼の一言にモモコがそうでした、と呟いて顔を上げた。肩を竦めるノワールの元に、パーテーションの向こう側から出てきたマナが嬉しそうな声を上げて飛びついてくる。

「ノワールおかえり! みてーサヤといっしょにスリケンつくったの」

「スリケン……?」

「これこれ。折り紙で手裏剣作ったんすよ」

「子供に暗器の作り方を教えるな。病院で暗器を出すな」

 懐から何気なく本物の手裏剣を取り出したサヤをノワールが叱りつけるのを横目に、モモコはううんと唸って呟く。

「まあ、悩んだところで今更ですしね……なんであんな場所にいたのかは気になりますが……」

「それは本人に聞こうよ。もう目が覚めたかな?」

「そうだね、マリアンヌさんに……」

 その時であった。開けっ放しの扉の向こうから勢いよく階段を駆け下りてくる音が響いてくる。何事かと振り向くより先に、廊下を駆け抜けたマリアンヌが全速力のまま部屋に飛び込んできた。彼女に手を引かれる形で引きずられているのはヘンリエッタと例のクチナという男の二人である。急な登場に唖然とする一同を見回し、マリアンヌは鬼気迫った表情で言う。

「エノク! ギルドリーダーは君だったね!?」

「え!? あ、はい」

「今すぐ! 彼をギルドに登録してきなさい! 本人とヘンリエッタもおまけでつけるから! 早く!!」

「は、はあ……」

 話がまったく読めないが、どうにも有無を言わさぬ雰囲気だ。ぐいぐいと押されるままに連れ出されていくエノク含む計三人を引っ張って廊下へ戻っていくマリアンヌを見送り、残された五人は顔を見合わせる。

「あの人、もしかして冒険者登録してないのか?」

「してないと捕まっちゃうんだよね」

「マナしってる。フホータイザイでしょ」

「捕まるどころか、この病院の経営も危ういな」

「形はどうあれ密入国者を匿ってた事になりますからね」

 一瞬の間を置き、揃って溜息を吐いた。何だかどんどん面倒な事になってきている気がする。


 夕暮れ時の大通りは探索帰りの冒険者の姿で溢れ返っている。一見ちぐはぐな三人の姿も、世界各国から集まった冒険者達に混ざってしまえば驚くほど自然に街の中に溶け込んだ。

 冒険者ギルドの中は諸般の手続きのために訪れた冒険者たちで混雑していた。備え付けの長椅子に腰かけて受付の順番を待ちながら、エノクは自分の右側に目をやった。いつもと同じように帽子を目深に被ったヘンリエッタが俯きがちに座っている。ちらりと覗く口許を見るにそこまで機嫌が悪い訳ではなさそうだ。次いで左側を見やる。色黒の男はふんふんと鼻歌をうたいながら物珍しげに辺りを見回しては目を輝かせている。当然ながら彼も今はきちんと服を着ている。

 エノクは妙に気まずい気分になった。三人で並んでいるのに会話のひとつも無いのはおかしいのではないか。暫し逡巡し、エノクは意を決して左側の男に向かって声をかける。

「……あの……お名前、クチナさんで良かったですか?」

「うん? そうだぞ。よろしくなー」

「あ……僕はエノクっていいます。その、何であんな場所に倒れてたんですか?」

「お腹空いてたのと、あと道に迷ってたのと。あのベースキャンプってやつ冒険者じゃないと入れなかったからな。やー困った困った」

「はあ……」

「でも登録ってやつをすれば生活にも困らないようになるんだな?やったー」

 クチナはそう言って呑気な表情で笑う。エノクは思わず頬を掻いた。チエリの言っていた通り悪い人ではなさそうだが、何というか全体的にフワフワした雰囲気だ。浮世離れしているとでも言えばいいのか。

「ギルドに入ったら僕らと探索してもらう事になると思うんですけど……」

「ん? おまえ達もう五人もいるんだろう。おれが無理に入らなくても良くないか?」

「え!? それは……」

「『スターゲイザー』!順番が空いたぞ!」

 思いもよらなかった返答に戸惑うエノクの言葉を遮るように、顔馴染みの衛士が声をかけてくる。慌てて受付へ向かえば、少々くたびれた様子のミュラーが三人を待ち構えていた。彼はこの冒険者ギルドのトップであるにも関わらず、こうして一般職員に混ざって受付業務をこなしている姿がよく見られる。人手不足云々というよりは、ミュラー自身の意向なのだろう。

 彼は『スターゲイザー』の姿を認めると、書類を整理する手を止めて軽く片手を挙げる。

「やあ。探索は順調か?」

「ぼちぼちだ」

「それは何より。……そちらの彼は?初めて見る顔だが」

「あ、今日はこの人の登録をしたくて……」

「登録? 他ギルドからの移籍ではなく?」

 怪訝な表情を浮かべるミュラーにエノクは言葉を詰まらせた。当然だ、まさかレムリアに到着して数ヶ月にもなって、未だに冒険者登録を行っていない人間がいるとは誰も思うまい。どう説明したものかと焦るエノクの服の裾をヘンリエッタがそっと引いて口を開く。

「到着してすぐに体調を崩して静養していたから登録ができていない。診断書はここにある」

「ふむ……どうして今まで手続きに来なかった?」

「代理登録は原則認められていない筈だろう。心配しなくても別にやましい事なんて無い」

「…………まあ良いだろう。ではここに必要事項の記入を」

「はーい」

 渡された申込書に必要事項をさらさらと記入していくクチナを見てもう一度怪訝に首を傾げ、ミュラーはヘンリエッタから受け取った書類──マリアンヌが超特急で仕上げたものである──を手に受付の奥へと引っ込んでいく。その後ろ姿が完全に見えなくなったのを確認し、エノクはヘンリエッタに小声で訊ねた。

「さっきのアレ、大丈夫なの……? 書類の捏造じゃ……」

「大丈夫じゃないに決まってる!」

「だよね……」

「バレたら制裁、かといって正直にこれまでの経緯を話しても制裁、私達だけじゃなくてマリアンヌにも後は無いんだ」

「も、申し訳ないことしたなあ……」

 後でお詫びの品でも買っていこう……とこっそり心に決めるエノクの隣でクチナができたー! と声を上げて記入を終えた申込書を掲げる。しかしエノクが覗き込む前にその紙は奥から戻ってきたミュラーの手に渡ってしまったため、彼がいったい何という職業で登録したのかは分からなかった。

「承ろう。……ところで『スターゲイザー』、先ほど司令部から連絡が入った。姫様がお前達をお呼びだそうだ」

「ペルセフォネ様がですか?」

「ああ、真南ノ霊堂の探索について話をしたいと」

 エノクとヘンリエッタは顔を見合わせた。ペルセフォネからの直々の呼び出しは今回に始まった事ではない。恐らく今回も例のごとく霊堂探索に関する何らかのミッションが発令されるのだろう。国のトップに重用されるというのは少々荷が重いが、こうしてマギニアに籍を置いて活動している以上、司令部の指示に従うのは冒険者の義務だ。

 ひとつ息を吐き、どこか遠い目をしてミュラーが呟く。

「姫様は急いでいらっしゃるのだ。いち早くレムリアの秘宝を見つけ出し、約束された繁栄をマギニアに、と。少し性急すぎる気もするが……」

 エノク達が何か応える前にはっとしたように言葉を切り、彼は曖昧に微笑む。

「ともかく、頼んだぞ。お前達が頼りだからな」

 そう言って手を振るミュラーに見送られつつ冒険者ギルドを出れば、辺りは既に日が沈んで薄暗くなりつつあった。一度治療院に戻って他のメンバーと合流するより、このまま司令部に赴いて夜遅くなる前にペルセフォネに謁見する方がいいだろう。

 司令部への道を歩きつつ、エノクはクチナを振り返る。

「クチナさんは先に戻ってても良いですけど……」

「いや、帰る道分かんないから」

「あっそうでしたね……」

 今度は街の中で迷子になられてしまっては困る。姫の前で余計な口をきくなよ、とヘンリエッタが睨み付ければ、クチナは気の抜けた表情ではーいと応えた。

「ところで、マミナミノレイドウって何だ?」

「お前が遭難していた迷宮だ」

「あーあそこか! うーん……」

 何事か考え込む様子を見せるクチナをエノクとヘンリエッタは怪訝な表情で見守る。しかしこの男、出会って数時間余りしか経っていないにも関わらずやたらとフレンドリーというか、距離感が謎である。かかわり合いになって本当に良かったのだろうか。

 暫しの沈黙の後、彼はよーし! と手を打ち合わせて二人に向き直った。その顔は満面の笑みである。

「じゃあおれも手伝うぞー!」

「……何を?」

「探索!!」

「はあ」

「助けてくれた恩返しだ」

 ふんす! と得意げにふんぞり返る男を二人は唖然と見た。そんな事を何の脈絡もなく急に言われたところで、そうですか……としか言いようがないのである。

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