【SQX】5-3 STRUGGLE!
真南ノ霊堂の最奥部、地下五階は慌ただしい雰囲気に満ちていた。普段は魔物達の息づかいしか聞こえない静かな迷宮も今日ばかりはそうではない。野営地が置かれた小部屋の中は衛士や冒険者の姿で溢れてさながらベースキャンプのような様相を見せていた。
急遽設営されたテントの中、装備の確認を終えて一時休憩していたエノクが膝の上に地図を広げる。この迷宮の地図はほぼ完成している。残るはフロアの中央部、迷宮の主が鎮座する大部屋だけなのだが。
「あんなの本当に倒せるのかな……」
「倒さなきゃどうにもなんねえだろ」
呆れたように応えたサヤにエノクはだよねえと肩を落とす。以前『スターゲイザー』が発見した東土ノ霊堂がそうであったように、この霊堂にも次の島へと通じる磁軸がある──司令部はそう推測している。だが、例によって磁軸があるであろう最奥部へ向かうには迷宮の主を倒さねばならず、そしてその主というのが問題なのだ。
『大いなる背甲獣』と名付けられたその魔物はとにかく巨大であった。目視で測っただけでも二階建ての家屋程度の身長はあるだろうか。しかも大きいだけでなく、目についた侵入者を排除しようと存外に素早い動きで攻撃を繰り出してくるのだ。目につく場所に立っただけですぐさま近寄ってきてその巨大な前足で薙ぎ払ってくるのだから冒険者からしてみれば堪ったものではない。
山のような巨体をもって立ち塞がるあの獣を、どのようにして打ち倒すか。司令部が下した結論は単純なものであった。あの魔物は確かに強大だ。巨大な体躯にあの反応速度、まともにやりあってはタダでは済まない。だが、個としての力が遠く及ばないのならば、その分こちらは数をぶつけてやれば良い。
そうして実行されたのが今回の討伐作戦である。まず囮を用意し、敵の注意を引いて撹乱。その間に大部屋に突入した交戦部隊が足許から相手を攻撃、それに合わせて壁の向こう側から衛士隊の射撃部隊や遠距離射撃に長けた冒険者が狙撃によって足許からの攻撃が届かない上半身に少しずつダメージを与えていく、といった方針だ。
『スターゲイザー』に与えられたのは当然、魔物と直接交戦する役割である。今までの迷宮で数々の強敵を打ち破ってきた実力を買われての配置であるが、想像以上の重責にエノクの胃は爆発寸前であった。
「上手くいけばいいけどな。本当に数でどうにかなる相手なのかもはっきりしない訳だし」
「もし作戦が失敗したら?」
「考えるだけ損ですよ」
鞄に薬品を詰め直しながらモモコが言う。それはそうだ、とエノクはうなだれた。迷宮での『失敗』とは即ち、死である。
「『スターゲイザー』!……えっ、どうしたの?大丈夫……?」
微妙な空気になったテントの中をひょっこりと覗き込んだのは大鎌を抱えたレオである。彼も今回の作戦に参加している一人だ。準備を終えたモモコが大丈夫ですよと応える。
「もう時間ですか」
「はい。そろそろ配置につくようにと」
「りょうか~い。よし行くぞ」
外へと出ていけば、先程まで周囲にあった衛士や冒険者の姿はほとんど無くなっていた。すっかり静かになった広間の中、大部屋に続く扉の前に立っているのは先に外に出ていたチエリとヘンリエッタともう一人。
「やっほー。頑張ろうな!」
そう言って、相変わらず半裸のクチナは片手に握った刀を掲げて呑気に笑った。
◇
「じゃあおれが囮やるぞ」
ペルセフォネから呼び出された折、ミッションの説明と討伐作戦の提案を受けた際の事である。あっけらかんと言った男に真っ先に反応したのはペルセフォネだった。彼女は困惑の表情を浮かべてクチナに向かって問いかける。
「汝は新人なのだろう?囮の大役はいささか荷が重いような気もするが……」
「いやー逆に連携とれてる所に急に入ってもまずいかなーって。おれあそこ一人でウロウロしてたから結構いける自信あるぞ!」
ペルセフォネは不安が隠しきれない目でエノクとヘンリエッタを見やる。二人は何も応える事ができなかった。困惑しているのはこちらも同じだったのである。何を根拠にそうも自信満々でいられるのか。
三人分の何ともいえない視線を感じ取ったらしいクチナは何度か目を瞬かせ、うーんと首を捻ると腰に下げていた刀をおもむろに引き抜く。はっとした近衛兵が駆け寄ってくるより先に、彼は抜き放った刃を翻すと自身の腕に軽く食い込ませた。みるみる滲み出す鮮血に一同は絶句する。
「なっ……」
「何してるんですか!?」
周囲の動揺をよそに、当の本人は事も無げに血の滴る腕を掲げる。
「まー見ててくれ」
異変はすぐに起こった。だらだらと流れていた血がぴたりと止まり、真一文字に裂かれた皮膚が見る間に癒着していく。時計を早回しにでもしているかのような光景にその場の誰もが目を奪われた。時間にしてほんの十数秒、床に落ちた血が乾ききらない程の短時間で、クチナの腕の傷は傷痕すら残さずに治癒していた。
辺りが静まり返る中、クチナは溢れた血液を上着の袖で拭い取る。光沢のある石の床に血の染みが残っていない事を確認してから彼は顔を上げる。
「な?おれ、身体が丈夫なんだ。囮にはちょうどいいだろ」
「……汝、何者だ?」
張りつめた声色で問いかけるペルセフォネにクチナはにっこりと笑った。
「ちょっとだけ特別なんだ。それだけだ」
◆
──杞憂だった。完全にこちらの思い過ごしだった。辺りに飛び散る岩の破片を盾で防ぎながら、エノクは東側の壁の上に視線をやる。クチナは囮としての仕事を堅実にこなしていた。高台を駆け回って敵の注意を引き、飛んできた前足に隙を見て斬撃を叩き込みすぐさま離脱。怪我のひとつも負っていない、見事なまでの立ち回りだった。
むしろ手こずっているのは足許で交戦しているこちらの部隊の方である。大いなる背甲獣本体だけならばまだ何とかなるのだが、いつの間にか呼び寄せられていた取り巻きの魔物達が厄介だ。ドクロのような姿をしたその魔物が吐き出す霧に触れると、どういう訳か身体の力が抜けていくのである。
「ヘンリエッタ!回復!」
「今やってる!」
サヤの指示に怒号で応え、ヘンリエッタが杖を乱雑に打ち鳴らす。巫術の効能によって傷は少しずつ癒えていくのだが、身体の妙な怠さが抜けない。
大いなる背甲獣が丸めていた身体をぐっと伸ばし、天に向かって咆哮を上げる。脳まで揺さぶられるような轟音に目眩がして思わず足を止めたエノクのマントを駆け込んできたチエリが思いきり引く。勢いのまま二、三歩後退し、先程まで自分がいた場所に黒い炎が走るのを見たエノクはすぐさま我に返って剣と盾を構え直した。
「ごめんチエリ、ありがとう」
「しっかりしてよねー!」
一声応え、少女は魔物の側面から回り込むように駆けていく。エノクもまた気付かないうちに増えていたドクロの魔物の元へ駆け込み、その脳天に盾を振り下ろした。砕けた頭蓋が塵となって消えていくのを見送り、もう一度辺りを見回す。
全体的に見れば、戦況はこちらに有利に動いているだろう。敵はクチナに翻弄されて攻撃の狙いをつけられずにいるし、あのドクロも霧が厄介である事を除けばそう大した脅威ではない。狙撃部隊による遠距離攻撃も上手くいっている。先程も誰かが放った雷の術式が頭部に直撃しているのを確認したところだ。相手に手傷を負わせる事はできている。しかしどれも魔物に致命的なダメージを与えるまでには至っていない。
「決定力が足りませんね」
前線から下がってきたモモコが額に滲む汗を拭いつつ呟く。その顔色がひどく悪い事に気付いたエノクは慌てて鞄からテリアカβの瓶を取り出した。モモコはありがとうございますと苦笑し、震える手で小瓶を受け取るとすぐさま中身を喉の奥へ流し込む。
「あいつ、毒も撒くんですね」
「ええ……それに、あちらも流石に頭が回るようです。狙撃が途絶えたのに気付きましたか?」
「……まさか、あっちにも攻撃を?」
「……こちらにも湧いてきましたね」
空になった瓶を投げ捨てたモモコの視線の先で例のドクロが浮遊している。彼女が弓を構えるのを横目にエノクも再び前線へと走り出した。道中にすれ違ったドクロを盾で叩き潰しつつ、外側から回り込むようにして大いなる背甲獣へ近付く。鋭い爪の斬撃を盾で受け流して太い後ろ足に剣を突き立てるが、思ったような手応えは得られない。
「下手に入れると折れるぞ!」
振り回された尻尾の一撃をかい潜って回り込んできたサヤが叫ぶ。確かに無理に押し込めば剣の方が折れてしまいそうな感触がある。やはり迷宮の主ともなれば、皮膚も肉も普通の魔物より丈夫な構造をしているらしい。
反対側の脚の近くにいるチエリを見てみれば、彼女も同じように刃がなかなか通らずに手こずっているようだった。とはいえ流石に刀の切れ味は侮れない。あちら側の脚の方がダメージは深いようだ。
「某はチエリの援護に回る!お主は取り巻きを潰せ!」
サヤの指示にはっとして振り返ってみれば、先程倒した筈のドクロがまたも湧き出していた。黒い霧を吐き出し続けるドクロを薙ぎ払い、エノクは視線を巡らせて歯噛みする。これではキリがない。こうして取り巻きに気を取られている間にも、こちらの体力は徐々に削られているのだ。狙撃部隊にはレオ達がついているが、応戦するにも限界がある。しかし打開策が何も思い浮かばない。
焦りをぶつけるように剣を叩きつけてドクロに止めを刺す彼の視界の端で、ひらりと揺れるものがある。その見覚えのある赤色にエノクは小声で叫んだ。
「きみ、今回は遅かったな!」
「開口一番それか?」
いつものように音もなく現れた少年は軽い口調で応えたが、その視線は大いなる背甲獣にのみ注がれている。巨体の向こう側、壁の上でクチナが陽動を続けているのが見える。既に彼の働きによって魔物の右腕はほぼ無力化されていた。
「あと一押しだな」
「だから、その一押しが……」
「考えがある。手伝ってくれ」
え、と顔を上げれば、少年は真剣な表情でこちらを見下ろしていた。
「何する気……?」
「耳を貸せ」
そっと耳元に唇を寄せて囁かれた言葉に、エノクの表情はにわかに曇る。本気か?と問いかけるように視線を送れば、金の瞳が真っ直ぐに見返してきた。
「……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だ。根拠はないけどな」
「不安すぎる……」
「逆に訊くが他にいいアイデアは?」
押し黙るエノクに少年はにっと笑って告げる。
「俺を信じろ」
何か言い返そうとして、結局何も言えずにエノクは頭を掻いた。遠くから聞こえたのはチエリの悲鳴だ。尻尾に弾き飛ばされた彼女にヘンリエッタが駆け寄っていくのが見える。もう仲間達も長くは保たない。
彼は腹を括る事にした。不安しかないが、賭ける以外に道は無い。
全ての準備を終えたのは、治療を終えたチエリがすっかり元気になって刀をぶんぶん振れる状態に戻った頃だった。傍らに立っていたヘンリエッタが顔をしかめてエノクを見る。
「本当に大丈夫なんだろうな」
「いやそれが……僕にも分からないっていうか……」
「……自分から言い出したくせに何を言ってる?」
いや、実のところ言い出したのは自分ではないのだが。ヘンリエッタの目の前で俺だぞーとピースサインを掲げている少年をなるべく視界に入れないようにしつつ、エノクはまあそうだけど……と言葉を濁した。本当は取り憑いているオバケが立てた作戦です、などと言えば混乱していると疑われてテリアカを飲まされるだけだ。
「……まあいい。いくぞ」
ひとつ深呼吸をし、ヘンリエッタは両手で握った杖を地面に衝いて強く打ち鳴らす。杖を中心にした足許に淡く光る『陣』が浮かび上がった次の瞬間、辺りに立ち込めていた黒い霧が一気に消し飛んだ。あらゆる邪気を打ち払う秘伝の巫術、『大巫術・精霊衣』だ。
術の発動を確認したエノクはすぐさま駆け出した。向かう先は大いなる背甲獣の懐、腹部にあたる場所である。相手の反応は素早かった。エノクの姿を確認するとすぐさま標的を切り替え、叫びを上げて腕を振り下ろす──が、その前に飛び込んできたクチナが繰り出した斬撃でもって腕を弾き返した。
それとほぼ同時に、壁の上から機を窺っていたモモコが音もなく矢を放つ。空を裂いて飛んでいった矢は魔物の左脚、チエリによって刻まれた刀傷に寸分違わず食い込んだ。瞬間、脚の内側から肉を割って無数の氷塊が出現する。予め仕込んでおいた氷術の起動符を、フリーズオイルを塗った矢で発動させたのだ。いくら肉体が強靭でも内側から破壊されては無事では済まない。つんざくような悲鳴と共に吐き出されようとしていた炎は、遠方から飛んできた術式によって阻まれた。
「がんばれよ~!」
と、クチナの呑気な声援を背中に受けながら、片脚の自由を奪われてバランスを崩した巨獣の胴の下に潜り込む。並走して着いてきていた少年が、よし!と声を上げて身を翻した。
「剣を!」
言われた通り右手に握っていた剣を高く掲げる。すると、傍らに浮かんでいた少年の身体が眩く輝き、瞬く間にその姿は淡い光の帯へと変わった。無数の帯はエノクの剣に絡み付き、形を変えて刀身より一回り大きな光の刃へと変化する。
いったい何がどうなっているのか、考える余裕は無かった。そのまま剣を振りかぶり、雄叫びと共に巨獣の腹へ叩きつける。一瞬の空白。ひとつ息を吐いたその瞬間、切っ先の軌道上に残された淡い光の線が閃光のように爆ぜた。
光の刃に貫かれた大いなる背甲獣の身体が力を失ってぐらりと傾く。崩れ落ちた巨体はそのまま重力に従って砂埃を巻き上げながら地面へと倒れ込み、やがて完全に動きを止めた。
エノクは暫し呆然と立ち尽くし、口を半開きにして自身の手元を見つめていた。剣を覆う光は消えていた。状況が飲み込めずにいる彼にチエリが勢いよく飛び付いてくる。
「わ!?」
「エノクくんすごーい!やったー!!」
倒れ伏した魔物と、各々ほっとした表情で歩み寄ってくる仲間達と。チエリにがくがくと肩を揺さぶられながら自分の周囲の様子を何度か見渡して、そこでようやくエノクは自分が大いなる背甲獣に止めを刺したのだと気付いた。同時にさっと血の気が引くような思いがする。さっきの閃光みたいなの、一体何だったんだ。
混乱する彼の耳許に、鈴を転がすような少年の笑い声が響く。
──勝利に喜ぶ『スターゲイザー』と、壁の向こう側で歓声を上げる衛士隊や冒険者とを見比べ、クチナは満足げに笑った。しかしその顔はすぐに曇り、彼は壁から飛び下りると静かに大いなる背甲獣の死骸へと歩み寄る。顔にあたる場所だろうか、長い舌のような器官を出したまま沈黙するそこを指先でなぞり、険しい表情で呟いた。
「……瘴気(・・)……でも、どうして……」
当然、応える声は無い。そっと目を細めてクチナは腰に差した刀の柄をひとつ撫でた。遠くから自分を呼ぶ少女の声が聞こえる。再び顔を上げた時には彼の顔にはのんびりとした笑みが戻っていた。死骸から離れ、男はゆっくりと彼女らの元へ歩いていく。
◆
「そうか、やってくれたか」
探索司令部の執務室でその報せを受けたペルセフォネはそう呟いて微笑んだ。報告を持ってきたミュラーも彼女と同じように表情を緩めて続ける。
「次の島へ続く磁軸も発見したとの事です。『スターゲイザー』は報告の前に一度休息を取りたいと」
「構わぬ。急ぐ必要はない、ゆっくり休むが良いと伝えよ」
「は。……それともう一つ。新しい島に、我々とは別ルートでレムリアに来たと自称する男がいたとの事です」
ペルセフォネは眉を寄せる。レムリアの秘宝を欲しがる者は世界中に星の数ほど存在するだろう。今頃は飛行都市がレムリアに辿り着いたという報せも既に大陸へ伝わっている筈だ。マギニアに続いて探索を始めようとする者がいてもおかしくはない。
「しかし、あの嵐の海域を抜けるだけの技術を持つ者など、……まさか」
「確証はありませんが、可能性はあるかと」
「……かの王女も侮れんな」
ひとつ息を吐き、彼女は手元にあった書類を机の端に寄せる。
「斥候の手配を。冒険者達に何か起こる前に島の状況を確認せねば。私は戻ってきた兵達に、……っ」
椅子から立ち上がったペルセフォネの身体がふらりと揺れる。ミュラーが慌てて駆け寄ってその肩を支えれば、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「立ち眩みがしたようだ。大した事はない」
「……姫、少し休憩なさった方がよろしいのでは。近頃は働き通しではありませんか」
「そうはいかぬ。兵も冒険者も命を懸けて探索しているというのに、私だけが安全な場所で休んでなどいられるものか」
ミュラーの表情が曇る。明らかに何か言いたげな様子の彼を見てペルセフォネは何度か目を瞬かせ、やがて思わずといったように吹き出して肩を竦めた。
「分かった分かった。兵達を労った後は少し仮眠をとるとしよう。残った書類の処理を頼めるか」
「お任せ下さい」
では行こう、とペルセフォネは傍らに置いていた剣を腰に差す。姿見の前に立ち着衣の乱れがないか確かめ、ミュラーが開けておいた扉を潜る──と、そこで彼女はふと足を止めて辺りを見回した。ミュラーがどうかされましたか、と問う。
「……いや……何でもない」
首を振り、今度こそペルセフォネは部屋を出る。兵達の待つ謁見の間へと真っ直ぐに向かいながら彼女は細く息を吐き出した。やはり疲れているのだ。こんな所で、鈴の音など聞こえる筈もないのに。
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