【SQX】6-1 桜ノ立橋

『ヒトをたすけたんだ』

『おなじもくてきのヒトだからたすけたの? なら、てきたいするヒトでもたすけるの?』

『みせてもらうよ。このさきでも……』


   ◆


  襲ってきたライチョウの群れの、その最後の一匹が甲高い悲鳴を上げて倒れ伏したのを見てエノクはやれやれと武器をおさめた。この迷宮での戦闘にも徐々に慣れてきたところだ。気を抜くと石畳に積もる花弁に足を取られてしまいそうになるため、戦闘中は立ち回りにひどく気を遣う。

 それにしても、なんとまあ綺麗な場所か。感嘆しつつマントにくっついていたそれをつまみ上げる。縦に引き伸ばしたハートのような形をした薄紅色の花弁は、指から離れた途端に風に乗ってどこかへ飛んでいってしまった。迷宮を一面に彩るこの花の名前が『桜』である事を彼はつい先日知ったばかりである。

 真南ノ霊堂を抜けた先、新たな島で初めて訪れたこの石造りの迷宮は桜ノ立橋と呼ばれている。頭上には桜、眼下には青空のように澄んだ水を湛えた湖。まるで空の上に浮かんでいるかのようにも感じられる幻想的で美しい迷宮だ。

「ラガードにも同じ迷宮があるの」

 というのはチエリの言である。遠く北方の地のものとまったく同じ迷宮が何故レムリアも存在するのかは分からない。しかし理由はどうあれ、彼らにできるのはただ探索を進めて世界樹の麓を目指す事だけだ。

 魔物の死骸から素材を剥ぎ終わったサヤが軽やかな足取りで戻ってくる。傷の治療もちょうど終え、さて出発しようかというところで鞄を探っていたヘンリエッタが顔をしかめて他のメンバーを呼び止めた。

「テリアカがもう無い」

「そりゃ駄目だな。地図どこまでできてる?」

「この階はほとんど完成してるよ」

「じゃー今日はもう帰ろっかあ」

 荷物を纏めて帰還の準備を始める四人から少し離れた場所で、モモコがじっと立ち尽くしている。最近のモモコはああしてぼうっとしている事が多い。弓をしまう事もしないままどこか遠くを眺める彼女の背中にサヤが声をかける。

「モモコ殿?」

「……! ……ええ、今行きます」

 はっと振り返って小走りに戻ってくるモモコにはいつものような覇気が見られない。何かあったのだろうか、と考えつつ荷物を抱えたところで、エノクはチエリが何か言いたげな様子で視線を彷徨わせているのに気付いた。

「……どうしたの?」

「え! いや……その……うーん、またこんど話すね」

 曖昧な返答に彼は首を傾げる。非常に気になるが、後でと言われてしまった以上は追及するのも良くないだろう。疑問を飲み込んで、アリアドネの糸を取り出したヘンリエッタの元へ向かう。


   ◆


「『スターゲイザー』。お客さんだよ」

 と、珍しく起きているヴィヴィアンが声をかけてきたのは、宿に戻ってきたエノクとサヤが装備を解いたら早めの夕食でも食べに行こうかと話していたちょうどその時であった。二人は顔を見合わせる。来客と言われても、心当たりは無いのだが。

「僕らにですか?」

「うん。そっちで待ってもらってる」

「待ってもらってるって……クチナ殿は?今日はいた筈だろ」

「どっか行っちゃったよ」

「またか……」

 第五迷宮での一件以降クチナは『スターゲイザー』に籍を置いているが、大抵はこうして一人でどこかに出かけてしまっている。どこをフラフラしているのかは分からない。またどこかで行き倒れていないか心配ではあるがそれより今は来客とやらの方が重要である。

 ヴィヴィアンに促されるまま玄関ロビーから繋がる待合室へと向かう。部屋を覗き込んでみれば、一人の少年がロングソファーの端に縮こまるようにして座っていた。二人の姿に気付いて顔を上げた少年を見てエノクがあっと声を上げる。

「アリー君! 久しぶりだね」

「はい。お久しぶりです、エノクさん」

 少年はそう応えてソファーから立ち上がると礼儀正しく一礼する。怪訝な顔をしたサヤがエノクをそっと肘でつついた。

「誰?」

「会ったことなかったっけ? モモコさんの息子さん」

「アリー・ベネトナーシュです。母がお世話になってます」

 今度は自分に向かって頭を下げたアリーの顔をまじまじと見て、ようやくサヤは納得いったように頷いた。言われてみれば栗色の髪といい薄紫の瞳といい、彼の顔立ちはモモコとそっくりだ。

「お世話になってるのはこっちだけどな」

「アリー君、学校は休み?」

 エノクの問いかけにアリーはひとつ頷く。彼は冒険者ではなく留学生としてマギニアに滞在する許可を得ている。普段は全寮制の学校に通っているため、こんな平日の夕方に外に出ている事は珍しいのだ。

 しかし、と二人は気まずそうに顔を見合わせた。ちょうど今、モモコを含む女性陣は買い出しに出ていて宿にはいないのである。その事を告げれば、アリーはそうですか、と呟いて何事か考え込む仕草を見せる。

「どうする? 帰ってくるまで待ってるか?」

「あ! いや……ぼく、お母さんに会いに来たんじゃないんです」

「え?」

 慌てたように応えたアリーにエノクが間の抜けた声を漏らす。てっきり母親に用があるものだとばかり思っていたが、まさか違うとは。同じように驚いた表情を浮かべたサヤが少年に問う。

「じゃあ何しに来たのお主」

「ええっと……その、ここじゃ話しづらいので……」

 俯きがちに口ごもるアリーの視線の先には探索から帰って来た他の冒険者の姿がある。確かに人が頻繁に行き来する場所でいつまでも話し込んでいる訳にもいかない。三人は場所を変える事にする。

 向かった先はエノクとサヤ、そしてクチナが寝泊まりしている客室だ。三人分のベッドと一組の机と椅子、それから武具などの荷物だけが置かれた狭い部屋を、アリーは物珍しげに見回す。エノクは床に落ちていた手袋や靴下を隅に寄せつつ、椅子を引き出してアリーに座るよう促した。

「散らかっててごめんね」

「あ、いえ。お構いなく」

 エノクに会釈して椅子に座り、アリーはひとつ息を吐く。暫し目を伏せた数秒後、それぞれベッドに腰かけたエノクとサヤを見つめて彼はゆっくりと口を開く。

「実は、お願いがあって」

「うん」

「ぼくを迷宮に連れていって欲しいんです」

「…………」

 場に沈黙が落ちる。重苦しい空気の中で最初に口を開いたのはサヤだった。

「どの迷宮だ」

「桜ノ立橋です。皆さんが今探索してる……」

「理由は?」

「……どうしても、欲しいものがあって。あそこでなら手に入るって聞いたから……」

「それなら某らが取ってくればいいだけだ。そんな危険な頼みは聞けない」

「それは……」

 項垂れるアリーにサヤが向ける視線は厳しい。世界樹の迷宮は鍛練を積んだ冒険者ですら命を落とすような場所なのだ。一般人の子供を連れていくのはあまりにも危険すぎる。しかしアリーも冒険者の息子、そんな事は十分に理解している筈だ。それなのに何故、急に連れていって欲しいなどと言い出したのだろう。

 疑問に思ったエノクが訊ねてみればアリーは戸惑うように目を泳がせた。そしてそっと立ち上がってエノクの耳許に唇を寄せ、何事か囁く。告げられた返答に彼はああ!と頷いた。怪訝な顔をしていたサヤにも小声で伝えてやれば、なるほどなあと納得の声が返ってくる。

「だから直接迷宮に行きたかったのか」

「はい……」

「手伝ってやりたいのはやまやまだけどな、迷宮に連れていくのは……うーん」

「獣避けの鈴があれば大丈夫じゃないかな……? そこまで深い場所に行かなくても採れるんだし……」

「んん……んー……」

 腕を組んで神妙な顔で唸るサヤを二人は固唾を呑んで見守る。この時点でエノクはもう完璧にアリーの味方であった。二人分の期待と不安に満ちた視線を受けたサヤは盛大な溜息を吐いて顔を上げる。

「一回だけだ。それで何かあったら糸を使ってすぐに帰ってくる。それなら協力してやる」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます……!」

 アリーの顔がぱっと輝いた。サヤは困ったように肩を竦めて机の上に置いてあったカレンダーに手を伸ばす。

「探索が休みの時にこっそり行こう。次の週末なんかどうだ」

「その日なら大丈夫です」

「じゃあそういう事で。某とエノクだけで着いていって、そんでサッと行ってサッと帰ってくる」

「チエリとヘンリエッタには話さないでいいの?」

「言ったら絶対モモコ殿にもバレるぞ……女同士の繋がりっていうのはそういうもんだ……」

 そういうものなのか。よく分からないながらもとりあえず納得するエノクをよそにサヤはてきぱきと話を進めていく。次々と詰められていく予定をふんふんと頷きながらメモするアリーの横顔を見て、エノクはどこか懐かしい気持ちになった。何故だか分からないが、彼を見ていると故郷の母に会いたくなる。


   ◆


 予定の日はあっという間に訪れた。エノクとサヤは女性陣に見付からないようこっそりと宿を出た。前もって今日は二人で街を回ると嘘の情報を伝えてあるが、武具を持って出かけていくところを直接見られでもしたら流石に言い逃れできない。幸いカウンターで居眠りをしていたヴィヴィアンが二人に気付いた様子は無く、街の出口へ辿り着くまでに顔見知りの冒険者に出会う事もなかった。二人はほっと息を吐く。まずは第一関門突破である。

 アリーは約束通りマギニアからはじまり島の平原へ続く乗降口のゲート付近で二人を待っていた。今日はよろしくお願いします、と頭を下げた彼を連れて人目につかない場所へ移動し、持ってきた装備を手早く身につける。

「鎧よし。剣と盾よし。糸と、獣避けの鈴と、もしもの時のための薬と……」

「全部あるな。じゃあ行くぞ」

 確認を終え、ゲートを潜って飛空挺の外に出る。それぞれの霊堂へ繋がる磁軸は平原の片隅、マギニアから少し離れた場所に設置してある。周囲に気を配りつつ、三人は冒険者の行き交う草原の道を行く。

「ここの磁軸はマギニア司令部が置いたんですか?」

「そうだよ。確か、宝物庫にあった古代の遺物が磁軸の起動装置だったとか何とか……」

「某らが東土ノ霊堂の磁軸を起動した時に連動したか何かで動き出したんだってよ。船内に置いとくのは危険だからこっちに移したらしい」

「へえ……何だかすごいですね」

 それとなく世間話を交わしながら見張り番の衛士の横を通り過ぎ、ようやく辿り着いた磁軸の前に立つ。少しばかり緊張した面持ちのアリーがひとつ頷くのを確かめ、エノクはそびえ立つ光の柱に手をかざした。

 視界が白い光で覆われる。宙に放り出されたような浮遊感が全身を襲い、内臓が浮く感覚がしたかと思えばその時にはもう既に『向こう側』へ辿り着いていた。飛泉の水島──迷宮で繋がる二つの大きな島と幾つもの小島から成る、レムリア第三の島である。

 ここまで来れば目的地はもうすぐ目の前であった。初めての瞬間移動に目を白黒させていたアリーが、顔を上げてあっと声を上げる。視界に広がるのは青い空と石造りの迷宮、そして一面の薄紅色。

「桜ノ立橋……」

「よーし、さっさと行ってさっさと帰るぞ。鈴持っとけ」

「は、はい」

 アリーが獣避けの鈴をバッグにしっかりと括りつけたのを確認し、三人は桜ノ立橋に足を踏み入れる。目指すのは一階の抜け道の先にある採掘場所である。

 迷宮内部は静かな空気に満ちていた。石畳を踏むコツコツという音だけが宙に響く。地図を手に先頭を行くエノクと油断なく周囲を警戒するサヤの間で、アリーはしきりに辺りを見回しては目を瞬かせていた。

 茂みの中にできた獣道を通り抜ける。向こう側の小部屋は他の部屋とは違って床の石畳が剥がされており、露出した地面は何度も掘り返されている様子があった。冒険者が珍しい鉱石を求めて採掘を行った痕跡である。

「ここの方がよく出るから、そんなに時間はかからないと思うけど」

「はい。なるべく急いで見付けます」

 真剣な表情で応え、アリーはバックパックからスコップを取り出して地面を掘り始めた。掘り当てた鉱石を慣れた手つきで選り分けるその姿に驚いたエノクが経験があるのかと訊ねれば、お母さんに教えてもらったので、と返ってくる。

「樹海で採集をした事はないけど、石とか植物とかの見分け方は教わったんです。生きていく上で目利きは役に立つからって」

「モモコ殿らしいな」

 くすりと笑ったサヤだったが、ふと険しい表情になって背後の茂みを振り返る。彼の手が腰の小刀にかかっているのを見たエノクも剣を鞘から引き抜いて不安げに二人を見上げるアリーを背に庇った。

 来た、とサヤが呟いた次の瞬間、茂みを掻き分けて一羽のディアトリマが飛び出してくる。嘴での一撃をかわしたサヤは冷静に小刀を抜き放ち、魔物の首筋へ向けて一直線に振り下ろした。グエ、というくぐもった断末魔と共にディアトリマの首が転がり落ちる。自分の出る幕は無かったかとエノクが気を抜いたその時、視界の端に影がひとつ過る。はっとして盾を掲げる……が、受け止めきれなかった。飛来したもう一羽のディアトリマが突き出した嘴が頬を掠め、鋭い痛みが走る。

「っ……!」

「エノク!」

 ディアトリマが次の攻撃のために身を引いた隙にすぐさま盾で殴って叩き落とす。地面に伏せたそれにサヤが止めを刺すのを見届けながらエノクは頬を押さえた。手袋越しのぬるりとした感触に思わず顔をしかめる。

「あーけっこう血出てるな。口の中まで貫通してないよな?」

「ひゃいひょうふ」

「痛いなら無理に喋るなよ」

 呆れたように呟き、サヤは鞄の中から清潔な布と飲み水の入った水筒を取り出すとてきぱきと手当てを始める。水を吸ってひんやりとした布が頬を拭う感覚にエノクはうーんと呻いた。大した傷ではないが存外に痛い。メディカを口に含み、傷口が塞がるのを待つ。

 いつの間にかスコップをしまってバックパックを背負い直していたアリーがおずおずと近付いてくる。

「大丈夫ですか……?」

「おー、まあこの程度ならな。そっちは見付かったか?」

「はい。本当にありがとうございました」

 バックパックを揺らし、アリーは深々と頭を下げる。じゃあ帰るか、とサヤはアリアドネの糸を取り出した。エノクもひとつ頷く。頬はまだ痛むものの、血は既に止まっている。あとは残りのメディカでも飲んでおけばすぐに治ってしまうだろう。

 括って束にしてあった糸を解き、三人をまとめて囲んで円を描くように広げる。荷物が円の外にはみ出ていない事を確認してから糸の両端をそっと重ね合わせれば磁軸に触れた時と同じような感覚が全身を包み、視界が白い光で覆われる。瞬きひとつすら終えない間に、三人は迷宮から脱出してはじまり島の磁軸へと戻ってきていた。

「よし、戻ってきた戻ってきた」

「アリアドネの糸ってあんな感じなんですね……」

「すぐ帰れて便利だろ~? さて、街に戻、………………」

 急に言葉を切ったサヤを怪訝に見つめるエノクとアリーだったが、彼の視線の先に広がる光景を目にすると二人揃って口を閉ざした。

 彼女は磁軸の前に立って待ち構えていた。見張り番の衛士も、通りすがりの冒険者も、その存在感に圧倒されたように顔をひきつらせている。張り詰めた空気の中心に立つ彼女の顔におよそ表情と呼べるものは無かった。しかしその立ち姿は三人を震え上がらせるには十分な威圧感を放っていた。

 モモコは、大変に激怒していた。

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