【SQX】6-2 遺恨
怒りと焦燥の渦巻く瞳を苦しげに歪めて彼女は言う。
「私は貴方達にそんな事をさせるためにここに来たんじゃない」
◆
「自業自得だ」
と、にべもなく言い放ったのはヘンリエッタで、残念な事にエノクはそれに反論できるような言葉を持っていなかった。隣に座っているサヤは、はっはっはとわざとらしく乾いた笑いを溢したきり沈黙してしている。
いつも通り冒険者達の姿で賑わうクワシルの酒場で、モモコとクチナを除く『スターゲイザー』の四人とアリーがいるテーブルの近くだけが重い雰囲気に包まれている。料理を運んできたついでに「なんか君達、前もそんな辛気臭い空気になってなかった?」などと宣ったクワシルはヘンリエッタに睨まれて大人しく退散していった。
重苦しい空気の原因は当然、今日の午前に起こった一連の出来事だ。エノクとサヤが息子を桜ノ立橋に連れていった事に対してモモコはこれまでに無い程に激怒していた。彼女は本気で怒ると逆に静かになるタイプであるというのは今日エノク達が初めて得た知見である。できれば知りたくなかった事実だが。
他の男二人はともかく、もっとも可哀想なのは肩を落として消沈してしまっているアリーである。彼は深く項垂れたまま沈痛な面持ちで呟く。
「すみません、ぼくが無理を言ったせいで……」
「悪いのはこいつらだ。結果がどうであれ、一般人を迷宮に連れていった挙句魔物と戦って怪我するなんて冒険者として最低最悪にも程がある」
もはや返す言葉も無い。ふんと鼻を鳴らして運ばれてきたきり放置していたフライドポテトを口に放り込むヘンリエッタと料理に手をつけないまま沈黙する男性陣とを見比べて、チエリはでもさあ、と溢す。
「アリーくん、探し物ならクエストとか出せば良かったのに。事情は分かったけど、それでも迷宮に行くのは色んなリスクが大きすぎるでしょ。実際すんごい怒られたわけだし……」
問いかけにアリーは困ったように視線を泳がせた。暫し自分の膝を眺めてから、溜息と共に口を開く。
「……ごめんなさい。実はちょっと嘘をついてたんです」
「嘘?」
「はい。欲しいものがあるっていうのは確かにそうだったんですけど、本当はそれだけじゃなくて。ぼく、一回だけでいいから桜ノ立橋に行ってみたくて」
そこで一度言葉を切り、ふと目を伏せると少年は曖昧な笑みを浮かべた。
「ぼくのお父さん、ラガードの桜ノ立橋で死んだんです」
次のフライドポテトに伸びようとしていたヘンリエッタの手がぴたりと止まる。各々何とも言えない表情を浮かべて黙り込む四人の顔を見ないまま、俯きがちにアリーは続ける。
「お父さんは植物学者で、樹海の植物を研究してました。あの日もいつもと同じように桜ノ立橋に調査に行くって家を出て、…………。お母さんが言ってました。あの迷宮は嫌な思い出ばかりだって」
隣のサヤが小さくだからか、と呟いたのを聞いてエノクもやっと合点がいった。近頃のモモコに考え込むような様子が多かったのはそういう事だったのだ。ここがラガードの世界樹ではないと分かっていても、「桜ノ立橋」での辛い記憶を思い出して心穏やかでいられなかったのだろう。そして、今回の一件が彼女の内でわだかまっていた想いを爆発させてしまった。
「ぼく知ってたんです。勝手に迷宮に行ったりしたらお母さんがすごく怒るって事も、もし何かあったらすごく悲しむって事も」
でも、とアリーは呟く。
「一度だけでいいから行ってみたかったんです。お父さんは、桜ノ立橋がいちばん好きだって、いつも話してたから、……」
次第に小さくなる声はついに周囲の喧騒に掻き消された。沈黙の下りるテーブルの上で、手付かずのままの料理だけが音もなく冷えきっていく。
かれこれ数十秒はそうしていただろうか。ふと顔を上げるとアリーはぎこちない笑顔で四人の顔を見回す。
「ぼく、今日はもう寮に帰ろうと思います。お母さんとはまた今度ちゃんと話をしに来ます。今は……ぼくもお母さんも、ちゃんと話ができないと思うから」
そう言って席を立ち、足許に置いていたバックパックを背負い上げると少年は深々と頭を下げた。
「ご迷惑をかけてしまってごめんなさい。お世話になりました」
呼び止める間もなく酒場を飛び出していく背中を見送り、残された四人はそれぞれ顔を見合わせる。全員の表情は一致していた。これ以上ないほどの渋い表情である。
「……お前らの責任だぞ」
「いや……その……ごめん……」
「情状酌量の余地はあるだろ、某らは事情知らなかった訳だし……」
「やっちゃったもんは仕方ないよ。……モモコさん、ずっと悩んでたのかな」
チエリが寂しげに呟いて肩を落とす。その姿を見て、エノクはふと先日彼女と交わしたやりとりを思い出した。いつもと違うモモコの様子について、また今度話すと言っていたが、結局あれは何だったのだろう。それとなく訊ねてみれば彼女はひとつ頷いた。
「まあ、アリーくんが話してくれたのと同じような事。……モモコさん、旦那さん以外にも桜ノ立橋で何かあったんじゃないかなあ」
「誰か亡くなってるって事?」
「うーん……ていうか、モモコさんが昔いたギルドで何かあったんじゃないかなって。あたしのお父さんお母さんも同じギルドだったんだけど、あの迷宮はあんまり好きじゃないって言ってたし……」
「何にせよ地雷を踏んだって事だろう」
うんざりしたように応えたヘンリエッタにチエリは眉を下げた。結局誰も何も言えなくなってしまった空気の中で、すっかり温くなった料理に誰からともなく手をつけ始める。いつもより幾分か薄味に感じられる食事を黙々と口に運びながら四人はまったく同じ事を考えていた。
明日からの探索、本当に気まずい。
◆
そんな事があってからあっという間に三日が経過した。重い鎧を外して床に下ろし、エノクは肌着のままベッドに倒れ込む。部屋着に着替えるのも億劫だ。サヤがいれば「そんな汗まみれで布団に入るな」と怒られるところだろうが、彼は今モモコとチエリと共に探索司令部へ向かっているためここにはいないのである。
天井の木目を眺めながら、彼はきょう一日をぼんやりと振り返る。特に思い出すのはモモコの様子である。この三日間、彼女の様子は普段とは明らかに異なっていた。探索に支障が出ている訳ではない。むしろ弓の技術に関してはいつにも増して冴え渡っていた──味方である自分達さえ、鬼気迫る何かを感じるほどに。モモコがああもピリピリしているのは確実に先日の一件のせいだろう。今度話をしに来ると言っていたアリーは未だ顔を出さないが、今は逆にその方が正しいかもしれない。
それから、気にかかる事がもうひとつ。
「今日のアレの事か?」
「!?」
唐突に投げかけられた声に思わず飛び起きる。慌てて声のした方を見上げてみれば、そこには例の如く赤いキルトをなびかせた少年が浮かんでいた。エノクは脱力する。今までは迷宮の中でしか姿を見せなかった彼だが、何故か最近は街でも出てくるようになったのだ。
「急に出てこないでよ……びっくりするだろ」
「いや、何か悩んでるみたいだったからな。で、やっぱりアレか」
「……うん」
少年に再度問われ、エノクは静かに頷く。アレ、とは今日の探索の中で目にした光景の事だ。
以前出会った黒い犬を連れた巫医の女性の言葉から、この迷宮の付近に自分達マギニアの冒険者以外の人間がいる事は分かっていた。航海王女率いる『海の一族』──マギニアとは歴史的に敵対関係にある国家に属する者達である。巫医の言葉によれば、その海の一族の先遣隊が飛泉ノ水島に上陸して以降行方知れずになっているという話であった。万が一迷宮で海の一族の者と出会ってしまえば、国家間に何が起こるか分からない。不要な争いを生まないためにも慎重に探索を続けていたのだが、まさかその先遣隊を本当に見付けてしまうとは思わなかった。……そして、彼らが既に物言わぬ身となっているのだとも。
「気に病む事はないだろ。何かやらかしたならまだしも、遺品を拾っただけのお前達に落ち度は無い」
「それは分かってるけど……」
「国家間の対立になるかもしれない。お前達もどっしり構えてないと、下手すれば戦争だぞ」
少年の言葉にエノクは顔をしかめる。そんな事を急に言われても困る。こっちは迷宮で死なないようにするだけで精一杯なのだ。国同士の問題は国同士で解決して欲しい……いや、違う。今はそんな事で悩んでいたのではない。
「あのさ」
「何だ」
「迷宮で死んだあの人達にも……やっぱり家族とかいたのかな」
今度は少年が顔をしかめる番だった。マントを翻してくるりと回転すると、エノクに向き直って彼は静かに問う。
「モモコの事を気にしてるんだな」
「……あの部屋に入ってから、ずっと辛そうな顔してたんだ。でもたぶん僕じゃモモコさんの辛い気持ちは理解できないし、声もかけられなくて」
「お前が気に病む事じゃない」
「でも……」
言葉を続けようとしたエノクの口を少年の指がそっと塞ぐ。唇に添えられた軽くひんやりとした指先の感触に思わず押し黙った青年に、彼は諭すような口調で語りかける。
「誰かの苦しみを理解するって事は、そいつと同じものを背負うって事だ。お前はモモコの事を理解できなくて当然だし、俺はお前がそれを理解するような事があってほしくない。モモコだってそう思ってる筈だ」
「そう、かな」
「そうだ。……誰かを亡くすのは辛いぞ。それが急な事であればあるほど、樹海でなら尚更。一生引きずって当たり前の事だ。でもあいつはそれを乗り越えて、だから今ここにいる。前も乗り越えたんだから今回だってきっと大丈夫だ。今は信じてやれ」
そう言う少年の声は真剣で、そしてひどく優しい響きだったものだからエノクはもう何も言うことができなかった。引っかかりの残る胸の内を誤魔化すように乱雑に肌着を脱ぎ捨て、畳んで置いてあった部屋着を手に取る。神妙な顔で着替えるエノクに少年は先程とは打って変わって軽い調子で声をかける。
「ひゅーひゅー、ヌードシーンだ!」
「本当に何なんだ、きみ……」
「ただの『残像』さ」
「あ、そう……」
彼に何を言っても無駄な気がしてきた。げんなりとした表情のまま着替えを終え、脱いだ肌着を洗濯かごに放り込んだエノクはふとある違和感に気付いた。先の少年の言葉、よく考えてみるとモモコに対してあまりにも馴れ馴れしい語り口だった気がする。このオバケはもしかしてモモコの事を知っているのだろうか。
怪訝に思ったエノクが本人に訊いてみようと口を開いたところで、部屋の外から元気のいいノックの音が聞こえてくる。
「エノクくーんただいまー」
「あ!? お! おかえり!」
慌てて応えれば、ドアの隙間から部屋を覗き込んだチエリは不思議そうに小首を傾げた。
「エノクくん、一人で喋ってた? なんかゴニョゴニョ聞こえてたけど」
「い、いや……ちょっとね。独り言を……」
「ふーん」
「それはそうと新しいミッションだぞー」
チエリの背後から顔を出したサヤが、手に持っていた書状をひらりと振る。聞けば、海の一族との穏便な接触を図るため、彼らの拠点を発見せよとの指令があったらしい。
「冒険者風情にこんな国交上の重要な問題を任せるってのはどうかと思うが……ま、司令部は某らみたいな余所者の存在があっちとの間の緩衝材になるのを期待してんだろうな」
「難しいこと分かんないけど、喧嘩はやだねえ」
「やだなあ」
言葉のわりに二人はどこか呑気な様子である。苦笑を漏らしつつ、ふとエノクはある事に気付く。
「二人で帰ってきたの? モモコさんは?」
「商会に寄ってから帰るって言ってた。けど……」
「んー、まあ、モモコ殿にも一人になりたい時はあるだろ」
どこか取り繕った調子のサヤの言葉にエノクはひとつ頷き、それ以上は何も訊かない事にした。
少年の姿はいつの間にか消えていた。三人でペルセフォネ直筆の指令状に目を通しつつこれからの探索の方針について話し合っていたところで、再びドアをノックする音が響く。返事を待たずに部屋に入ってきたのはヘンリエッタだった。彼女はマリアンヌの元に薬品の原料を届けるために別行動をとっていたのである。
相変わらず不機嫌そうな表情のヘンリエッタは、三人の姿を見るとますます顔をしかめた。
「お前らだけか」
「帰ってきて早々何だよ」
サヤの声には応えず、ヘンリエッタは肩を竦めるとそっと背後に目をやる。彼女の脇からひょっこりと出てきたのは見覚えのある黄緑のキャスケットだった。チエリが目を瞬かせる。
「アリーくん」
「こんにちは。あのう、お母さんいますか……」
おずおずと問うアリーの顔を見たサヤがあっと声を上げ、エノクもつられて大事な事を思い出す。そういえば、そうだった。彼がわざわざ桜ノ立橋まで行ってあれを採ってきたのは、今日という日のためだったのだ。
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