【SQX】7-1 日常非日常
高く、天高く。つんざくような悲鳴が長く谺し、やがて薄れて消えていく。血に染まった羽根を撒き散らしながら墜落したハルピュイアは、遥か眼下でその動きを完全に止めていた。吹き抜けを覗き込んで確認したサヤがぐっと親指を立てて振り返れば、一同はようやく肩の力を抜いて各々の武器を収めた。
「やっと終わった……」
「エノクくんが混乱して殴りかかってきた時はびっくりしたねえ」
「それは本当にごめん……」
何はともあれ、迷宮の主を倒した以上これで第六迷宮も無事に攻略完了である。ゆったりとした足取りで仲間達の元へ戻ってきたサヤが、汚れた頬を拭いながら迷宮の出口を指さす。
「さっさとこの先に抜けておこうぜ」
彼の言うとおり、街へ帰る前にこの先の様子がどうなっているのか見ておく方がいいだろう。荷物を纏めて立ち上がり、長い階段を上って迷宮の外を目指す。歩みを進めるにつれて周囲を覆っていた桜の薄紅色が徐々に薄くなっていく。石畳を覆う色彩が完全に緑色へと変わった頃、一行は階段を上り終えて迷宮の出口へ辿り着いた。すっかり歩き慣れた石畳から柔らかな草の上に踏み出し、辺りを見回す。
「ここ……隣の島ですか?」
「桜ノ立橋は海をまたぐ形で広がっていましたからね。元々島と島とを結ぶ迷宮だったんでしょう」
「なーる。……あそこ、船があるな」
サヤが指した先、西側に広がる海岸線に巨大な船団が停泊していた。周辺には点々とテントのようなものも見える。あれこそが巫医の言っていた海の一族の拠点なのだろう。何にせよ接触を図るより先に司令部に報告をしなければならない。
海岸の反対、東側には鬱蒼とした森林地帯が広がっている。物珍しげに辺りを見回していたチエリが、ふと何かに気付いたような声を上げる。
「あれ? もしかしてあそこって……」
「……あら、そうですね。あれは……」
チエリの視線の先を追ったモモコも同じように驚いた様子で呟いた。怪訝な顔をする三人に森の中のある場所を指し示し、彼女はそっと告げる。
「ラガードの世界樹第一層……古跡ノ樹海です」
◆
古跡ノ樹海という名の由来は内部に点在する古代遺跡の残骸にある。半ば森と同化した巨大な柱や地面から顔を出す瓦礫の破片が、果たしてかつてどのような建造物であったのか──長い年月をかけて研究がなされているラガードでも、いまだ確たる結論は出ていない。迷宮の中には穏やかな気候が広がっている。桜ノ立橋を花の盛りの迷宮とするならば、この迷宮は爽やかな初夏の迷宮とでも言えばいいだろうか。頭上から降り注ぐ木漏れ日は暖かく、澄んだ空気をめいっぱい吸い込めば気分まで浄化されるような気がした。ここが魔物の棲息する場所でさえなければ、ピクニックやハイキングにぴったりの環境だったのだが。
呑気にそんな事を考えていたエノクのマントを誰かが急にぐいと引く。振り返れば彼のすぐ後ろにはチエリが立っており、甘い匂いのする果実をひとつ差し出していた。
「はい、さっきサヤさんが採ってきたの」
「ありがとう。……ここ、いい所だね」
「そうかな? あたしは見慣れてるからよく分かんないや」
自分のぶんの果実を頬張りながら、チエリは事もなげに言う。聞けば、彼女は母親に連れられてしばしばラガードの古跡ノ樹海を訪れていたらしい。
「薬の材料集めと剣の修行を兼ねてね。……でも、ここの魔物はあっちの古跡ノ樹海よりも強い気がする」
「へえ、そうなんだ」
これといって周囲を警戒することもなくのんびりと言葉を交わす二人の元へサヤが近付いてきた。彼は採取した植物が詰まった袋を掲げている。どうやらこの場所での用事は終わったらしい。
「いやー、本職がいなくても案外採れるもんだな!」
機嫌よさげに言うサヤの後ろについているのはいつもより三割増しで人相の悪いヘンリエッタと、もう一人。
「やあ、お待たせお待たせ。それじゃあ次に行こうか」
中身の詰まったバックパックを背負ったマリアンヌは、そう言ってにっこりと笑った。
探索を休ませてほしい、とモモコが言い出したのは二日前、北十字治療院に頼まれていた素材を納品し、そのまま応接室を借りてティータイムと洒落込んでいた時の事であった。遅れて合流した途端にそう切り出したモモコに、当然他の四人は驚いた。理由を訊けば、彼女は荷物から一枚の紙を取り出してそっと差し出す。紙のいちばん目立つ場所に書かれていたのは簡潔な一文だった。
「"授業参観日のお知らせ"……?」
「ええ、私もついさっき知ったんですが……」
詳しく聞いてみれば、どうやらアリーの通っている学校には、保護者が子供達の授業風景を見る事ができる日が設けられているそうで、その日というのがちょうど二日後なのだという。何とも急な話である。
「それがあの子、いままで私に隠してたみたいなんです。迷惑かけるからって……」
あー、と四人は頷く。確かにあの少年ならやりそうな事だ。モモコは申し訳なさげに頭を下げる。
「いつも放っておいてしまっているので、こういう時くらいは行ってあげたくて……すみませんが、明後日は休ませてくれませんか」
「そういう事なら大丈夫ですよ」
「親子の時間も大事だもんね」
エノクとチエリの返答にモモコはほっとした表情を浮かべた。これといって急ぎのミッションやクエストがある訳でもなし、一日くらい探索を休みにしたところで問題はない。茶菓子を貪っていたサヤが壁に掛けられたカレンダーを指しながら確認する。
「んじゃ明後日はモモコ殿以外も探索は休みって事で……」
「話は聞かせてもらった!!」
突然響いた大声に五人の肩がびくりと跳ねる。声の聞こえた方向を振り返ってみれば、いつの間に現れたのか部屋の出入口で仁王立ちしているマリアンヌの姿がある。頭上にハテナマークを浮かべる『スターゲイザー』を前に、彼女はにっこりと笑って言った。
「その明後日の探索、私を連れていって貰えないかな?」
──そういう訳で今日の探索にはマリアンヌが同行している。一介の医者を樹海に連れていくというのは先日のアリーの一件もあってかなり気が引けるところだったが、結局マリアンヌの勢いに押し切られてしまった。
そしていざ樹海に来てみて新たに分かった事がひとつある。マリアンヌは魔物相手でもそこそこ戦える肉体系の医者であるという事だ。現に今も、彼女は目の前で蹲る満身創痍の森ネズミに嬉々として止めを刺しに行こうとしている。本人は「あくまで護身術」と言うが、刺々しい装飾のついたナックルを装備して魔物を殴り倒すその姿を、果たしてメディックと呼んでいいものか。
「あいつは医者の皮を被った荒くれ狒狒だ」
と、忌々しげに吐き捨てたのはヘンリエッタである。今日の彼女はいつもの比ではない程に虫の居所が悪い。原因はもちろんマリアンヌである。……八つ当たりを食らうのを恐れて、誰もその辺りには触れようとしないが。
彼女の言葉に荒くれ狒狒、もといマリアンヌが抗議の声を上げる。森ネズミの死骸は既に素材を剥いで茂みの向こうへと寄せてあった。
「ひどいなヘティ。医者っていうのは何だかんだ体力勝負なんだから、筋肉はあるに越した事はないんだよ。お前ももっと鍛えなさい」
「うるさい! 余計なお世話だ!」
ヘンリエッタがぎゃんと吼えるがマリアンヌはどこ吹く風といった様子である。軽く笑い飛ばし、地図を持っているチエリに声をかける。
「採取ができる場所はもうすぐかな?」
「あそこの瓦礫の向こう側です」
チエリはそう言って前方に見える瓦礫を指さす。あの先にある採取場所が今日の探索の最後の目的地だ。周囲に魔物の気配がない今のうちにと足早に瓦礫の陰へ滑り込み、荷物を下ろす。このフロアでの採集は手早く済ませなければならない。我が物顔で徘徊するコウモリが、いつ侵入者の匂いを嗅ぎ付けてやって来るか分からないのだ。
「某らで見張ってるから、お主がマリアンヌ殿についててー」
「分かった」
少し離れた場所からそう声をかけてくるサヤにひとつ頷き、エノクはマリアンヌの傍に立つ。採集用のハサミを手にしたマリアンヌは彼を見上げて軽く微笑んだ。
「悪いね、すぐ終わらせるから」
「いえ、そんな急がなくても……採取したものは薬か何かにするんですか?」
「そうだね。霧吹花は医療用のミスト、迷迭香は精油にして治療に使うんだ。しじまの莢は必要ないから君達が持っていって構わないよ」
「あ、どうもありがとうございます」
茂みの中から採取に適した花を選り分け、マリアンヌはそれらを素早く刈り取っていく。やけに慣れた手つきを不思議に思ったエノクが訊ねてみれば、治療院の裏庭に小さな畑があるのだという。
「いざって時のためにも自給自足は重要だって、野戦病院で散々学んだからね」
「へえ……」
野戦病院という耳慣れない単語が一瞬引っかかったが、エノクがそれを口に出すことはなかった。彼女にも色々な事情があったのだろう。
瓦礫の向こう側で、見張りに立つ三人が何事か話しているのが聞こえる。内容までは聞き取れないが緊急事態という訳ではないらしい。会話に混じって時折笑い声も聞こえてくる。穏やかな気候がそうさせているのか、やはりこの迷宮にいるとどうも気が抜けてしまっていけない。
あくびをかみ殺すエノクの横顔にちらりと目をやり、マリアンヌはそっと口を開く。
「ヘンリエッタはいつもあんな様子かい?」
「え? ……えーと、まあ……だいたいあんな感じですね。今日は何というか、ちょっと怒ってるけど……」
「ははは、それは私がいるからだね! ……元気なようで良かったよ」
摘み取った霧吹花を籠に投げ入れつつ彼女は少しだけ表情を緩めた。青い瞳を僅かに細め、静かに続ける。
「実は前々からヘンリエッタがどうしてるか気になっててね。ほら、あの子気難しいだろう?最初は君達にもかなり苦労をかけたんじゃないかな」
「え、いや! ……いや、はい……そうですね……」
ギルドが五人揃ったばかりの頃を思い出し、エノクは神妙に頷く。今となっては笑い話のひとつだが、一言も喋らずにいたヘンリエッタの態度に当時は本当に困ったものだ。エノクの返答にマリアンヌはくつくつと笑う。
「まあ、強引に押し付けた私が言うのも何だけどね。今日こうして着いてきたのも探索中にどうしてるか気になったからなんだ。もう授業参観に行く親の気分だよ」
「それで……どうでした?」
「……とりあえず安心したかな。あんなに生き生きしたヘンリエッタは初めて見たよ」
君達のお陰だな、と呟き、マリアンヌはにこりと笑った。エノクは頬を掻く。どちらかというとワイバーンに連れ去られるという危機の中でヘンリエッタが自分から歩み寄ってきたというだけで、自分は特に何かした覚えはないのだが。怪訝な表情を浮かべる青年にマリアンヌは肩を竦め、花でいっぱいになった籠を抱えて立ち上がる。
「さて、そろそろ切り上げようか。歩いて帰るのはちょっと無理かな?」
「ですね。あのコウモリがいるので……」
「じゃあ糸だね! 私アリアドネの糸って体験した事がないんだよな~」
そう言ってマリアンヌは鼻歌混じりに見張りの三人の元へ向かっていく。彼女の背中を追い、エノクも荷物を背負い直して立ち上がろうとした、その時であった。
鬱蒼とした茂みの隙間、木々を隔てた向こう側に立つ人影が視界の端に映り込む。よく見ると、それは黒い長髪をなびかせた一人の男だった。こちらに背を向けて立つ彼にこちらに気付いた様子は無い。冒険者だろうか? 周囲に仲間の姿は見えないが。更に目をこらして男の後ろ姿を見つめていたエノクは、ふとある事に気付いて小さく声を上げた。
──あの人、ハイランダーだ。
背中を覆う黒髪の下に覗く緑色のキルト、そして右手に握られた槍。間違いない。ハイランドの伝統を受け継いだ戦士の装いだ。思わず男のいる方向へ足を踏み出そうとしたエノクの背中に、焦れたような声がかかる。
「おーい! 何やってんだ、帰るぞー!」
はっと我に返ったエノクが振り向けば、声をかけてきたサヤは既にアリアドネの糸を取り出していた。彼の背後にいる女性陣も一体どうしたのかという目でエノクを見つめている。今行く、と慌てて応え、駆け足で四人の元へ向かう。
走りながらも、エノクは先程の場所へちらりと目をやる。しかし、その時には既に、男の姿は嘘のように消え失せていた。
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