【SQX】7-2 航海王女エンリーカ
「ハイランダーの人がいたの? この迷宮に?」
古跡ノ樹海・地下二階の探索を続ける合間の世間話の中、そう訊ね返してきたチエリにエノクはひとつ頷いた。歩きながら地図に目を通していたサヤがへえ、と感心したような声を上げて会話に入ってくる。
「こんな所にもいるもんなんだな。ラガードからの冒険者に混ざってたのかね」
「やっぱり出身地が同じだと気になる感じ?」
「うう……ん、そうだね。少し……」
「お前、そいつにアドバイスでも貰ったらどうだ?」
少し先を歩いていたヘンリエッタが振り返りざまに投げつけてきた言葉にエノクはきょとんと目を瞬かせた。頭上にクエスチョンマークを浮かべる彼にうんざりしたような視線を向けつつ、ヘンリエッタは溜息混じりに続ける。
「試練だ、試練。成人の儀がどうこう言ってただろう」
「あ……」
「そういやそうだな。何だっけ? 闇を祓うとか何とか……」
「結局なにすれば達成って事になるのかぜんぜん分かんないままここまで来ちゃったもんねえ」
「……まさかお前、忘れてたのか?」
ヘンリエッタにじろりと睨み付けられ、エノクは慌てて首を振って応える。忘れていた訳ではないのだ。ただ探索が思いのほか上手く進んで、そのうえ色々な出来事が連続して起こったためそちらに気を取られ過ぎていたというか。
『レムリアは大いなる空虚に呑まれようとしている。黒き霧は数多の生命を喰らい尽くし、怒りは世界の全てを飲み込むまで尽きる事がないだろう。深淵に眠る獣を打ち倒し、島を覆う闇を祓え』──成人の儀の試練にあたってエノクに下った託宣の全文である。何をどうすれば試練達成なのかはまったく分からないが、迷宮探索をしていればヒントも見付かるだろう……そう思っていたものの、それがそもそも間違っていたらしい。第七迷宮までやってきた今も何をすればいいのかさっぱりである。
「アドバイス……でも同じ成人の儀でも、他の里ではやり方が違うと思うんだよね」
「託宣とやらもアバウトだしな。解釈しろって言われてもあっちも困るだろ」
「何かにこじつけて試練達成って事にしちゃえば?」
「いやそれはズルしたみたいで僕が納得できないっていうか……」
「お前、真面目すぎるな」
「うう……手伝って貰ってるのにワガママ言ってごめん……」
「別に責めてる訳じゃない」
ヘンリエッタはムッとした表情でそう言うが、先の見えない試練に付き合わせてしまっている事に変わりはない。探索していればそのうち……などと呑気に構えている場合ではなくなってきた気もするが、だからと言って何をすればいいのかも分からないのだ。エノクは背中にじわじわと汗が滲んでくるのを感じた。こんな調子で、本当に試練を終えて成人する事ができるのだろうか。
その時だった。会話に混ざらず、一人で先頭を歩いていたモモコがふと足を止めて木陰に身を寄せた。つられて立ち止まる四人を振り返り、彼女は唇に人差し指を添えつつ囁く。
「海の一族です」
よく見てみれば、少し離れた瓦礫の陰に海の一族の水兵が二人、周囲を見回しながら何やら話しているのが確認できた。慌てて身を隠して様子を窺う。
海の一族がマギニアの冒険者に敵対心を持っているというのは以前彼らの本拠地を訪れた際に嫌という程思い知った事だ。こちらとしては敵対するつもりなど毛頭無いのだが、下手に顔を合わせてあわや国際問題などという展開は避けなければならない。息を潜めて水兵が姿を消すのを待っていると、二人の会話が微かに聞こえてくる。
「……王女様はどこに、……護衛とはぐれたって……」
「……マギニアの冒険者…………俺はこっちを……」
暫しそうして言葉を交わしていた水兵だが、やがて大きな足音を響かせてどこかへと立ち去っていった。そっと木陰を出て周囲を見渡す。とりあえず、今は何事もなくやり過ごせたようだ。
警戒は解かないまま、サヤが小声で言う。
「まだ見付かってないのか、『航海王女』は」
「一階で見た人達も探してたよね?」
この迷宮で海の一族の兵士を見かけるのは初めてではない。上階の探索をしている際に見た水兵達は王女がフラフラ出掛けていってしまった、などと話していたが、どうやら王女はまだこの迷宮内を一人でうろついているらしい。
「一人で出歩くなんて警戒心のない王女だな……」
ヘンリエッタの呟きに他の四人もうんうんと頷く。航海王女がどのような人物なのかは知らないが、同じ一国の王女という立場の人間でも、ペルセフォネならばそのような危険な事はまずしないだろう。
「何というか、どんな人なのか逆に気になってきた……」
「わかるー。一人でフラフラできるんだから、やっぱりすごい強かったりするのかな?」
エノクがそう漏らせば、チエリがどこか楽しそうな口調で応える。二人のやりとりを聞いていたモモコは思わずといったように溜息を吐いた。
「……とにかく、慎重に進みましょう。海の一族や……試練の話にばかり気を取られて魔物にやられたのでは本末転倒ですから」
その言葉に若者二人は慌てて口を閉じる。与太話のしすぎでひっかきモグラに殴り倒されたりでもしたら堪ったものではない。……実のところ、魔物より怒ったモモコの方が余程怖いのだが。
◆
「私が海の一族の王女エンリーカ。七つの海を股にかける船長で冒険家よ! 人は畏敬の念を込め航海王女と呼ぶわ。あなた達も遠慮なくそう呼びなさい」
あ、成程、こういう人ね。
エノクとチエリは揃って頷いた。実際に見てみて納得がいった。同じ王女と言っても、彼女はペルセフォネと同じ括りにしてはいけないタイプの人間だ。
樹海の中で少女が一人歩き回っているのにも驚いたが、その少女が航海王女を名乗った事はエノク達にとっては更に驚きの出来事であった。確かに海の一族と似た、それでいてより高価そうな装備を身に付けた姿は王女と呼ぶには相応しいと言えなくもないが、正直なところこうして見ているだけではただの上から目線な少女にしか思えない。この状況下で何故そうも自信満々な態度でいられるのか、やたらと得意げな笑みを浮かべながら彼女は言う。
「それで……目的はやっぱり私? 高名な航海王女を捕まえて、交渉材料にでもするつもり?」
「え? いや別にそんな……」
「でも、そうはさせないわ」
「いやだから違……」
誤解です、と応えようとしたエノクの肩をすぐ後ろにいたサヤが乱雑に引く。
「来るぞ」
エノクは驚いて振り返り、すぐにはっとして剣を抜いた。どうやら大きな声で喋りすぎたらしい、人の気配を感じ取った魔物達が周囲に集まってきている。戦闘体勢に入った『スターゲイザー』を見てエンリーカもようやく自分達を取り囲む状況に気付いたようだ。辺りを見回し、にっこりと笑う。
「『スターゲイザー』っていったわね。魔物の相手、よろしくね!」
「えっ」
「私を捕虜にしようなんて十年早いんだから~!」
高らかに叫び、少女は一目散に駆け出す。ちょうど魔物がいない茂みの中を突っ切るようにして走り去っていく背中を五人は一瞬呆気に取られて見送るが、すぐさま気を取り直して魔物達に向き直った。
リンプンを撒き散らしながら飛びかかってきた毒吹きアゲハを叩き落とし、ひっかきモグラはひっかかれる前に斬り倒す。慣れた手つきで魔物を殲滅してほっと息を吐いた頃にはエンリーカの姿は既に樹海の奥へと消え失せていた。短刀を収めたサヤが、彼女が去っていった方向を眺めて頬を掻く。
「……どうすんだ? アレ」
「どうすると言われても……」
後を追うか、それとも遭遇自体を無かったことにするか。決めかねたエノクが助けを求めるようにモモコを見れば、彼女もまた困惑の表情を浮かべつつ応えた。
「海の一族の問題は本人達に任せたいところですが……今のままでは厄介な事になる気がしますね」
「というと?」
「あの王女様が『自分を捕まえようとするマギニアの冒険者から逃げ切った』なんて言って回らないとも限らないと思いまして」
「そ、それはまずい……」
エンリーカ本人に誘拐未遂犯だと思われるだけならまだしも、そこまで行ってしまうと大問題だ。真実がどうあれ、マギニアの冒険者が王女に害を加えようとしたという話が海の一族に広まれば国家間の本格的な対立は必至である。流石に笑えない。
「……追うか。本人の誤解は解けなくても、せめてあの巫医のお姉さんにもっかい会えれば……」
「何とかしてくれるかも?」
「そういう事だ」
サヤの言葉に四人も頷いた。急いで荷物を纏め、エンリーカが向かったのと同じ方向へ歩き出す。どうやらあの少女の逃げ足は存外に速いらしい。少し探索してみたものの、それらしき人影は既に辺りには見えなくなっていた。
急いで奥へ奥へと進んでいく途中で休憩中の衛士にも出会った。彼らはエンリーカの姿は見なかったようだが、もし鉢合わせていたらと思うと恐ろしい。改めて考えてみればこの迷宮にはマギニアと海の一族、両方の軍隊が同時に派遣されている事になるが、よく今まで衝突が起こらなかったものである。これも航海王女の絶対幸運とやらのお陰だろうか。
行く手を阻む二足歩行のドラゴンのような魔物を落とし穴に嵌めてかわして進むうちにいつの間にか一行は地下二階の最奥部まで辿り着いていた。下階へ繋がる階段を前に、顔を突き合わせて話し合う。
「いないねー、王女様」
「どこまで行ったんだ……」
「魔物にやられている可能性もありますね」
「そ、そんな縁起でもない……」
「まあ某らより先に……、ッ! 誰だ!」
短刀を抜き放ちながら急に叫んだサヤの声に、他の四人も思わず武器へと手を伸ばす。張り詰めた空気の中、サヤの視線の先で茂みの一部がガサリと音を立てた。草葉の裏側で何かが蠢く気配がある。次第に大きくなっていく葉擦れの音に息を呑み、茂みの中の何者かが姿を現すのを待ち構える。
ひときわ大きく茂みが揺れ、中にいた影が飛び出してくる──。
「あ! やっほー、おれだぞ!!」
……呑気な声が辺りに響いた。ひょっこりと覗いた予想外の見知った顔に、サヤが呆然と問いかける。
「…………何してんの? クチナ殿」
「ん?ちょっとな。おまえ達は探索か?おれも手伝いたいけど、今すごいお腹減ってて帰ろうとしてたとこだったんだ。しょんぼり」
悲しげに言い、あちこちに葉っぱをくっつけたクチナはむき出しの──例のごとく彼は半裸であった──腹を撫でる。五人は揃って脱力した。何ともまあ気の抜ける展開である。がっくりと肩を落としたサヤが呟く。
「警戒して損した……」
「ま、まあ魔物じゃなかっただけ良しとしようよ……」
エノクが慌ててフォローするが、当のクチナはそもそも状況をよく分かっていないようであった。微妙ながっかり感を漂わせる五人をきょとんとした表情で見つめている。
「どうしたんだ……?」
「いえ、何でもありませんよ」
「……そうだ! クチナさん、この辺りを女の子が一人で歩いてたりしなかった?」
チエリが思い出したように訊ねる。確かに急な遭遇に気を取られて忘れかけていたが、今はエンリーカ、もしくはあの巫医を捜すのを優先すべきだ。質問されたクチナは女の子、とおうむ返しに呟き、あっと手を打ち合わせる。
「見た! 金髪で、でかい角のついた兜を被ってるやつだろ? さっきそこの階段を下りてったぞ」
「本当!?」
「一人でそんなに進むなんて、正気か……?」
これはいよいよ本格的にあの少女の身の安全を心配した方がいいかもしれない。幸い物資にはまだ余裕がある。このまま三階に進んでも問題はないだろう。ぎゅるぎゅると腹の虫を鳴らしているクチナに再度問う。
「クチナさんは街に帰るんですか?」
「帰るぞ! ちゃんと糸もあるから迷子にもならないぞ」
「それなら良いけど。あたし達は先に進むね」
「あ、その前に」
荷物を纏めて階段に足をかけようとした五人を今度はクチナが呼び止める。
「おれも訊きたい事があるんだ。この樹海で、何か変なもの見なかったか?」
「変なもの?」
「んん……黒い霧みたいな……真南ノ霊堂にいたドクロが出してたみたいな……あんな感じのを出してるやつ」
釈然としない問いに一同は首を傾げる。真南ノ霊堂のドクロといえば、大いなる背甲獣と一緒に磁軸を守っていた魔物の事だ。何故そんな事を訊いてくるのだろう。疑問に思いつつもこれまで探索してきた場所の記憶を探る。
「いなかった……よな?」
「少なくとも私達は見ていませんね」
「うーん、そうか……分かった。引き止めてごめんな! 探索がんばれ~」
相変わらずの呑気な笑顔で手を振るクチナの声援を背中に受けつつ、今度こそ階段を下り始める。階下へ消えていく五人分の背中を見送ったクチナはひとつ息を吐いて一度辺りを見回すと、アリアドネの糸を広げて街へと帰っていった。
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