【SQX】8-1 秘宝の謎

 眼下の海岸に見える軍団をエノクは複雑な心境で眺めていた。鎧を纏い、一糸乱れぬ動きで隊列を組む兵士達を率いているのは冒険者ギルドの長であるミュラーである。彼の指揮により、マギニア軍による軍事演習が今まさに始まろうとしている。

 海峡を挟んで西側、巨大な帆船が停泊する砂浜には異変を感じ取って外に出てきた水兵の姿がちらほらと見える。敵国の軍隊がすぐ近くまで来たとなれば警戒するのも当然だろう。辺りには不穏な空気が漂いつつある。ミュラーは武力衝突を起こす気はないと言っていたが、それにしたってこんな事をして大丈夫なのだろうか。

「この程度どうってこと無いって」

 不安を隠しきれないエノクに対して、傍らにいたサヤは呑気な調子で言う。

「でも、仲が悪い相手の目の前でこんな……」

「そんな心配なら尚更探索に集中しないとダメだろ。某らがさっさと資料を回収し終わらないとミュラー殿も引き上げられない訳だし」

 そう言われてしまうと何も言い返せない。そもそもミュラーがこうして軍事演習を行っているのも、海の一族の注意が冒険者に向かわないよう引きつけるためなのだ。彼らが囮になってくれている間に、自分達はレムリアの秘宝に関する資料の回収という重要なミッションをこなさなければならない。

「……そういう訳ですから、行きましょうか。目的地はあの辺りですね」

 地図を手にしたモモコがそう言ってこれから向かう場所を指し示す。彼女の人差し指の先にあるのは森でも遺跡でもない。限りなく広がる青い海である。


 海嶺ノ水林は今まで見てきた中でも郡を抜いて不可思議な迷宮である。飛泉ノ水島のとある場所にある地下洞窟から繋がるこの迷宮は、なんと海底に存在しているのだ。本来ならば海水で満たされている筈の場所に何らかの作用で不可視のドームのようなものが形成され、そこに空気が入り込んだ事で人が出入りできるようになった、という推測がされているらしいが、正直エノク達には何もかもが理解不能である。まあ、ややこしい事情はともかく溺れる危険性が無い事だけ分かれば十分なのだが。

「でも、頭の上に海があるって変なかんじ」

 頭上を仰ぎ見ながらチエリがそう呟く。彼女の言うとおり、視界の上方を埋める青色が空の青ではなくて海の青であるというのは不思議な感覚だ。海水越しに射し込む光は常に揺らめいているし、時折落ちる影は鳥などではなく大きな魚のものである。異世界にでも迷い込んだかのような光景だ。ヘンリエッタが溜息混じりにぼやく。

「何日もいたらおかしくなりそうだ」

「そうですね。早く他の資料も見付かると良いんですが」

 言いながらモモコが掲げたのは先程見付けた資料である。『レムリアの伝承』と銘打たれたその古い冊子にはレムリアについての記述がいくつかまとめられていたが、軽く目を通した限り肝心のレムリアの秘宝に関する情報はほとんど載っていないようであった。

「どこにあるのかくらい書いといて欲しいよな。まあ、世界樹のどっかだとは思うけど。あんなこれ見よがしに立ってる訳だし……」

「だよねー。でも世界樹ってどうやって行くんだろ」

「今までみたいに霊堂から行けるとか? ほら、磁軸で……」

「その辺りの情報が資料に含まれているかも重要になってきますね。もし資料にあったら、海の一族はマギニアより一手先に進んでいる事になりますから」

 モモコの言葉にエノクとチエリはほえーと間の抜けた驚きの声を上げた。考えてみれば確かにそうだ。自分達は海の一族が落とした資料を集めているのだから、ここで得る資料はすべて海の一族が目を通した後のものという事になる。資料の中にどれだけマギニアにとって有益な情報があろうと、それは既に海の一族には知られている情報なのだ。

「……それやばくない?」

「だから急いだ方がいいって言ってんだろ」

 チエリの呟きにサヤが呆れたように応える。エノクはうーむと唸った。やはりいろいろな意味で悠長にしている暇は無さそうだ。早く資料を集め、さっさと引き上げてミッションを完了するに限る。

 列をなして周囲を徘徊する巨大魚──確かに魚なのだが、不思議な事にどう見ても空中に浮いている──を避けて通りつつ、資料が入った箱を探して樹海の先へ進んでいく。運良く全ての資料がこのフロアに流れ着いていないかとも思ったが、そうそう都合の良い事は無かったようだ。気付けば一行は次のフロアに繋がる階段の前に辿り着いていた。

「ぜんぜん見付かんない」

「参ったなー」

「……とりあえず、ここで一度休憩しますか。慣れない環境で動き続けるのも辛いですし」

 モモコの提案に反対する者はいなかった。獣避けの鈴を鳴らしつつ、持ち込んでいた食糧を広げて各々つまむ。急いで探索しなければならないとはいえ、こうして適宜休息を取らなければ勝てる相手にも勝てなくなってしまう。魔物に襲われて文字通り海の藻屑となるオチなど御免である。

 携帯食糧をかじりつつ、エノクは比較的濡れていない岩の上に腰を下ろした。隣ではサヤが先程回収した資料を丹念に読み返している。

「熱心だね」

「ん? だってこれ司令部に渡したら読めなくなるかもしれないし。折角だから全部見ておきたいんだよ」

「ふーん……」

 エノクは内心驚く。サヤがそういった事を気にするタイプだとは思っていなかった。シノビという職業の者は密偵などの仕事もすると言うし、情報収集癖のようなものでもあるのだろうか。

 どこか楽しげな表情で資料を読み進めていたサヤだったが、ふと顔を上げると武器に手をかけた。その視線は少し離れた下り階段の方へと向けられている。エノクが小声で何事かと問えば、誰か上がってくる、と返ってくる。耳を澄ましてみれば、彼の言葉通り階段の方から複数の足音が聞こえてきていた。サヤが資料をそっと隠し、ヘンリエッタは広げていた食糧を集めて鞄に詰める。

 数秒の後、神妙な面持ちで見守る『スターゲイザー』の視線の先で階段から顔を出したのは五人の人間だった。そして更に言うならば、その五人は見覚えのある顔をしていた。

「……あれ!? 『スターゲイザー』じゃない! 久しぶりだね」

「あら……『ウルスラグナ』?」

 モモコが問えば、先頭を歩いていた女剣士──ニーナはにっこりと笑ってピースサインを掲げた。彼女の率いるこのギルドとは何かと縁があるらしく、第三迷宮で初めて顔を合わせて以降も度々こうして顔を合わせている。どうやら彼女達は地下二階の探索を切り上げ、これから街へ帰還するつもりのようだ。

「糸を使っても良かったんだけど、帰りがてら素材を集めたくてね。あなた達は?」

「司令部からのミッションで探し物をしてて。ええと、何か……本みたいな物とか見ませんでしたか? 頑丈な箱に入ってたと思うんですけど……」

 訊ねれば、『ウルスラグナ』一同は驚いた様子で目を瞬かせた。ニーナが何か言いたげに振り返れば、後ろの方にいた銃士の青年がごそごそと鞄を探り始め、やがて取り出したものを静かに差し出した。エノクはあっと声を上げる。彼の手にあるそれは、所々水の染みた書物だった。受け取ってよく見てみると、表紙には『幻の古代文明』と書いてあるのが分かる。

「それで合ってますか?」

 青年の問いにエノクはこくこくと頷く。

 話を聞いてみれば『ウルスラグナ』は司令部からのミッションは受領していないものの、探索している最中に偶然この本を見付けて拾得していたらしい。何という幸運だろう。とにかく、これで二つ目の資料を回収できた事になる。

「何でこんな所にあるのかなーって不思議だったけど、そういう事情だったのね。たまたま拾っただけだけど役に立てたなら嬉しいよ」

「はい、ありがとうございます。助かりました」

「なあなあ、それの中身も見てみようぜ」

 座っていた岩から立ち上がったサヤがそう言ってエノクの手元を覗き込む。促されるままに表紙を開き、目次を頼りに古代レムリアについて書かれている箇所を探す。探り当てたページの文章は予想外に少なかった。エノクは文章を指でなぞりつつゆっくりと読み上げる。

『古代文明レムリア……伝承によると今の私達には予想もつかない高度な文明を誇っていたようだ。信用のおける文献ではないが、民間に残る資料から引用してみよう。

 レムリアには、空を飛ぶ船があり、繁栄を約束する秘宝が存在し、住人は不老不死ともいえる命を持っていた。レムリア人は、その時代に栄華を極めていたといえる。しかしある時起こった事件により超古代文明は一夜にして滅んだという。

 何があったのかを明確に書いた資料はない。海の一族に伝わる伝承ではレムリアの民は神の怒りにふれたと言われている。故に栄華を誇ったレムリアは一夜で滅び、残された民は空飛ぶ船でその地を去った。島には繁栄を約束する秘宝がいまも眠り続けている……。

 伝承はそう伝えられている。』

 ……重要な記述はこのあたりだろうか。初めて目にする情報もあるにはあるが、やはりそのどれもが抽象的で要領を得ない。

「マギニアがものすごい昔からある船だって事は分かったな」

「そんな事知ったところで何にもならないがな」

 ヘンリエッタがうんざりしたように呟く。

 そんな中、あの、と声を上げたのは『ウルスラグナ』のメンバーの少女だった。豪奢な鎧を纏った彼女は『スターゲイザー』の五人に向き直って微笑み、優雅にドレスの裾をつまみ上げる。

「わたくしマルグレーテと申します。ひとつ気になる事があるのですけど、ご意見をお聞かせ頂いてもよろしくて?」

「ええ、構いませんが……」

「この繁栄を約束する秘宝とやらの事ですが」

 言いながらマルグレーテはエノクが持っている資料を指でなぞる。

「この"繁栄"とはどのようなものなのでしょう」

「……えーと?」

「それは……確かに気にはなっていましたね」

 モモコが神妙に頷く。訳が分からないという顔をしたチエリが助けを求めるように周囲に視線をやれば、肩を竦めたサヤが呆れた様子で口を開いた。

「つまりだな。国の繁栄っつーのは一口に言えるような単純な物じゃないだろ? 例えば土地の豊かさ、国民の質と量、文化、外交関係、技術力、軍事力……色んな要素が組み合わさってこそ国は"栄え、繁る"わけだ」

「それなのにこの秘宝は繁栄を与えると言い切っている辺りがキナ臭い……そういう事だろう」

 ヘンリエッタの言葉にマルグレーテはひとつ頷いた。ニーナがうーんと唸って腕を組む。

「今まで秘宝を探してきたけど、それは考えた事も無かったね。持ってるだけで自然と国が豊かになるなんて魔法みたいな事は有り得ないだろうし……何らかの作用が国の繁栄を助けるって話なんだろうけど」

「そもそも不自然なんですよね。司令部からもこの資料からも、レムリアの秘宝については国を繁栄させる以外の情報がまるで出てこない」

「司令部が隠してる……ってのは流石に無いよな。こんな状況な訳だし。伝承の時点で情報が抜かれてる? となると誰が何のためにって話だ」

 黙って話を聞いていたエノクは混乱しつつも話のポイントを指折り数えて整理する。まず、レムリアの秘宝とはどんな物で、どのようにして繁栄をもたらすのか。そして何故秘宝についての情報がごく僅かしか無いのか。纏めると論点はこの二つである。纏めたところで、エノクの頭ではそれらしい答えすらひねり出せないが。

 それに関してはあれこれ話し合っていたメンバーも同じだったらしい。結局謎は謎のまま、議論は袋小路に陥ってしまった。

「……まあ、これから集める資料に何か手掛かりがあるかもしれないしな」

「そうですね……情報収集のために私達はここに来ている訳ですし。まだ結論を出すのは早いでしょう」

「調査に進展があったら教えて下さいましね。わたくし達も出来る限りの助力をしますわ」

「そうそう、同じ冒険者どうし助け合わないとね。……それじゃ、私達はそろそろ行くよ」

 口の大きいヤツに気を付けてねー! と手を振って去っていくニーナとその仲間達を見送ってから、五人も辺りに広げていた荷物を纏め始める。そろそろ休憩を終えて次のフロアに行ってもいい頃合いだろう。

 いつものように弓を構えたモモコを先頭にして階段を下りていく。彼女の後ろについていたエノクは、ふとすぐ後ろにいたヘンリエッタを振り返って声をかけた。

「あのさ。ヘンリエッタはどう思う? さっきの話」

「私に分かる訳がないだろう」

 返事は素っ気ない。だよねえ……とエノクは正面へ向き直るが、少し間を置いて背後から小さな声が聞こえてきた。

「……知られたくなかった、とか」

「え?」

「古代レムリア人は、秘宝の事を誰にも伝えるつもりは無かったのかもしれない。それこそ、自分達の子孫にも」

「……それは、どうして?」

「それこそ私が知るか」

 ふんと鼻を鳴らして今度こそヘンリエッタは沈黙する。エノクもそれ以上は何も言わず、静かに階段を下りていく。

 先頭を歩いていたモモコは階段を下りきった地点で足を止めていた。その手は腰の矢に伸びている。追い付いたエノクが何事かと彼女の視線を追えば、そこには悠々と立つ人影がひとつ。

「首尾よく資料を回収しているみたいだな」

 赤毛の男はそう言って警戒するエノク達の顔をまじまじと眺める。この男には見覚えがある。飛泉ノ水島に初めて立ち入った時に出会い、それ以来何度か姿を現している謎の男──。

「ブロートさん……でしたか」

「こちらが情報を流したとはいえ、もうここまで調査に来るとは。お前たちはなかなか有能なようだ」

 感心したようにそう言いながらも、彼の目にはどこか相手を値踏みするような、冷たい光が宿っている。刀を抱き締めたチエリが怯えたようにモモコの陰に隠れたのを見て、ブロートはふと口許を緩めてこちらへ近付いてくる。

「そんなお前達に敬意を表し、これを渡しておく」

 差し出されたのは手のひら大の青い宝珠だ。モモコが慎重に受け取れば、ブロートはすぐさま身を翻して離れていく。

「うまく使えば残りの資料も見付ける事ができるだろう。頑張って秘宝を探してくれ」

 言い終えると男は樹海の奥へと去っていった。五人は顔を見合わせ、モモコの手の上できらきらと輝く宝珠に視線を向ける。

「一体、何だったんだ?」

「さあ……」

「あたし、あのひと苦手……」

 弱々しく呟いたチエリの頭をぽんと撫で、溜息をひとつ吐いてモモコが言う。

「とにかく。先に進みましょう。……不審者に気を取られている暇はありませんからね」

 一同は頷いた。秘宝の謎にせよ、あのブロートという男にせよ、考え込んでいても埒が明かない。冒険者にできる事は樹海を突き進む事だけなのである。

 宝珠を荷物にしまい、『スターゲイザー』は再び歩き出した。

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