【SQX】8-3 千里の道も

 いつものように素材の採集と、酒場で引き受けた簡単な依頼の報告を済ませてノワールは治療院へ戻ってきた。今日得た儲けと今月の必要経費を頭の中で計算しつつ、診察を待つ患者達の横を通り抜けて廊下の奥へと進んで突き当たりの扉を開ける。次の瞬間、目の前の光景に彼の顔はにわかに曇った。盛大な溜息を吐き出して苛立ちの滲む声で言う。

「ここはお前達の溜まり場じゃないんだぞ……」

「お前の家でもないがな」

 何食わぬ顔で応えたヘンリエッタの言葉にノワールの眉間のシワはますます深くなる。続けて何か言おうとした彼だったが、ヘンリエッタの隣でお絵かきをしていたマナに飛びつかれたためにそれは叶わなかった。

「ノワールおかえり! あのねーチエリがおいしゃさんなの」

「何?」

「どうやら彼女、医術を学びたいそうで」

 奥の給湯室から紅茶のポットを手に出てきたモモコが告げる。

「新しい制度もできた事ですし、マリアンヌ先生にご教授をお願いしたんです」

「あのじゃじゃ馬娘が医術……?」

 ノワールの脳内に浮かぶチエリのイメージは刀を担いだそそっかしい泥んこ少女である。首を傾げれば、そういうところもある娘なんですよ、と静かな声が返ってくる。腑に落ちない所はあるが、モモコが言うならそうなのだろう。おえかきみてみて! とじゃれついてくるマナを軽くいなしつつ、もうひとつ気になっていた事を訊ねる。

「男どもはどうした」

「サヤ君は見てませんね。街のどこかにいるとは思いますが。エノク君は……」

「特訓をすると言って出かけた」

「……特訓?」

 思わずおうむ返しに問えば、二人は頷き返す。彼女達の表情もどこか困った風であった。

「東土ノ霊堂に一人でな。何を考えているのやら」

「あそこには調査隊も駐在しているし、魔物も弱いので許可しましたけど……本当、一人で何の特訓をするんでしょうね」

「ヒーローのトックン! かっこいいねー」

 楽しそうに声を上げるマナを抱き上げ、ノワールは揃って溜息を吐くモモコとヘンリエッタを眺めて肩を竦めた。彼女達もなかなか気苦労が絶えないようである。


   ◆


「……まさか本気だったとは……」

 東土ノ霊堂の入口付近、人が滅多に入ってこない奥まった場所でエノクは呟いた。傍らには例のごとく少年が浮かんでおり、エノクの言葉を聞くとむっとしたように眉を吊り上げる。

「俺がでまかせを言ったとでも思ってたのか?」

「いや……僕、朦朧としてたし……」

 熱を出して寝込んでいたエノクの枕元に少年が現れたのは三日前の事である。確かにハイランダーの技を教える云々の約束をした記憶は薄らと残ってはいるが、正直なところエノクはあのやり取りは夢の中の出来事だと思っていたのだ。あの日も含めて丸三日間ゆっくり休み、すっかり体調も良くなってさてあと一日休みだがどうしようかとなった所でいきなり「約束通り教えてやるから準備しろ」と言われて、初めてそう言えばそんな事もあったと思い出した程である。

「本当にやるの? っていうか何をするの」

「俺も色々考えたんだけどな。やっぱり『習うより慣れろ』だ」

 そう言いながら、少年はどこからか一本の槍を取り出した。初めて現れた時から彼が持っていたハイランド地方の槍である。しかし改めて見ると、よくもまあこんな身の丈に合わない武器を振るえるものだ。そもそもオバケに物理法則を当てはめる事自体が間違いなのかもしれないが。

 少年は暫しのあいだ槍をくるくると回して刃や柄を細かく確かめていたが、やがてうーんと唸る。

「長いな……ちょっとこれ持て。こう、横に掲げるみたいに」

「? こう……?」

 急に槍を渡されたエノクが困惑しつつも言われた通りにすれば、少年は何を思ったのか急に右手を高々と振り上げた。そして気合いの一声と共に、槍の柄へ手刀を叩き込む。

 ぽき、と小気味いい音が響いた。真っ二つになった槍を手に呆然とするエノクに向かって少年はぐっと親指を立てる。

「……よし!」

「良くはなくない!?」

「別に折れても一回消えれば戻るし……それに、お前のために折ったんだぞ。ちょっと振ってみろ」

「ええ……?」

 状況が呑み込めないながらもエノクは柄の長さが元の半分以下になった槍を受け取り、そこでようやく少年の意図を察した。ハイランド式の槍は大剣としても扱える。そして槍の特徴である長い柄が失われれば、それはもうほぼ剣と変わらないのだ。

 右手に構えて何度か振ってみる。刃が大きいためいつもの剣とは勝手が違うが、まったく扱えないという程ではない。むしろ初めて握ったにも関わらず妙に手に馴染む。少年が腕を組んでうんうんと頷く。

「丁度いいな。よーしそれじゃ特訓するぞ! まずは試しにあそこにいる魔物を斬ってみろ」

 少年が示した先には一匹の霧吹きスカンクの姿がある。エノクは首を傾げた。

「……なんで急に?」

「いいから!」

 どうやら拒否権はなさそうだ。エノクが一歩踏み出せば、人間の気配に驚いたスカンクが飛びかかってくる。攻撃を難なくかわし、槍を振り下ろす。背を深く裂かれた魔物は地面に崩れ落ちてすぐに動かなくなった。

 息を吐き、槍を下ろしたエノクはある違和感に気付いた。柄を握っている掌がほんのりと熱を持っているような感覚がある。怪訝に思って手を握ったり開いたりするエノクを見て、少年が満足げな表情を浮かべた。

「その熱っぽい感じが魔物の生命力を吸収した証だ。コツさえ掴めば誰でもある程度はできるようになる」

「えっ……生命力の操作ってハイランダーだけの技じゃなかったの!?」

「確かに、自然に習得できるのはハイランダーだけだろうな。でも技術(スキル)の譲渡っていうのがあってな、グリモアっていう……いやそれはいいか。とにかく、」

 少年はエノクの握っている槍をびしっと指さす。

「それを通じて、俺が持ってる技をお前の体に直接覚えさせてるんだ。感覚を覚えて、自分で再現できるようになればハイランダーの能力を習得できた事になる」

「う、うーん……よく分かんないけど……」

 エノクは槍を掲げ、まじまじと見つめる。少年の言っている事の意味はよく分からないが、もしも本当に生命力を操る技術を会得できるならば、これからの探索で役に立つ事もあるだろう。

 それに……エノクだってずっと使ってみたいと思っていたのだ。里の大人達が使う、ハイランダーの技を。

「……頑張ってみる」

「その意気だ」

 少年が笑い、軽やかに身を翻す。その背中で鮮やかな赤いタータン柄がひらひらとはためいている。


 感覚を覚える、と口で言うのは簡単だが、いざ実践しようとなるとあまりにも難しい。事切れた魔物を前にしてエノクは呻く。何となく、抽象的にだが理解はできてきた。切り裂いた傷口から、槍を通してストローのように吸い上げるイメージなのだ。イメージできたからといって、この槍無しで再現できる気はしないが。傍らに浮いていた少年が頬を掻く。

「うーん、流石にすんなりは行かないか。ちなみにこれ基礎の基礎なんだが」

「基礎の基礎でこれなの……」

「当たり前だ。『吸収』を覚えてからでないと、『放出』なんて危なすぎて教えられない」

 ──生命力を操る術には二つの種類がある。ひとつは『吸収』、今エノクがやっているように対象の生命力を吸い取り自らのものとする術だ。もうひとつは『放出』。自らの生命力を何らかの力に変換して放つ術であり、強力な槍技や仲間を支援する力場の生成などの技はこちらのグループに属している。

「……まあ何事も初めはそんなもんだろ。焦る事は無いさ」

「うう……何か他に無いの? アドバイスとか」

「そう言われても……俺も教えるの初めてだし……」

「初めてのくせにそんな自信満々だったの!?」

 衝撃の事実である。エノクは急に心配になってきた。この特訓、本当に効果があるんだろうか?何とも言えない表情で手元の槍を見つめる彼に少年は明るい口調で言う。

「たぶん大丈夫だ! 俺の考えが正しければそのうちできるようになる」

「何を根拠にそんな……」

「いけるいける! 俺を信じろ!」

「ふ、不安すぎる……」

 エノクは溜息を吐いた。雲行きが怪しくなってきた気もするが、魔物を倒した時の熱のような感覚自体は確かに存在している。無理だと決めつけるのは、もう少し試した後でも遅くないだろう。

 暫くのあいだ槍を使って魔物を倒した後、今度は自分の剣であの感覚が再現できないか確かめる。木陰から飛び出してきたマッスルフライを殴り倒してみるが、やはり槍で倒した時のようなはっきりとした感覚は無い。何となく、やればできそうな予感はあるのだが。

 何度か剣と槍を交互に持ち替えながら、少しずつ場所を移動して魔物を倒していく。他の迷宮で経験を積んだ今となっては、この迷宮に棲む魔物達は苦戦するような相手ではない。エノクはひたすらに相手の攻撃を避けては斬り、武器を替えてまた避けては斬りを繰り返す。傍らに浮かんだ少年はそんな彼の様子をただじっと眺めていた。

「……生まれつきのハイランダーはさ」

 何体目かの霧吹きスカンクを倒し終えたところでおもむろに呟かれた言葉に、少年の眉が寄る。それに気付かないままエノクはどこか遠い目をして言う。

「やっぱり、こういう技もすぐに覚えられるの?」

「お前の言うハイランダーっていうのがどの範囲を指すのかは分からないが……確かに、血の濃さは関係してるかもしれないな」

「そっか」

「……そんなに憧れてたのか。"本物の"ハイランダーに」

「うん。……っていうか、僕が憧れてたのって母さんなんだよね」

 エノクの母は里長の娘で、由緒正しい純血のハイランダーだ。元冒険者でもある彼女は里でも一、二を争う強さを誇る戦士であり、里の若い衆にとっては常に憧れと畏怖の対象だった。槍一本と己の力だけを頼りに屈強な熊さえ薙ぎ倒す姿はまさに一騎当千の傭兵民族──そんな母の事をエノクは尊敬していた。

 その母と自分に血の繋がりが無い事を知ったのは、エノクがちょうど十歳の誕生日を迎えた頃だった。

「養子だって知った時はショックだったなあ。おまけに本当の親が誰なのかも教えてもらえないし……」

「…………」

「だからこそ今こうして剣と盾が使えてるっていうのはあるかもしれないけどさ。槍が向いてないなら他の事を頑張ればいい、って言ってくれたのも母さんだし。……でも、やっぱり」

 握っていた槍を──借り物の、随分と柄の短いそれを掲げて、エノクは目を細める。

「実際に使ってみて分かったよ。僕にとってのハイランダーは母さんみたいな勇敢な槍兵で……僕はずっと"それ"になりたかったんだって」

「……そうか」

「まあ、もう僕も夢ばかり追いかけられるような子供じゃないけど……」

「いいじゃないか、夢」

 自身の言葉を遮った声にエノクは目を瞬かせた。彼の隣、視線より幾分か上にある少年の横顔は、垂れた髪の毛と口許まで引き上げられたマントのせいでよく見えなかった。いつもより低い、真剣な声色で少年は続ける。

「追いかければいい。お前にはそれが許されてるんだ」

「ええ? うーん……でも……」

 その時だった。何かが茂みを掻き分ける音を聞きつけ、エノクはすぐさま木陰へと飛び込んで身を隠す。息を殺しつつこっそり顔を出して周囲の様子を窺えば、少し離れた場所でもぞもぞと紫色の影が動いているのが見える。その正体に気付いた途端、エノクの表情はにわかに曇った。

「アードウルフ……」

「そういえばお前、あの狼キライだったか」

 少年の問いにエノクはひとつ頷く。エノクにはビルギッタと共に初めてこの迷宮を訪れた際、あの魔物に襲われた苦い経験がある。軽いトラウマ、とでも言えばいいのか。あれ以来、狼を見ると妙に背筋がそわそわしてしまうのだ。

 あちらは自分達の存在にまだ気付いていないようだ。剣に手をかけたエノクに、少年は驚いた様子で声をかける。

「やるのか」

「特訓もいいけど、苦手も克服しないとね」

「気を付けろよ」

 ひとつ頷いて応え、エノクは静かに木陰の外に出る。そのまま気配を殺して少しずつ距離を詰め、ある程度まで近付いたところで一気にスピードを上げて魔物の元へ駆け込む。急な襲撃者に驚いたアードウルフはしかし、すぐさま後ろへ跳び退く事で振り下ろされた剣の直撃を免れた。

 狼は敵意に満ちた目でエノクを睨み、敵の喉笛を食い千切ろうと文字通り飛びかかってくる。鋭い牙の生え揃った大口が迫ってくるが、ガードは冷静に、だ。エノクは盾を叩きつけるようにしてその攻撃を防いだ。横っ面を殴られたアードウルフの体が地面に叩きつけられる。その隙にエノクは一歩踏み出し、その脳天に渾身の力を込めて剣を突き立てた。悲鳴を上げながらもがく狼の四肢を力ずくで押さえつける。

 暫く経った後、アードウルフがついに動かなくなったのを確かめて剣を抜く。すんなり勝ててしまった。あの時の苦戦が嘘のようだ。背後に控えていた少年がふよふよと近付いてくる。

「大丈夫か?」

「うん。思ったより……ん?」

 ふとエノクは自分の掌に目をやり、そしてあっと声を上げた。グローブ越しに伝わってくる熱のような感覚……これは、少年の槍で魔物を倒した時と同じ感覚だ。

「えっ嘘……できた!?」

「まじか! おい次の敵探すぞ! 忘れない内に反復練習だ反復練習!!」

「う、うん!!」

 少年に促され、エノクは慌てて駆け出す。彼らが新たな魔物を見付けて斬りかかるまで、あと数十秒──。


   ◆


 結局その日、エノクは夕暮れ時まで東土ノ霊堂で魔物を相手に戦っていた。随分と長い時間を費やしたが、その分得たものは大きい。剣を握った右手を掲げ、満足げに笑う。

「……うん。何となくできるようになった……と思う」

「目に見えないから分かりづらいけどな」

 少年の話によれば、修練を重ねてより強い力を使えるようになれば吸収した生命力がオーラのような形で目に見えるようになったりもするらしい。とはいえ、今のエノクには程遠い領域であるが。

「まあ見えなくても何となく分かる。それ、もう治ってるだろ」

 そう言いながら少年が指さしたのはエノクの頬だ。ついさっき肉食コアラの食らってかすり傷のついたそこを、指先で確かめてみる。確かに傷口は既に塞がり、微かな皮膚の盛り上がりが感じられる程度になっていた。『ハーベスト』の効果だ、と少年は言う。

「生命力って治癒の力に近いらしいんだよな。けど、大きな怪我は治せないから過信しないように」

「分かったよ」

「さて帰るか。明日からまた探索だろ」

 エノクは頷く。海嶺ノ水林で入手した地図を頼りに、ミュラー率いる部隊が第九迷宮──西方ノ霊堂を発見したのは三日前の事だ。『スターゲイザー』は風邪の療養のため多めに休暇を取っていたがそれも今日までの話、明日からはまた新迷宮の探索に参加する予定になっている。

「余裕があったら実戦でも使ってみるよ。折角教えてもらったんだし」

「俺は大した事してないだろ。槍貸したくらいで」

「でも、きっかけを作ってくれたのはきみだから……ありがとう」

 素直に礼を言えば、少年はどこか困ったような曖昧な笑みを浮かべる。照れているのかと問う前に彼はふわりと高く浮かび上がってしまった。エノクに表情を見せないまま、彼は呆れたように言う。

「ほら、帰るぞ」

「……うん!」

 先を行く少年の後を追ってエノクは駆け出した。射し込む夕陽が彼を眩く照らし出す。その足下に、長い影の尾を引きながら。

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