【SQX】9-1 トーテンタンツ
──上手くいっている。
戦闘を終え、剣を収めたエノクはこっそりとガッツポーズを取る。少年の指示の下で行った生命力を操る技の特訓、その中で会得した技は今や完全にエノクのものとなっていた。慣れない事とはいえ一度コツを掴んでしまえば案外できてしまうものである。
「お前実は才能あるんじゃないか?」
するすると成長していく姿を見た少年にそう言われてしまえば、流石のエノクも満更でもない気持ちになる。しかし舞い上がっているばかりではいけない。今できているのはあくまで基礎の基礎だけだ。更に修練を積んで、戦闘に役立つ技術をより多く習得する事が次の目標である。
そういう訳で、エノクは今日の探索でも隙あらば魔物の生命力を吸い取り、次の技の練習に取り組んでいた。少年曰くこの生命力を癒しの力として仲間に分配できて初めて『ハーベスト』が完璧に習得できたと言えるらしい。エノクは体の中で渦巻く熱に意識を集中させる。今度は吸い込んだものを放出するイメージだ。一ヶ所だけではなく、広く、満遍なく。
「あ! 今ちょっと何かきたかも!」
隣でチエリが叫ぶ。『ハーベスト』は仲間を癒すという性質上エノク一人では効果を確かめられないため、仲間達にも事のあらましを話して協力してもらっているのだ。無論、説明の際にあの少年に関する事だけは省いたが。
チエリの言葉にほっと笑みを浮かべつつ、エノクは背後を振り向いて問いかける。
「ヘンリエッタはどうだった?」
「……それらしい『気』の動きはあったが、あれじゃ治癒の術とはとても言えない」
素っ気ない返答にエノクは素直に頷いた。ヘンリエッタは治癒を専門とする巫医である。この場の誰よりも治療術に慣れ親しんだ彼女が言うのであれば、実際にその通りなのだろう。しかしそれらしい動きがあったというのは喜ぶべき情報だ。このまま練習を続けていれば、いずれは治癒の術としてきちんと形になる可能性があるという事なのだから。
「ありがとう。付き合わせちゃってごめん」
「別に……」
「終わりましたか? じゃあ先に進みましょう」
魔物から剥ぎ取った素材を手に、モモコがにっこりと笑う。
「今日のうちにこのフロアは踏破してしまいたいですからね」
「そうだなー。何かギスギスして嫌な空気だし、早く進もうぜ」
サヤの呟きに他の面々も頷く。
現在この遺跡──西方ノ霊堂では冒険者以外の二つの軍団が探索を進めている。ミュラーの率いる衛兵隊と、航海王女の率いる海の一族の精鋭。敵対する両軍が同じ迷宮を探索しているこの状況はかなり危うい。ミュラーに関しては彼自身が以前言っていたように武力衝突は避けて秘宝の捜索を優先する方針のようだが、果たしてそれもいつまで続くか。
迷宮の奥へ向かう道を進みながら、サヤが再び口を開く。
「もしミュラー殿と航海王女が出会って、戦いが起こったらどうするよ」
「どうするって言われても……」
「その時は」
答えあぐねるエノクの言葉を遮って、強い口調で言ったのはヘンリエッタだ。驚く仲間達の視線を浴びながら彼女は続ける。
「私は抜けるぞ。……探索には協力するが、人間同士の戦いに荷担するつもりは無い」
「そうは言ってもな、某らは一時的とはいえマギニアに所属してるんだぜ?」
「知らん。冒険者はあくまで冒険者であって、兵士ではないだろう」
そう吐き捨ててふんと鼻を鳴らすヘンリエッタの表情はいつもより険しい。エノクは何をそんなに怒っているのかと訊ねようとしてすぐに思い直す。無闇に人の事情に踏み込むのは良くないだろう。理由はどうあれ、きっと彼女にとってそこは絶対に譲れない部分なのだ。
会話はそれきり途切れた。何ともいえない緊張感を残したまま、一行は足を進める。
事が起こったのは地下三階に足を踏み入れた直後の事だ。周囲の様子が変わった事に最初に気付いたのはモモコだった。怪訝な表情で辺りを見回し、おかしいですね、と呟く。
「魔物の姿が全く見えません」
言われてみれば、階段を下りてきてから辺りが異様に静かだ。他の強大な魔物の縄張りの中であったり、人工的に魔物を寄せ付けない仕掛けがしてあったりなどの理由で魔物の気配が感じられない場所というのは迷宮の中にも存在している。しかし今『スターゲイザー』が立っている場所はそのどちらにも当てはまりそうにない。サヤが武器に手をかけて警戒を強める。
「妙な感じがするな」
「……! まさかミュラーさんと海の一族が……」
「それならもう少し騒がしく──待って、これは……足音?」
そう言ってモモコが矢を手に取った次の瞬間だった。茂みの向こうから、何かが草木を掻き分けて急速に近付いてくる。魔物の急襲かと身構えた一同の前に飛び出してきた影──それは人の形をしていた。更に言うなら、見覚えのある姿をしていた。黒髪に褐色の肌、そして迷宮には似つかわしくない上半身裸の男。
「……クチナさん!?」
チエリが思わずといったように叫ぶと、切羽詰まった表情で五人の横を駆け抜けようとしていたクチナははっと振り返って足を止める。が、それも一瞬の事で、悔しげに唇を噛むとそのままどこかへ走り去ってしまった。チエリは後を追おうとする。
「待っ……」
「下がれ!」
一声叫び、サヤがチエリの首根っこを掴んで思い切り後ろに引っ張る。バランスを崩したチエリがよろめいた次の瞬間、一瞬前まで彼女が立っていた場所に空を切って飛来した何かが突き刺さった。チエリの顔がさっと青くなる。彼女の足下、石畳に食い込んだそれは、一本の矢だ。
場の緊張感が一気に高まる。警戒する『スターゲイザー』の頭上から降ってきたのは見知らぬ男の声だ。
「あ!? チキショウ逃がしたか! ったく面倒臭ぇな……」
「──何者です?」
モモコが問う。彼女の見上げる先……傾いた石柱に絡み付くように枝を伸ばした木の上から、今度は溜息混じりの声が聞こえてくる。
「しかも冒険者に遭うなんてツイてねぇ……よっ、と」
軽い調子の掛け声と共に、生い茂る蔦葉を掻き分けて声の主がその姿を現す。若い男だ。動きやすい軽装と背中に携えた矢筒はレンジャーの装備だろうか。帽子の下から覗く髪はくすんだ金色で、何より目を引くのは挑発的にこちらを見下ろす目だ。渦巻くような真紅の瞳は、奇妙な程深く鮮やかな色をしている。
姿を見せた男は、五人を見下ろして一瞬呆気に取られたような顔をした。しかしその表情はすぐさま消え失せ、代わりにニヤリと笑みが浮かぶ。
「成程なァ。オマエらが『スターゲイザー』か」
「あたし達のこと知ってるの?」
「そりゃあな! ところで天下の『スターゲイザー』様にお聞きしたいんだが、この辺で逃げてった男を見てねぇか?」
チエリの表情が曇る。この男は先程走り去っていったクチナを探しているらしい。黙り込んだ彼女の代わりにモモコが答える。
「見るだけなら見ましたよ、どこへ行ったかは分かりませんが。……冒険者同士の小競り合いとは感心しませんね。何故彼を追うのですか」
「ちょっと揉めてな。大した事じゃねぇよ」
エノクはチエリと視線を交わす。クチナは世間知らずで浮いているところはあるが、少なくとも好き好んで他人に迷惑をかけるようなタイプではない。大した理由もなく相手に矢を射かけられるような事をしでかすとも、そしてそのまま逃げ出すとも思えないが。
男はくつくつと笑って続ける。
「でもま、ここにいたのがオマエらで良かったわ。他のヤツに見られたら厄介だった」
「……どういう意味でしょう」
「オレはマギニアの冒険者じゃないから」
その言葉に辺りの空気が凍った。
格好からして冒険者だとばかり思っていたが、そうではないとすると海の一族に雇われた傭兵か何かだろうか。警戒を強める『スターゲイザー』の姿に男はますます笑みを深めた。
「勘違いすんなよ、海の一族の手の者って訳でもねぇ。むしろオレからしてみりゃどっちも邪魔者ってトコだ」
「じゃあ……あなたは一体……」
エノクの問いかけに男はふふんと鼻を鳴らし、待ってましたとばかりに応じる。
「オレはスペード! 百戦錬磨の傭兵スペード様だ! オマエら冒険者も、マギニアも海の一族も全員出し抜いて最後にレムリアの秘宝を頂く者……それがこのオレさ」
──まさか。エノクは動揺した。彼だけではない。傍らに立っていたモモコもすっと目を細め、樹上の男を品定めするように見やる。ただでさえ二国間の関係が危ういこの状況で、この期に及んで第三勢力まで現れるなど……否、男の言葉をそのまま鵜呑みにするにはまだ早い。
男──スペードはその顔に浮かんだ厭らしい笑みを崩さないまま眼下の五人を見下ろしている。彼の様子はこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
「信じられないって顔だな。ま、そりゃそうか」
「……何故、いま正体を明かしたんです?」
「嘘ついたって何の得も無いし、残りの霊堂の位置が分かった以上潜伏する必要もなくなったからな。それに……こういうのはハッキリさせといた方が分かりやすいだろ? オマエらとオレは敵対してます、ってな」
「…………」
モモコが無言で弓に矢をつがえる。サヤが小さくモモコ殿、と呼ぶが、彼女の視線がスペードから外れる事はない。チエリが不安げな目で二人を見る。
エノクもまた固唾を呑んで目の前の光景を見守っていた。魔物との戦闘には慣れたものの人間同士の戦闘の経験など一度も無いし、そもそも人間と戦う事になるという想定すらしていなかった。一触即発のこの状況で、自分は何をどうすれば良いのだろう。あの少年ならば何か声をかけてくれたのだろうが、今日はまだ一度も彼の姿を見ていない。
モモコの剣呑な様子に一体何を思ったのか、スペードは目を輝かせて背中の矢筒に手を伸ばす。
「おーおーやる気か? 良いぜ、ここで一人くらい減らしといても──」
スペードの指が矢を掴み、目にも止まらぬ速さで弓を構えた、その時だった。突如飛んできた一本のナイフが彼の顔の横をかすめて背後の枝に突き刺さる。眉をひそめるスペードの視線の先、突然の出来事に唖然とする『スターゲイザー』の背後から駆けてきたのは迷彩柄のマントを羽織った小柄な青年だ。目の前に躍り出た見覚えのある背中にエノクは思わず問いかける。
「ろ……ロブ君?」
「お前ら! 無事か!」
鋭く叫び、ロブは武器を構える。その手に握られているのは先程飛んできたものと同じ投刃と呼ばれる小型のナイフだ。
「どうして急に……」
「探索中に偶然通りかかった。盗み聞きをするつもりは無かったが、様子がおかしかったからな……隠れて見てたんだ」
そしたら案の定こうだ、と彼は頭上の男を睨む。突然の闖入者を見下ろすスペードは先程と比べてあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべていた。肩を竦め、構えていた矢を矢筒に戻す。
「萎えたわ。……オマエら人望あるんだなー。面倒なのも来たし、帰るか」
彼のぼやくような呟きに重なるようにして、北側の低い壁の上から慌ただしい複数の足音が響いてくる。同時に、皆さんご無事デスかー! という少女の声も。カリスと彼女に連れられてやってきた衛兵の存在に一同が気を取られた一瞬の隙に、スペードはじゃあな~という呑気な声と共にひらりと身を翻して木の上から茂みの中へ飛び下りる。はっとしたロブが駆け寄るが、その時には既に男の姿は森の奥へと消えていた。
「チッ、逃がした……追うか?」
「いえ、やめておきましょう」
弓を下ろしたモモコが応える。彼女は大きく息を吐くと、ロブに向き直って軽く頭を下げた。
「ロブ君、ありがとうございます。お陰で何とかやり過ごせました」
「オレは特に何もしてないが……」
「いえ……あのままだと私、普通にあの男を射っていたので。いけませんね、子供達の前だというのに。もう少し冷静にならないと……」
「…………」
思わず閉口するロブに困ったように笑いかけ、モモコは壁の上に駆けつけたカリスと衛兵達を振り返る。相当急いでやって来たのか、息を切らしたカリスは六人の姿を見ると安堵の表情を緩めた。
「良かったあ……皆さんもロブも、何事もなくて何よりデス!」
「あの、怪しい男に遭遇したと聞いたのですが……」
戸惑ったように訊ねてくる衛兵にモモコが近付き、事の経緯を説明し始める。気付けばサヤも彼女の傍らに立って衛兵達と言葉を交わしていた。チエリはカリスとロブの二人と共に久々の再会を喜びあっているようだ。エノクもようやく肩の力を抜き、盾を地面に下ろしてほっと息を吐く。と同時に湧いてきたのは微かな不安だ。
──この先またあの男と出会う時があるかもしれない。今はこうして何事もなく終わったけど、次も戦闘にならないという保証はどこにも無い。もしその時がきたら、僕は……。
考えても答えは出なかった。ひとまず今はこのくらいにしておいて、また後で仲間と……それから一向に姿を見せないあの少年とも話をしてみよう。そう心に決めて辺りを見回したエノクはある事に気が付いて思わず声を上げた。
「……ヘンリエッタ?」
「!」
呼びかけられたヘンリエッタはびくりと肩を震わせてゆっくりとエノクを振り向く。帽子の下に覗くその顔色はひどく悪い。エノクは慌てて彼女の元へ駆け寄る。
「どうしたの? どこか調子が……」
「何でもない」
「でも……」
「何でもないと言ってるだろ……!」
怒りの滲む声を上げ、ヘンリエッタは帽子を深く被るとエノクから離れていってしまう。引き止めようとした手は虚しく宙を彷徨った。離れた場所で一人佇む彼女の背中を、エノクはただ見つめる事しかできない。
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