【SQX】9-2 正面衝突
「ほんとにごめ~ん!」
と一声叫び、クチナは客室の床にべったりと身を投げ出した。何故わざわざ汚い床に顔をつけるのか。戸惑うエノクを見兼ねたサヤが、これがドゲザってやつだ、とこっそり耳打ちしてくる。成程、とエノクは神妙に頷いた。初めて見たが、体格のいい大人がこうして頭を地面に擦り付けるようにして謝る姿というのは見ているこちらもなかなか辛いものがある。
周囲の困惑を知ってか知らずか、クチナは今にも泣き出しそうな声で続ける。
「押し付けるつもりじゃなかったんだ。ただあそこでおれが立ち止まったら巻き込んじゃうと思って……でも結局それが裏目に……ごめんなさい……」
「ああ……いえ、分かりましたから顔を上げてください……」
モモコが促せば、クチナはおずおずと顔を上げて潤んだ瞳で一同を見回した。その額には床に伏せていた際についたフローリングの跡がはっきりと刻まれている。微妙に埃で汚れたその顔をサヤがハンカチで軽く拭いてやれば、クチナはますます表情を歪めて身を縮こめた。
萎縮しきった彼を宥めて椅子に座らせ、あの手この手で何とか落ち着かせたところでチエリが口を開く。
「でも、なんでクチナさんはあの人に追いかけられてたの? ちょっと揉めたって言ってたけど」
あの人とはつい先日第九迷宮で出会った男、スペードの事である。あの男は『スターゲイザー』と接触する直前まで逃げるクチナを追いかけていた。二人の間に何があったのか、この際きちんと訊いておくべきだろう。チエリの問いにクチナは視線を彷徨わせる。
「それは……何というか。その……おれ、探しものをしてたんだ。前も言ったよな?黒い霧みたいなの出してるやつ」
「ああ、そういえば……」
「第七迷宮で言ってたね」
「あれをずっと探してたんだ。色んなところを動いてたからなかなか見付からなかったんだけど……あの遺跡でやっともう少しってところまで行って」
だけど、とクチナは眉を下げる。
「直前であの弓のやつに捕まって、なんか分かんないけど追いかけられて……おれ、何か悪いことしたのかな?」
それはこちらが訊きたいくらいである。
しかしクチナの口ぶりからすると、彼が何か下手な事をしでかしたために追われていたという線は薄そうだ。強いて言うならクチナの探しものとスペードに何か関係があるという可能性はあるが……。
「まだまだ謎が多いねえ」
「とにかく、探索を進めるしかないんじゃねえの? そっちも放ってはおけないが、優先しなきゃいけない事が他にもあるだろ」
「そうですね」
サヤの言葉にモモコが頷く。気がかりな点はあるが、今は迷宮の探索を優先すべきだ。それ以前に、どんな状況であろうと自分達冒険者にできる事など探索以外には存在しない。戦い、地図を描き、未踏の道を切り拓くのが冒険者という存在である。例えそれがあわや戦争に陥ろうかという状況であっても、謎の第三勢力の存在が明らかになったとしても。
「司令部への報告は済ませましたから、そちらが調査を進めてくれると信じましょう」
「じゃー明日は探索の続き?」
「だな。そうと決まればさっさと休むか」
その言葉を皮切りに、一同は各々立ち上がって思い思いの場所へと向かっていく。エノクも洗面所に出て歯でも磨こうかと立ち上がったところで、服の裾を引く微かな感覚に気付いて足を止めた。振り向けば、そこにいたのは俯きがちに立つヘンリエッタだ。
「お前、どう思う」
「どう思うって……?」
「あの男と戦うことになったらどうする」
長く垂れ下がる髪に覆われたヘンリエッタの顔は陰になっていてよく見えないが、その声は真剣な色を帯びている。エノクは視線を彷徨わせた。急に訊かれたところで、エノク自身もまだ迷っている最中なのだ。
「……まだ、分からないけど。できるなら戦いは避けたいよ。誰も傷付かない方が良いに決まってるし……」
でも、と彼はひとつ息を吐いてヘンリエッタを見つめ返す。
「どうしても戦わなきゃいけなくなったら、その時は僕も覚悟を決めるよ。モモコさん達だけに重荷を背負わせたくないし、それもきっと試練のひとつだと思うから」
「そうか」
「その……ごめん」
「いちいち謝るな」
吐き捨てるように言い、ヘンリエッタはエノクの横を足早にすり抜けていく。そのまま部屋を出ていく直前でふと足を止め、振り返らないまま呟いた。
「お前のそういう所が、私にもあれば良かったんだが」
どういう意味かと問う前に、黒髪をなびかせた背中はすたすたと歩いていってしまった。部屋に一人残されたエノクは暫し立ち竦み、やがてはっと我に返ると仲間達を追って廊下へと向かう。
◆
霊堂内部に人の気配は少ない。マギニアと海の一族の両者が同時に探索を行っているというこの状況下で余計な混乱が起こらないように、迷宮への冒険者の立ち入りが制限されているのだ。現在この迷宮で探索を行っているのは司令部からの信頼が厚い一部のギルドのみである。そういう意味で、先日のスペードとの邂逅の際にロブとカリスが通りかかったのは幸運だったと言える。この先あの男と再び遭遇したとしても、同じような展開になる事は恐らく無いだろう。
「だからってあまり気負いすぎるなよ」
そう言うのはいつものように隣に浮かぶ少年だ。槍の先端に付着した粘液──ぶちももなめくじの体液だ。多量の毒素を含んでおり、下手に触れると危険な代物である──を忌々しげに辺りの草葉に擦りつけながら、彼は尚も続ける。
「お前がアレコレ考えたからって事態が好転する訳でもなし。しゃんとしてろよ、ギルドマスター」
「ギルドマスターなんて……名前だけだよ」
「ふうん? ……それはともかく、技の練習はどうだ? 上手くいってるのか」
「まあ、それなりに」
汲み上げた湧水で剣にこびりついた血や粘液を洗い落としながら、エノクは曖昧に答える。先程の戦闘で試した時にはヘンリエッタに「前よりは良い」との感想を貰った。昨日の今日でいきなり上達する筈もないが、上手くいっていると言えば、まあそうなのだろう。
そういえば、とエノクは背後の仲間達に怪しまれないよう注意しつつ、そっと顔を上げて少年を見る。
「訊きたい事があったんだけどさ。『ハーベスト』って敵を倒した時じゃなきゃ駄目かな?」
「どういう事だ」
「何て言うか……倒す時じゃなくても、攻撃する度に吸収できる感じがするんだよね」
これもつい先程気付いた事である。『ハーベスト』は倒した相手の生命力を奪って癒しの力に換える技だが、もし攻撃の度にそれができるとすれば利便性は更に向上する。エノクの思いつきの言葉に少年は目を瞬かせ、はあー、と感心したような声を上げた。
「それは思いつなかったな。倒した敵から、っていう先入観があったからか……良いんじゃないか? できるならどんどん試してみろ」
「あ、良いんだ」
「技術なんて自分でアレンジしてなんぼだ」
軽い調子の言葉にエノクはそっか、と頷いた。教えて貰った技を勝手に改変して良いものかと思っていたが、他でもない彼のお墨付きがあるなら気兼ねなくチャレンジできる。……結果が出るかどうかは別として、だが。
「何事も挑戦あるのみ! だ。いやあ若いっていいなあ、可能性に溢れてて」
「いや……明らかにきみの方が若、」
「エーノークー?」
突如背後から聞こえてきた声にエノクの肩がびくりと跳ねる。弾かれるように振り返れば、すぐそこに立っていたサヤが怪訝な表情を浮かべてこちらを見ていた。
「いつまで剣洗ってんだ?そろそろ出発するぞ」
「あ……う、うん! 分かった!」
「ていうかさっき一人でブツブツ言って……」
「言ってない言ってない! 気のせいじゃない!?」
訝しむサヤの言葉を遮るようにして慌てて叫ぶ。サヤは明らかに納得がいっていない様子だったが、必死に取り繕うエノクの姿に気圧されたのか微妙な表情でそうか……と頷いた。これは確実に誤魔化せていない。エノクは背中にじっとりと汗が滲むのを感じながら剣を鞘に収めて立ち上がり、少し離れた場所で自分達を待っている女性陣の元へ向かう。
「お前、嘘が下手だなあ……」
などと、後ろを着いてきた少年が呟いているのは聞こえないふりをした。
エノクとサヤが合流したところで、一行はいよいよ休憩を終えて探索を再開する。現在彼らがいる場所は地下五階のフロア中央付近の小部屋だ。地図は半分近くが埋まっているが、未だにミュラーやエンリーカの姿は見ていない。
「入れ違ってるのかな?」
「それなら良いんですけどね」
チエリの呟きにモモコが地図を描きながら応える。
「急ぎましょう。まだ探索していない場所で両者が対面している、という可能性もありますし」
フロア内を徘徊する羊や巨大なサソリの監視をかい潜りつつ奥へ奥へと進んでいく。時折道を塞いでいる謎の岩のようなもの──擬態した魔物を動かしては追いかけられ、再び擬態状態に戻ったところをまた動かし、道を拓き……神経の使う作業を繰り返した先に辿り着いたのは開けた小部屋だ。目の前には低い壁と、梯子代わりに使えそうな太いツタがある。
この壁の上を伝っていった先が、未だ探索できていない場所へ繋がっているのだろう。魔物の襲撃に気を付けつつ隊列を組んで慎重に進んでいく。最後尾を歩いていたサヤがふと呟いたのは、右手側の茂みの向こうに大広間が見え始めた時だった。
「ミュラー殿の声がする」
先頭のモモコが生い茂るツタを掻き分けて向こう側の様子を探る。サヤの言うとおり、広々とした広間にはミュラーと彼の率いる部隊の姿が見えた。ミュラーはどうやら部屋を囲む壁に刻まれた壁画のようなものに目を奪われているようだ。彼らがこちらに気付いた様子はない。
「呼びかけてみますか?」
「いえ、まだ距離が……っまずい!」
突如切羽詰まった声を上げ、モモコが走り出す。何事かと茂みを覗いたエノクも絶句した。いつの間にか大広間にやって来ていたのは、エンリーカと巫医、それからあのジュニアという犬だ。エンリーカはミュラー達に何事か喋りかけている。古代文字がどうこう言っているが、その口調は友好的というには程遠い……端的に言えば、煽っている。
残りの四人もモモコの背を追って駆け出した。石畳を蹴って大広間を目指す彼らの耳に、ミュラーの怒号が届く。
「……古代文字が何だ! 要はレムリアの秘宝を入手すればそれでいいだけだろう!」
秘宝はどこだ!と叫んだミュラーが奥に見える扉の方へ向かっていくのと、『スターゲイザー』が壁の崩れた部分から広間に下りるのとはほぼ同時だった。取り返しのつかない事態が起こる前に、二つの組織の間に割って入る──。
「退がれッ!」
ヘンリエッタの声と強く杖を衝く音が辺りに響いた次の瞬間、視界に黄色い霧のようなものがかかる。少年が顔をしかめ、辺りを見回すエノクのマントをぐっと引っ張った。一瞬困惑したエノクだったが、すぐにはっとして口許を覆う。鼻と喉を刺激する嫌な感覚……微弱だが、何らかの毒だ。直前でヘンリエッタが『巫術・結界』を発動したため直に吸い込まずに済んだ。
同じく巫医に守られたエンリーカも平気な様子であったが、ミュラーと衛兵達は苦悶の表情で蹲っている。彼らは防護手段を持っていなかったらしい。『スターゲイザー』が救護に走るより先に動いたのはエンリーカだ。巫医に指示し、衛兵隊を治癒させる。
「……! 海の一族が施しのつもりか! やめろ! お前らに助けられるつもりは無い!」
「……頑固な人ね、アナタ」
治癒されている事に気付いたミュラーが叫ぶが、エンリーカは怯まない。むしろ呆れたような表情を浮かべ、溜息混じりに告げる。
「これは意趣返しよ。あなた達が雇ってる冒険者……困ってた私を、立場を越えて助けてくれたお人好し。彼らがしてくれた事を、今度は私がアナタ達に返すわ!」
エンリーカの声に応えるように、巫医が治癒の術を強める。彼女の治療の甲斐あって、ミュラー達は苦しげな様子ではあるものの次第に体勢を立て直し始めた。エノク達の周囲の霧もヘンリエッタの結界のお陰で徐々に薄まりつつある。救援に向かおうと一歩踏み出したその時だった。
石畳に濃い影を落としながら、それは飛来した。
衝撃と共に土埃が舞う。ミュラーが、エンリーカが、巫医が、衛兵達が、バランスを崩して地面に叩きつけられる。少し離れた場所にいた五人は風圧に押されながらも何とか転倒せずに耐え、突如落下してきたそれの正体を探す。
土埃と霧が晴れた時、広間の中央に立っていたのは巨大な魔物だった。昆虫にも似ている異形の魔物は、『スターゲイザー』を見ると甲高い鳴き声を上げて腕を大きく広げる。……どうやら迷宮の主は、侵入者を生かして帰すつもりは無いらしい。
モモコが弓に矢をつがえ、サヤが魔物の足許へ飛び込んでいく。エノクも剣を抜いて盾を構えた。周囲に人がいるからといって焦る必要はない。いつもの戦闘と同じように、自分にできる事を冷静にこなすだけだ。
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