【SQX】9-3 急転

 杖を打ち鳴らす音。刹那、辺りに立ち込めていた毒が霧散し、隠されていた巨体が露になる。僅かに漂う霧の残滓を切り裂くように駆け込んだチエリが突きを食らわせれば、魔物は悲鳴を上げて防御体勢を解いた。そのまま手足を振り回して暴れるが、その攻撃はチエリには当たらない。四本ある脚のうち半分が既にサヤの攻撃によって封じられていたためだ。

 上手く身動きが取れずにもがく魔物に休む間もなく追撃が浴びせられる。振り下ろされた腕の一撃をエノクが盾で受け流した一瞬の隙に、モモコが音もなく矢を放った。鋭く空気を裂いて飛んでいった矢はちょうど頭にあたる部分に深々と突き刺さる。

 間もなく、体液を撒き散らしながら暴れていた魔物の動きが急速に鈍くなった。両腕をだらりと下げ、無防備な姿を晒す魔物の懐にチエリが飛び込んでいき、両手で構えた刀を思いきり振り抜く。悲鳴すら無いまま、巨体が仰向けに崩れ落ちる。

 チエリは倒れた魔物に素早く駆け寄ると、だめ押しと言わんばかりにもう一度刀を振り上げて今度は頭に突き刺す。刀を引き抜き、魔物が完全に動きを止めたのを確認したところで彼女は肩で息をしながら刀を収めた。背後で警戒していた四人も、各々ほっとしたように武器を下ろす。

「『スターゲイザー』!」

 魔物に吹き飛ばされた際の傷を癒したエンリーカが駆け寄ってくる。

「大丈夫? 恐ろしい魔物だったけど……」

「はい、何とか。皆さんは……」

「とりあえず全員生きてるわ。ケガの具合が酷い人もいるみたいだけど……」

 そう言って彼女が指さした先で、巫医や衛兵隊の医師が協力して怪我人を治療しているのが見える。未だ起き上がれない者もいるようだがいずれも命に別状はなさそうだ。ほっと息を吐くエノクに向かい、エンリーカは少し困ったような笑みを浮かべる。

「またアナタ達に救われたわね。ありがとう」

 素直に礼を言う彼女の姿を見ていたミュラーが土埃で汚れた顔を拭って立ち上がる。そしてエンリーカの方へと歩み寄ると、わざとらしく咳払いをしながら声を上げた。

「流石だな『スターゲイザー』。そして……あー、海の一族の王女エンリーカ姫。私と衛兵達に対する先程の助力……このミュラーから礼を言わせて頂く。秘宝を譲るつもりはないが……私どもは少し大人げなかったようだ」

「こちらも秘宝を譲るつもりはないわ。だけど……その言葉は受け取りましょう」

 応えるエンリーカの顔には笑みが浮かんでいる。二人の間に流れる空気はいたって穏やかだ。一時はどうなる事かと思ったが、少なくとも今この場所でマギニアと海の一族の間に争いが起こるという事はなさそうである。エノクは背後のヘンリエッタを振り返る。帽子についた汚れを払っていた彼女は、エノクの視線に気付くとふんと鼻を鳴らして目を逸らした。

 ふと、ミュラーが辺りを見回して怪訝そうに呟く。

「……しかし結局この遺跡には何があるのだ?レムリアの秘宝に至る重要な手がかりが存在していると聞いた筈だが……」

「その手がかりっていうのは、壁画に記された古代文字だと思うわ」

 エンリーカはそう言い、魔物の死骸を踏み越えて広間を囲む壁へと近寄る。

「ここにはレムリアの秘宝が何かはっきりと記されているの」

「どういう意味だ。レムリアの秘宝とは『国を永遠に繁栄させる宝』だろう?」

「その『国を永遠に繁栄させる宝』の詳細よ」

 エンリーカの言葉に、消耗した武具の整理をしていたサヤが顔を上げた。『スターゲイザー』の他のメンバーも、怪我人の治療を続けていた医師達もそれぞれ手を止めて彼女の話に耳を傾けている。壁に刻まれた紋様に指を這わせつつ、エンリーカは続ける。

「古代、レムリアにあった世界樹の力で生み出された力……それはヨルムンガンドという名の秘宝。世界樹の持つ大地の力により生まれたそれは、世界蛇とも呼ばれる存在らしいわ」

「ヨルムンガンド……!?」

「ええ、伝承では街をヨルムンガンドの力で護っていたのでレムリアは繁栄したと言われていて……そのヨルムンガンドがこの島の中心、世界樹に眠っている、とあるわ」

「……成程な。防衛機構だったのか」

 サヤが納得いった様子で呟く。以前『ウルスラグナ』の面々と話し合ったものの結論は出なかった謎の正体が、今明らかになったのだ。街を護る、というのが具体的にどういった手段によるものなのかは分からないが、秘宝とされるくらいなのだからヨルムンガンドとやらは余程強力な存在だったのだろう。

 気の抜けた表情で話を聞いていたチエリが、ねえねえとサヤの腕をつつく。

「世界蛇ってことはやっぱり蛇の形なのかな。秘宝がニョロニョロしてたらびっくりだよねえ」

「そりゃ蛇なんじゃね? ニョロニョロしてるかは知らねえけど……」

「壁画に描いてあるんじゃないですか?」

「でもあの絵、何が何だか全然分かんないんだもん……」

「真ん中のグルグルが世界樹か」

 壁画を指さしてああだこうだと話し合う仲間達の背中を、エノクは苦笑混じりに眺める。聞こえてきた限りではミュラーとエンリーカは互いの国との争いを禁じる協定を交わしたようだ。ここから世界樹に辿り着くまで、マギニアと海の一族は純粋に探索の速さだけで競争する事になる。

 事態が一段落し、ほっと息を吐いたエノクの視界の端で、赤いものがひらりと揺れる。その正体が何なのか、わざわざ目を向けなくてもすぐに分かった。仲間達には聞こえないよう小声で話しかける。

「いつ出てきたの?」

「秘宝の話が始まった辺りだな。何事もなくて良かった」

 ふよふよと浮かんでエノクの隣までやって来た少年は呑気な顔でそう呟く。先程の魔物との戦闘中に攻撃を食らって一度消えてしまった彼だが、いつの間にか復活していたようだ。

「いよいよ秘宝に近付いてきたな」

「そうだね。次の島には何があるのかな」

「お前……自分の目的忘れてないか? 試練はどうした試練は」

「わ、忘れてないよ……」

 エノクは目を泳がせる。忘れてはいないが、試練を達成するには託宣にある『レムリアを覆う闇』とやらをどうにかしなければならない訳で、現時点でそれらしきものは見当たらないから困っているのだ。

「でも逆に言えば、これから試練に相当するような何かが起こるかも……って事だよね」

「そうかもな。まあ何とかなるだろ」

「そんな軽く……、……?」

 と、そこでエノクは気付いた。壁画を見ていた筈の仲間達が揃ってこちらを振り返り、唖然とした様子で固まっている。何かに驚いたような表情だ。声が大きすぎただろうかと焦るエノクだったが、よく見ると四人の視線は自分には向いていない。では、どこを見ているかというと。

「…………え、俺?」

 少年が素っ頓狂な声で呟いた。ぽかんと口を開けるエノクの視線の先で、チエリが大きく息を吸い込んで叫ぶ。

「おばけだあーーーー!!」


   ◆


「……という訳で、その……特に害はないし、怪しいものじゃ……いや怪しいんだけど、悪いものじゃないんです……」

 エノクの言い訳じみた言葉を聞いたモモコが、彼の肩にぽんと手を置く。

「エノク君」

「はい……」

「貴方、騙されてません?」

「騙してない騙してない!」

 大人しくやり取りを見守っていた少年が慌てて声を上げる。モモコは明らかに信用できないという表情で彼を眺めた。エノクは何かしらのフォローを入れようとし、結局言葉が見付からずに口を閉ざした。急にこんなよく分からない存在が出てきて、なおかつ味方だから心配するなと言われて怪しまない方がおかしい。

 いったい何がきっかけだったのか。いつの間にか、少年の姿はエノク以外の全ての人間にも見えるようになっていた。突如現れた謎の浮遊する少年にミュラーやエンリーカもかなり動揺していたが、何とか言いくるめて先に帰ってもらったのが十分ほど前の事。つまり今大広間にいるのは『スターゲイザー』の五人……否、六人のみだ。静まり返った広間に、子供のオバケとそれを取り囲む冒険者……異常な状況である。

 困惑の表情を浮かべたサヤが頭を掻きながら口を開く。

「えっと……つまりそいつはエノクにくっついてる背後霊みたいなもんで、戦いの時とかに助けてくれる存在だと?」

「背後霊じゃないぞ。『残像』だ」

「ザンゾーってなに」

「それはちょっと一言じゃ言えないなあ」

 サヤとチエリの視線がエノクに向けられる。エノクは首を勢いよく横に振った。僕に訊かれても困る、の意である。

「ていうか、いつから居たのそいつ」

「え、ええと……第三迷宮で遭難してる時から……」

「だいぶ前じゃん……」

「やっぱり化かされていませんか? 魔物の類では?」

 さりげなく矢を握ったモモコの手をサヤが慌てて押さえる。モモコの目は至って本気である。少年はさりげなくエノクの傍に寄った。その顔に浮かぶのは困っているような悲しんでいるような複雑な表情だ。エノクは彼を庇うように立ち、四人に向かって言う。

「その……確かに怪しいけど、本当に悪いものじゃなくて……僕、何回も助けられてるんです。今まで強敵と戦った時もそうだったし、技も教えてくれたし……受け入れにくいのは分かるけど、それだけは分かってほしいなって……」

「え、エノク……!」

 少年の感極まったような呼びかけにエノクは視線だけで応える。二人のやり取りにモモコは何とも言えない表情を浮かべたが、とりあえず攻撃しようという意思は消えたらしい。矢を手放し、何か考え込むような仕草を見せるモモコにエノク達はほっと息を吐いた。

 ふと、今まで黙り込んでいたヘンリエッタが少年を見上げて訊ねる。

「……キマイラと戦ってる時、私を引っ張ったのはお前か?」

「ん? ……ああ! 止めを刺してる時か」

「そうだ。あの時は……助かった」

 帽子で顔を隠しながらそう言ったヘンリエッタに、少年は気にするな!と笑顔で応える。サヤとチエリが顔を見合わせる。この中だと彼女はモモコの次に警戒しそうなものだと思っていたが。自分に向けられる視線に気付いたのか、ヘンリエッタは顔をしかめて呟く。

「元々妙だと思っていた。たまに変な影が見える時もあったし」

 それに、と彼女はエノクを指さす。

「こいつが戦闘中にあんな作戦を思い付ける訳がない」

「ウッ」

「ああ……成程……」

 言われてみれば、といった風に他の三人が頷く。エノクは思わぬ精神攻撃にがっくりと項垂れた。まあ、確かにそうだが。大いなる背甲獣も、キマイラも、彼のお陰で倒せたのだが。

 何も解決はしていないものの、とりあえず話は一段落したようだ。苦笑を浮かべたサヤが縮こまるエノクの背中をぽんと叩く。

「とりあえず、だ! その背後霊の話は後々また詳しく聞くとして、さっさと先見て引き上げようぜ。多分いつもみたいに磁軸があるだろ」

 そう言いながら彼は広間の奥へ繋がる扉を指し示す。言われてみればそうだった。先に何があるかだけでも確認して報告してほしい、と去り際のミュラーに頼まれていたのだ。いつまでもこんな場所にいるより早く遺跡を抜けて街に帰ってから話し合った方がいいだろう。一同は荷物を纏め、放っておいてあった魔物の死骸から使えそうな素材を剥ぎ始める。

 比較的傷の少ない脚を胴から切り離そうと硬い表皮に刀を入れるチエリと彼女を手助けするエノク達とを遠巻きに眺めていた少年に、静かに近付いてきた影がある。視線をそちらに向ければ、帽子のつばをそっと上げたモモコは怪訝な表情で口を開いた。

「失礼ですが……私、貴方に会った事がありますか」

「…………」

 彼女の声色は真剣そのものだ。少年は肩を竦め、おどけた調子で答える。

「いいや、初めてだ。そもそも俺みたいな奴、一度会ったら絶対に忘れないだろ?」

「……そうですよね。ええ、その通り。……」

 そう言いながらも、モモコの顔に浮かんでいるのはどうも納得いっていないような表情だ。 首をひねりながらその場を離れてチエリ達の元へ向かっていく彼女の背中を、少年はじっと見つめている。


 その日の夜。宿に帰ってきたエノクはすぐさまベッドに寝転んで天井を見つめ、大きく息を吐いた。何だかいつにも増して疲れた気分だ。部屋にいるのは彼と、ふよふよと浮かんでいる少年だけである。サヤは一人で買い出しに、クチナは外で食事をしてくると言って出ていってしまった。

 今日一日の出来事を総評すると『色々詰め込みすぎ』の一言に尽きる。マギニアと海の一族の接触と和解、迷宮の主の討伐、少年の可視化、新たな島への道筋の発見、そして……。

「ある意味、タイミングは良かったのかもな」

 頭上に浮く少年が呟く。

「少なくとも海の一族と和解した後だったのは運が良かった」

「……うん」

 エノクはひとつ頷いた。西方ノ霊堂の磁軸を発見し、マギニアへ帰還したエノク達を待っていたもの……それは療養中だったペルセフォネ姫が姿を消したという報せだった。数少ない情報によれば怪しい男が姫を連れ出したという話であるが、その行方は分かっていない。

 この事は市民や冒険者の大部分には伏せられ、事実を知る衛兵や一部の冒険者には箝口令が敷かれている。しかし動揺や不穏な雰囲気は簡単に隠しきれるものではない。今夜のマギニアの空気はどこか張り詰めていた。

「心配だけど、ミュラーさんの言うとおり僕らは探索を続けなきゃ」

「あの変な男も気になるしな」

 変な男とは赤毛の男──ブロートの事である。新たな島に足を踏み入れた『スターゲイザー』に、マギニアが大変な事になっていると教えた人物であるが……。

「絶対に怪しい!」

 ……とは、チエリの言葉である。先程行った会議の中で、彼女は繰り返しブロートの不審さを訴えていた。

「だって、あたし達みたいに司令部と仲の良い冒険者ならともかく、普通の冒険者が姫さまの事わかる筈ないでしょ。そもそもあの人、マギニアとは別のルートで来たって言ってたし。マギニアの冒険者ですらないんだよ? なのに"大変な事になってる"なんて分かるのはおかしい! 絶対に何かある!」

 彼女の発言を思い返し、エノクはうーんと唸る。確かに一理ある。その真意はどうあれブロートが得体の知れない存在である事は確かだ。先日出会ったスペードという男の件もある。これからますます気を引き締めていかなければ。

「そうだな、世界樹も近付いてきたし……っと、帰ってきたか」

 少年が部屋の出入口をちらりと見やり、エノクを振り向いて笑う。

「睡眠の邪魔はしたくないからな、俺は消えておく事にする。おやすみ」

「え? うん、おやすみ……」

 エノクが応えれば次の瞬間には少年の姿は煙のように消え、それと同時に扉が開いて買い出しから戻ってきたサヤが廊下から顔を覗かせる。彼は部屋を見回し、あれっと声を上げた。

「お化けはどうした?」

「邪魔になりたくないから消えるって」

「へー、気遣いのできる霊だなあ」

 感心したように呟き、サヤは自分のベッドに腰を下ろすと抱えていた紙袋の中身を取り出して整理し始める。どうやら針や毒薬などを仕入れてきたらしい。シーツの上に並べた暗器をベストや籠手にひとつひとつ仕込んでいく姿を眺めながら、エノクは訊ねる。

「あのさ……やっぱ変だって思うよね」

「何が」

「あのオバケの事。急に出てきて、実は前から仲良くしてましたって言われても……」

「まあ、完全には信用できないってのはある。某、ああいうのは初めて見るし」

 だよね……とエノクは項垂れる。サヤは肩を竦め、だけどな、と前置いて続けた。

「あいつは信用できる、ってお主が言うんなら、某も少しは安心できるかな~って感じだ。お主が嘘の吐けない奴だってのはよく分かってるからな」

「……それ誉めてる?」

「誉めてる誉めてる!」

 わざとらしく笑ってそう言うサヤに、エノクは思わず溜息を吐いた。しかし本当に誉められているかはともかく、サヤが自分の事を信じてくれているらしい事は分かった。それだけでも十分に嬉しい事である。

「そっか、ありがとう」

「礼はいらねえよ。仲間なんだからな」

「……僕もう寝るよ。おやすみ」

 面と向かって言われると妙に気恥ずかしい。何でもない風を装って布団を頭から被る。熱くなった頬はすぐに隠したつもりだったが、目敏い彼の事だ。きっと既に気付いていて、その上で黙っているのだろう。

「ああ、おやすみ」

 厚い布越しに聞こえてくる声は、微かに笑っていた。


   ◆


 翌日の朝、『スターゲイザー』は再び西方ノ霊堂を訪れていた。磁軸を使い、新たな島──絶崖ノ岩島の探索へ向かうためである。本来ならば新たな島は辿り着いた際はマギニア付近からそれぞれの島へ直接転移できるよう磁軸を立てるところなのだが、今は司令部もそれどころではない。故にこうして徒歩で霊堂の奥までやって来たという訳だ。

「まずはやっぱり、あの洞窟から探索?」

「そうだね」

「それじゃあ、行きましょうか」

 先頭のモモコが磁軸へ繋がる扉を開ける──その先に広がっていた光景に、一同は息を呑んだ。

 立ち上る光の柱の前に、複数の人影がある。そのうちの一つは以前も出会ったあの男……スペードだ。

「よ! 待ってたぜ」

 片手を上げて親しげに挨拶する彼の背後に控えているのは二人の人物だ。一人は拳にナックルダスターを装備した軽装の女性。もう一人は鎧とマントを纏った少女──彼女の瞳は、どこか見覚えのある真紅色だ。警戒する『スターゲイザー』に対し薄笑いを浮かべて何か言おうとしたスペードを制し、少女が一歩前に出る。

「あなた達が『スターゲイザー』ね」

「……貴女は?」

 モモコが静かに問う。少女はその問いには答えず、僅かに瞳を細めると傍らの男を指さす。

「そっちの彼が、あなた達に無礼を働いたと聞いたわ。その節はごめんなさい」

「え、お嬢!?」

「でもわざわざ謝りに来た訳じゃないの。単刀直入に言うわ……レムリアの秘宝から手を引く気は無い?」

 思わず声を上げたスペードには何も応えず、少女は淡々と告げる。モモコの視線が険しくなる。エノクにも何となく状況が掴めてきた。以前スペードはレムリアの秘宝を狙っていると言っていたがそれは彼自身の目的ではない。少女──"お嬢"の口ぶりから察するに、恐らく本当に秘宝を求めているのは彼女の方なのだ。

 黙り込むエノク達の返事を待たず、少女はそっと首を振った。

「いいえ、答えは分かりきっていたわね。あなた達冒険者は秘宝を探すためにこの島にいるのだもの」

「……僕達をどうするつもりですか」

「どうもしないわ。私達も無駄な争いはしたくないの」

 その言葉にスペードが小さく笑みをこぼした。ちらりと彼に視線を送りつつ、少女はどこか物憂げな声色で言葉を続ける。

「だけど、これから先、あなた達は必ず私達の邪魔になる。秘宝は私が手に入れるわ。マギニアにも、海の一族にも渡さない。だから──」

 モモコの手が矢筒へ伸びる。それに気付きながらも、エノクは剣に手をかけるどころか指一本動かす事すらできなかった。手袋に覆われたモモコの指先が矢に触れる──同時に、痛いほど静まり返った空間に少女の声が響く。

「──次の任務よ」

 とん(・・)、と。

 軽い衝撃があった。次いでじわりと滲むような痛みが広がった時には、既にエノクの体は崩れ落ちていた。微かな呻き声。歪む視界を動かせば、隣にいたモモコも、背後のチエリとヘンリエッタも同じように地面に膝をついている。頭が急に重くなってぐらぐらと揺れるような感覚。倒れないように肘をつき、歯を食い縛って耐えながら、震える手で首の後ろに手を伸ばす。……首筋に浅く突き刺さっていたそれは、一本の針だ。

 踞るエノク達の横を、ゆっくりと通り抜けていく足音がある。重い頭を無理やり上げてその姿を見る。結い上げた赤毛とマフラーを揺らし、少女達の元へ歩み寄るその後ろ姿。残った力を振り絞って名を呼んだ。

「サヤ、」

 ……自分の体が地面に倒れる音を聞いた。次の瞬間視界が黒く染まり、意識は途切れる。

 彼は、振り返らなかった。

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