【SQX】10-1 スタンドアップ冒険者

『……てきたいするヒトもたすけたね』

『でもそれはけっきょくヒトだよね? ヒトではないあいてだと……どうするの?』

『ここまできたんだ。さいごまできみたちのせんたくをみせてもらうよ』


   ◆


 サヤの離反はギルドの内外に多大な衝撃を与えた。

 『スターゲイザー』は司令部からの信頼も厚いマギニア有数のギルドだ。そんなギルドのメンバーが突如秘宝を狙う第三勢力に寝返るなど、誰が想像できただろうか。唯一の救いはそれに関する司令部からのお咎めが無かった事だが、それを幸運だと言えるだけの余裕は残りのメンバーには無かった。

「誰のせいでもありません」

 ショックのあまり泣き伏せるチエリの背を撫でながらモモコは言う。

「彼は死んだと。私はそう思う事にします。……貴方達がどうするかは、貴方達が決めなさい」

 チエリはそのまま顔を上げず、宿に帰った途端に寝込んでしまった。モモコは度々司令部へ赴いて、ギルドの今後についてミュラー達と話し合っているようだった。ヘンリエッタはマリアンヌの診療所に閉じ籠ったまま姿を見せずにいる。そんな状態のまま、四日が過ぎた。

 エノクはというと、ひとり第一迷宮に入って剣ばかり振っていた。それもある種の現実逃避だったのかもしれない。しかしその時の彼には宿でじっとしている事も、モモコに着いていって話し合いに参加する事もできなかった。何をするにも頭がこんがらがって、胸の内が苦しくなる。剣を握っている時間だけはそんな煩雑とした暗い気持ちから解放されるような気がしたのだ。

「体を痛めないようにな」

 少年はそれだけ言ったきり、少し離れた場所から静かにエノクを見守っていた。彼もこの状況に少なからず衝撃を受けていたのかもしれない。ともかく、その沈黙はエノクにとってはありがたかった。ただがむしゃらに剣を振るう。頭を空にして、何十回、何百回。

 数時間もの鍛練の果てにいよいよ疲れ果てて棒のようになった腕を下ろし、額に滲む汗を拭いながらエノクは呟いた。

「いつからだったと思う?」

 少年は目を伏せ、俺には分からん、と返す。

「お前の方が分かるんじゃないか」

「……よく考えたら僕、何も知らないんだ。どこの出身でどうして冒険者になったかとか、好きな食べ物や趣味とかも。何も分からないのに一方的に仲間だと思ってたなんて、なんだか馬鹿みたいだ」

「エノク」

 気遣わしげな呼び声を聞きながら、エノクは深く俯いた。髪を伝い落ちた汗の一滴が石畳に染みをつくる。少年は荷物の中からタオルを引っ張り出してエノクに被せ、そのまま頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。

「少し休め。しばらくは探索にも出ないで、ゆっくりすればいい。その位みんな許してくれるさ」

「……駄目だよ。『スターゲイザー』は色んな人に期待されてるギルドで、僕はそのギルドマスターなんだ」

「ギルドマスターなんて名前だけだって言ったのはお前だろ」

 言い返そうと口を開くが、反論の言葉は喉の奥からせり上がってきた熱い何かに阻まれて形にはならなかった。鼻の奥がつんと痛む。堰を切ったように溢れる涙と鼻水を、エノクは汗を拭くふりをしてタオルにめいっぱい吸わせた。漏れそうになった嗚咽は無理やり呑み込んで代わりに大きく息を吐く。少年は、気付かないふりをしてくれた。

「無理しすぎるな。辛いなら辛いでいい。冒険者だからってなあ、いつも勇敢でなきゃいけないって訳じゃないんだ」

 頭上から穏やかな声が聞こえてくる。布越しに感じられる手の動きはひどく優しい。こうして頭を撫でられるなど、随分と久しぶりの事のように思える。

 体温で生温くなったタオルを目許に押し付けながら、エノクは想像の中でしか知らない存在へ思いを馳せた。彼の言葉は、手は、まるで父親のようだ。子供のオバケにこんな事を思うなど、正気の沙汰ではないかもしれないが。

 こうされているといつまでも甘えたくなってしまうが、それではいけない。二度、三度、深呼吸をし、ゆっくりと顔を上げる。

「ありがとう。でもやっぱり前に進まなきゃ」

「……期待に応えるために? それとも……これも試練だから、か?」

「う……ん、確かにそうだけど。でもそれより、今ここで諦めたら後で絶対に後悔するから」

 ここまで先陣を切って探索してきたギルドとしての責任だとか、成人の儀の試練だとか、そんな事は二の次だ。ここまで来て投げ出したくない──つまらない意地だと思われるかもしれない。進んだ先でもっと大きな後悔を味わうかもしれない。それでも、いま立ち止まれば、きっと一生引きずってしまう。

 少年は己を見上げる橙色の瞳を真っ直ぐに見返し、やがて小さく息を吐いて微笑んだ。

「そこまで言うなら仕方ない。俺も付き合ってやろう」

「うん、よろしくお願いします」

「……そう素直に言われるのも調子狂うな」

 困ったように首をひねる少年の姿を見てエノクも少しだけ笑った。数日ぶりの笑顔だった。

 宿に戻ったエノクと少年を待っていたのはチエリだった。彼女は男性陣が寝泊まりしている部屋の前にムッとした顔をしながら陣取っていた。その目許は赤く腫れている。わざわざ出迎えとは何事かと不思議に思う二人に向かってチエリはいつもより低い声で言う。

「よく考えたらむかついてきた」

 顔を見合わせるエノク達に、チエリは更に捲し立てる。

「だって騙されてたんだよ? 悔しくない? 何があったか知らないけどさあ、何にも言わずに含針して、それで裏切るってふざけてるでしょ。あたし、つぎ会った時は一発殴るって決めたから」

 強い口調で言い切ると、チエリはずんずん歩いて女性陣の寝泊まりしている客室へと戻っていく。もう一度、二人は顔を見合わせた。……何だか少し心配だが、元気になったのは良い事だろう。いつまでも泣き暮らしているよりは、ああして怒っている方がまだマシというものだ。

「……あら、戻っていたんですね」

 ふと、床板が軋む音と共にそんな声が聞こえてくる。振り返れば少々疲れた顔をしたモモコが階段を上ってこちらへ歩いてくるところだった。エノクが先程のチエリの様子について伝えれば、彼女は呆れたような困ったような苦笑を浮かべる。

「まあ、確かに落ち込んでいるよりは……。……エノク君は大丈夫ですか?」

「はい。僕は……いや、もうばっちり平気って訳じゃないけど……でも決めました。探索を続けたいです」

「そうですか。……貴方がそう言うなら、私も覚悟を決めないといけませんね」

 そう言ってモモコは詰めていた息を吐く。ただひとり落ち着いて振る舞っていたように見えた彼女にも、色々と思うところがあったのだろう。胸の内に蟠っていたものを呼気と共に吐き出すように。長い溜息を終え、再びエノクを見たその目には確かな光が宿っていた。

「ええ、分かりました。ミュラー様にもそう伝えてきます。それと、クチナさんに探索に入って貰うようお願いして……ヘンリエッタさんには?」

「まだ伝えてません」

「それなら、今から治療院へ行ってきて貰えますか?マリアンヌ先生達にも随分を心配をかけてしまったので、挨拶も兼ねて」

「はい!」

「あ、それと」

 治療院へ向かう前に鎧を脱いで着替えようとしたエノクをモモコが呼び止める。振り向いてみれば、彼女はにっこりと笑っていた。

「チエリちゃんは一発と言ったようですが、私は私が納得できるまで何発でも殴るつもりです」

「……は、はい……」

「それじゃ、私は冒険者ギルドまで行ってきますね」

 身を翻して階段を下りていく背中を見送りながら立ち尽くすエノクの傍らで、やり取りを静観していた少年がぽつりと呟く。

「ああいうとこあるよな、あいつ」

 普段着に着替え、宿を出たエノクは通いなれた道筋を──少年は姿を消していたため、人目を引く事は無かった──辿って北十字治療院を訪れた。患者が使用する玄関口ではなく、裏庭に面した小さな勝手口の扉を叩く。少しの間を置いて顔を出したのはノワールだ。彼はエノクを見て驚いたように目を見開いたが、すぐに元のしかめ面に戻って口を開く。

「上がれ」

 言われた通り屋内へ入り、先を行くノワールの背を追って廊下を進んでいく。狭い階段を上って二階に上がると、ノワールはある部屋の前で立ち止まり振り返った。彼は無言のまま、顎だけでエノクを促すとどこかへ歩き去っていく。残されたエノクはひとつ息を吐き、扉を軽くノックした。返事はない。扉の向こう側へ声をかける。

「ヘンリエッタ。僕達は次の迷宮に行くよ。まだ、割り切れないけど……前に進まなきゃって思うから。できれば、きみにも力を貸して欲しい」

 部屋の中で、微かに物音がしたような気がした。扉を隔てた先の彼女に、エノクはただ静かに語りかける。

「勝手なこと言ってるのは分かってる。きみは自分から冒険者になった訳じゃないし、もしギルドを抜けるって言うんなら止めないよ。でも、やっぱり……僕達にはきみが必要なんだ」

 だから、と続けようとした彼を遮るように、目の前の扉が勢いよく開く。咄嗟に身を退こうとして間に合わず、足の先を強かに打ち付けて悶絶するエノクの目の前に立つのは寝間着らしきワンピースに身を包んだヘンリエッタだ。踞る彼を見下ろすようにして彼女は呟く。

「私は人間同士の争いなんて嫌いだ」

 渇いた喉から絞り出したような、掠れた声だった。顔を覆う長い前髪に隠れた瞳はどこか潤んでいるようにも見える。

「騙されるのも嫌いだ。人が死ぬのも、傷付くのも……裏切られるのも」

「ヘンリエッタ」

「……でも、仲間を捨てて逃げ出すほど、臆病者じゃない……」

 耳を澄まさなければ聞こえない程に、本当にか細い声でヘンリエッタは呟いた。そしてワンピースの裾を握りしめていた手をおもむろに離し、足を押さえて踞るエノクに差し出す。白く華奢だが所々にマメや細かな傷痕の残るその手は、れっきとした冒険者の手だった。

 エノクはその手を取って立ち上がると彼女に向かって笑いかける。

「ありがとう」

「……別に。……それに、お前らは危なっかしいんだ。見てないと何をするか分からん」

「そ、そう……」

「無茶なら目の前でやれ。……私がすぐ治せる場所で」

 ヘンリエッタは俯いたまま吐き捨てるように言う。エノクは目を丸くした。ヘンリエッタがそんな事を言うなんて、思いもしなかった……と、言葉にはしなかったものの顔に出てしまっていたらしい。目の前のきょとんとした顔を見た彼女は、ばつが悪そうな表情を浮かべて繋いでいた手をそっと離した。


   ◆


 第十迷宮・金剛獣ノ岩窟。

 立っているだけで汗が吹き出るような高温多湿の洞窟かと思いきや、熱源を破壊すればたちまち気温が極端に低下、一面の氷に覆われた極寒の空間に姿を変えるという不思議な迷宮である。急激な環境変化の中で探索するのは冒険者自身だけでなく、武具にとっても負担が大きい。今回の探索は過酷なものになりそうだ──と、思っていたというのに。

「ちょ……ちょっとお、暗くなってきたんだけど……」

「夜になっただけですよ」

 身を縮めて怯えたように呟いた少女に、モモコがあっけらかんと告げた。少女──航海王女エンリーカは薄暗くなった洞窟内を不安げに見回し、溜息混じりに言う。

「こういう所は苦手なのよ……洞窟とか、遺跡とか……暗いし、ジメジメするし、狭いし……」

「あ、だからあたし達についてきたの?」

「…………」

 どうやら触れてはいけない部分だったらしい。沈黙するエンリーカにチエリは思わずぺろりと舌を出す。

「うーん。でも分かるぞその気持ち」

 そう言ったのは呑気な顔をしたクチナである。パーティーに空いた穴を埋めるため探索に参加してほしいという頼みに二つ返事で応えた彼は、迷宮の中でも相変わらずのんびりとした雰囲気を貫いている。ただ一つ街での様子と異なるのは、厚手の上着を腰に巻き付けているという点だ。

「おれも寒いと眠くなるから、この洞窟は好きじゃない。寒くせずに進む方法があればいいんだけどなあ」

「そう! そこよね! 急に温度が変わると困るのよ」

「それは服装のせいだろう……」

 ぷりぷりと怒るエンリーカの耳に、ヘンリエッタの呟きは届かなかったようである。その呟きに内心同意しつつ、エノクは布面積の足りない胸部と腹部、そして丸出しの太腿から出来る限り視線を逸らした。仮にも一国の王女である。おかしな誤解をされては首が飛びかねない。

 エンリーカが半ば強引に着いてきた時は驚いたが、今思うと同行してくれて良かったのかもしれない。ギルドの空気が彼女のお陰で和らいでいる気がするのは、恐らく偶然ではないだろう。エンリーカは合流した直後にクチナに初めましてと挨拶をしたきり、パーティーの顔ぶれが変わった事に一切触れていない。彼女なりに気を遣ってくれているのだろう──いなくなった者の事をなるべく意識させないように、と。エノク達にとってそれはありがたい事だった。良い事なのか悪い事なのかは分からないが。

「……でも、良いんですか? 停戦したとはいえ、僕達マギニアの冒険者と一緒にいて……」

「平気よ。他の人なら何か言われたかもしれないけど、あなた達には恩があるもの」

 秘宝は渡さないけどね! と笑うエンリーカにチエリが首を傾げて問う。

「やっぱり欲しいんだね、秘宝」

「当たり前よ」

 自信に満ちた笑顔で応えたエンリーカはしかし、ふと真面目な表情になるとどこか遠くを見つめて話し始める。

「海の一族は名前のとおり海を渡って生きる民。定住の地を持たない国だから、当然手に入る資源は限られるわ。衣も、食も、住も……多くの必需品を、私達は交易に頼って生活してきた」

 エノク達は静かに話を聞いている。物憂げな表情で、けれど、と航海王女は続ける。

「私が生まれる前に海都周辺で大きな災害があったの。そのせいで潮の流れや海底の地形が変わって、交流のあった港へ行けなくなって、私達は交易相手を失った」

「あー知ってる! 街が沈んだやつだな」

 と、クチナが声を上げる。詳しく聞いてみれば、数十年前に海都アーモロードの街が地盤ごと海中深くへ沈み込むという"大異変"があったらしい。世界樹を擁し、南海地域における交易の要でもあったアーモロードだが、この災害以降は周辺の海流の複雑化や魔物の異常発生が起こり渡航すら困難な状態となっている。マギニアに海都周辺出身の冒険者が少ないのもそういった事情があるためだ。

 エンリーカはひとつ頷く。

「それから海の一族は衰退を始めたわ。国は貧しくなり、支配してた海域も賊に荒らされて……私が生まれたのはそんな時代の最中。王族はまだ恵まれた生活ができてたけど、民はどんどん弱って活力を無くしてた。……だから私は『航海王女』になった」

 海の一族の首領、航海王女エンリーカ。数々の秘境へ赴いて稀少な動植物や財宝を探し当て、海の一族の名声を高めた『絶対幸運』の王女。まだ幼さの残る彼女の横顔には微かな憂いの色が浮かんでいる。

「海を漂ってるだけの弱小国家だなんて思われたら、いつまで経っても弱い国は弱いままだわ。名を上げて、民を鼓舞して、他の国とも対等に渡り合える力をつけなきゃいけない。レムリアの秘宝と、『秘宝を発見した』という功績……そのどちらもが大きな武器になるの。だから私達はここまでやって来たのよ」

 まあ、それはマギニアも一緒でしょうけど──と呟き、エンリーカは肩を竦めて微笑んだ。彼女の長い身の上話をもっとも近い位置で聞き終えたチエリが、ぱちりと目を瞬かせて感心したように言う。

「王女様、思ってたよりちゃんとした人だったんだね……」

「何よその言いぐさ! 失礼ね!」

 途端に頬を膨らませる王女と、彼女に詰め寄られて慌てて弁明するチエリの姿に、他の四人は各々呆れ顔や苦笑いを浮かべる。

 エンリーカの話を聞きながら歩いている内に、一行は目的の場所のすぐ近くまでやって来ていた。目の前の扉に触れてみれば、それだけで向こう側の熱が感じられる。ゆっくりと扉を開けた瞬間、部屋の中から熱風が吹き出してきた。鎧の下からどっと汗が滲んでくるのを感じつつ、エノクは部屋の中央に鎮座する物体に近付いていく。これこそが、この迷宮の"熱源"だ。

「壊していいですか?」

「ええ、どうぞ」

 いつもの服の上にコートを羽織ったモモコが応えた。他のメンバーも各々防寒具を身につけ終えているのを確かめ、エノクは荷物から杭のような物体を取り出す。そして冷気の漂うそれを、よいしょ!という気合いと共に目の前の物体に突き立てた。存外に軽い音を立てて割れたそれが熱を失っていくのと同時に、部屋の温度が段々と下がっていく。クチナが重い息を吐いた。

「やだなー、寒いの」

「寒い時は体を動かすに限るわ。さ、行くわよ!」

 モコモコとしたマントに身を包んだエンリーカが意気揚々と宣言する。先程とは打って変わった明るい様子に苦笑しつつ部屋を出れば、頬を撫でるのは刺すような冷気だ。

 一面の氷の世界が部屋の外に広がっている。今まで歩いてきた、熱気に満ちた迷宮の様子が嘘であったかのような光景だ。やはりこの変化には慣れる事ができそうもないが、それでも先へ進まなければ。白い息を吐きながら、一行は足を踏み出す。

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