【SQX】10-2 赤の血脈

「何故ここにサラマンドラが……」

 モモコがげんなりとした表情で呟く。彼女の視線の先にあるのは横たわる巨大な魔物の身体だ。既に事切れた魔物の傍らには同じような容貌の小型のトカゲの死骸も転がっている。親子、だったのだろうか。我が子を身を挺して守る魔物の様子を思い出し、エノクは少々複雑な気分になった。

 サラマンドラというらしい魔物の背中にナイフを入れながら、モモコはぶつぶつ呟き続けている。

「まさかスキュレーやジャガーノートまでいたりしないでしょうね……嫌ですよあんなのと戦うの……」

「……モモコさんどうしたの?」

「放っておいてやれ。色々あるんだ」

 首を傾げたチエリにそう告げるのは例の少年である。槍に付着した血を払いつつ、彼は辺りを見回して声を上げる。

「終わったから出てきていいぞー!」

 呼びかけに応じ、少し離れた岩場の陰からエンリーカが顔を出す。恐る恐るといった様子でこちらへ近付いてきた彼女は、サラマンドラの死骸に目を向けるより先にふよふよと浮かんでいる少年を見上げてうわあ……と漏らした。

「遺跡で見た時も思ったけど……これ、何……?」

「これとは失礼な!」

「あんまり気にしないでください。確かに怪しいけど、浮いててちょっと透けてるだけなので……そういう存在だと思って貰えれば……」

「お前の言い様も大概だな……」

 肩を落とす少年はさておき、確かめておかねばならない事がもう一つある。足下に横たわるサラマンドラの尻尾を踏み越えて、エノクはすっかり冷えて氷の張った水路へ近付いていく。氷は分厚く、エノクが乗った程度ではヒビのひとつも入らない。滑らないように気を付けながら一歩踏み出し、向こう岸に見える人影へと声をかける。

「大丈夫ですかー!?」

「──うん、大丈夫だぞー!」

 返ってきたのは間延びした声だった。声の主、向こう岸に立つクチナはエノクに向かって笑顔でぶんぶんと手を振っている。その傍らにしゃがみ込んでいるのはヘンリエッタだ。いつものように地面に杖を衝いて巫術を発動させる彼女の視線の先に、もう一つ小さな影がある。

 癒えていく自身の傷を不思議そうに眺めて。血が通っていないかのような白い肌の子供は、大きな赤い目をぱちくりと瞬かせた。


 世界樹の内部で亜人種が暮らしている、というのはエトリアやラガードで見られた例であるらしい。エトリアについては詳しくは知らないが、ラガードの迷宮内部には『天空の城』への道を守護する翼人という亜人が住んでいた。彼らは下界の人間に対してもそれなりに友好的で、冒険者とも付かず離れずの程よい関係を築いていたという。

「とは言え、あの子も同じかというと……ちょっと分かりませんね……」

 困ったような表情で呟くモモコの視線の先には、岩場を跳ねるように歩く子供の姿がある。偶然見付けて保護した亜人の子供であるが、本人の態度とエンリーカの翻訳から見るに冒険者に対して友好的であるという訳ではなさそうだ。

「警告しに来たって言ってたんだよね?」

「ええ。……その時に自分の名前か何かを言ってたみたいなんだけど、流石に固有名詞までは訳せないから……」

 エンリーカが何て言ったかしら、と頬を掻く。

「確か、モリビト……とか何とか」

「モリビトか。知ってる気はするな……どこで聞いたんだったか……」

 傍らの少年が腕を組んで考え込むのを横目にエノクは先を行く子供の背中を眺めた。子供はまだ警戒しているのか、一行と距離を取りつつ歩いてはくるりと振り向いてこちらをじっと見つめている。彼か、はたまた彼女か。見た目だけでは分かりづらいが、その丸い輪郭を見ているとふと脳裏に浮かぶ姿がある。

「あの子、ちょっとマナちゃんに似てない?」

「マナちゃんに? ……え、似てる……?」

「背丈は似てるが他は別に似てない」

 ヘンリエッタにばっさりと切り捨てられ、エノクはそっか、と肩を落とした。確かによくよく見れば思ったより似ていない。あの子供はマナのような長いふわふわの耳や土気色の肌を持っている訳ではないし、むしろ何故似ていると感じたのだろう。

 数十秒前の自分に対して首をひねるエノクの目の前で、モモコがふと顔を上げた。辺りを見回し、彼女は怪訝な表情で言う。

「今、物音がしましたね」

「何かって?」

「大きな物がぶつかるような……ああ、あの氷と魔物が衝突した音ですかね」

「……ってことは、他の冒険者がいるのか。珍しいな……」

 クチナが小首を傾げる。『スターゲイザー』以外にもこの洞窟を探索しているギルドはいる筈だが、今までの迷宮と比べると確実に数が少ない。この迷宮の環境が厳しすぎるため、皆が探索を避けているのだ。その気持ちはとても分かる。せめて暑いか寒いかどちらかにしてくれれば良かったものを……と、今はそんな事はどうでもいいのだが。

 とにかく、衝突音がしたという事は何者かが『虚空を見る邪眼』に氷塊をぶつけたという事だ。近くに誰かいるのだろうか。辺りを見回して人影を探してみるが、それらしきものは見付からない。

「気のせいだったんじゃない?」

「いえ、でも確かに……」

「……! 気のせいじゃないっ! 避け、」

 一声叫んだクチナの言葉を遮るように。どこからか放たれた閃光が視界を覆い、次の瞬間、巨大な氷柱が地面から姿を現す。高い悲鳴が上がった。状況を飲み込む間もなく、再び術式の光が放たれる。このままでは飲み込まれる──クチナが呆然としていたチエリを放り投げ、身を竦ませるエンリーカはヘンリエッタが突き飛ばした。次々に生えてきた氷柱は地面を這うようにして広がり、瞬く間に一行を分断する。


   ◆


「ぁ痛っ……何……?」

 一体何が起こったのか分からないまま、エノクは凍てついた地面から身を起こす。転んだ拍子に打ち付けた腰が痛む。氷柱を避けられたのは良かったが、まさか足下の氷に足を取られるとは。立ち上がったエノクが最初に気付いたのは少年の姿がどこにも無い事だった。もしどこかにいるのならば真っ先にふよふよ近付いてきて「大丈夫か?」などと訊いてきそうなものだが。まさか、氷に巻き込まれて消えてしまったのだろうか。

 ふと見てみればすぐ傍にはモモコが立っていて、目の前に立ち塞がる氷の壁を険しい表情で検分していた。洞窟内に満ちる冷気のお陰か、巨大化した氷柱の高さは天井付近にまで及んでいる。向こう側に抜けられそうな隙間も無い。これはまずい事になった。パーティーが完全に分断されてしまっている。

「……い、おーい! 聞こえるー!?」

 どこからかチエリの声が聞こえる。姿は見えないものの彼女も無事であるらしい。呼びかけに応えようとしたエノクを止めたのは、モモコの低い声だ。

「貴方達の仕業ですか」

「その通り! 話が早くて助かるぜ」

 頭上から、微かな笑みを含んだ軽快な声が降ってくる。はっとしたエノクが顔を上げれば、壁からせり出した岩場の上方に立つ人影がひとつ。

 人を小馬鹿にしたような表情を浮かべて、二人を見下ろしたスペードは更に続ける。

「つーかアンタら、中々しぶといな! オレぁてっきり心折れて引退するもんだと思ってたが」

「煽りに来た訳ではないでしょう。何のためにわざわざ術式を外したのです?」

 驚いたエノクの視線を横顔で受けとめながら、モモコはスペードを睨みつける。対する男はふふん、と笑って大仰に両手を広げた。

「そりゃ、アンタらを殺しちまうのは簡単さ! だが『誰も殺すな』って命令でね。お嬢の優しさに感謝しろよなぁ?」

 お嬢──西方ノ霊堂で『スターゲイザー』の前に現れた少女の事だ。命令という事はあの少女と彼は主従に近い関係にあるのだろうか。スペードの言葉から何か少しでも情報を得ようと考え込むエノクの隣で、モモコが帽子のつばを引き下げて溜息を吐く。

「話が通じていませんね。なぜ殺さないのか、ではなくなぜ私達を分断したのかと訊いているのが理解できませんか?」

「そう怒んなよオバサン、これから話すとこじゃねぇか。ほんの一分も待てないくらい短気になるなんて、やっぱ歳は取りたくねぇもんだな」

「…………」

 モモコの顔から表情という表情が消え失せる。"虚無"を体現したようなその面持ちにエノクは思わず呼吸の方法が思い出せなくなった。完全なる無表情で黙り込むモモコと彼女を見て青ざめるエノクに、スペードは愉快そうな笑い声を上げる。

「面白ぇ顔してんな! それで、えーと何だっけ。あぁ今日のオレ達の目的だったな。ンー、なんて言や良いんだろうな……」

 こめかみを指先でぐりぐりと圧しながら、男は言葉を探す。

「勧誘、引き抜き、ヘッドハンティング? ま、そんな感じだ。『鵺』はともかく、もう一人欲しいのがいんだよ」

「……ヌエ?」

「あぁ、アンタらはサヤって呼んでたんだっけ」

 思わず呟いたエノクに応える声はあっけらかんとしている。予想だにせず飛び出した名前に動揺するが、いま重要なのはそちらではない。モモコが顔を上げて呟く。

「もう一人……引き抜く?」

「心当たりがねぇって顔だな」

 じゃあ教えてやるよ──と言い、スペードは岩場をするすると下って二人の前に降り立つ。一瞬身構えたエノクに向かって彼は敵意が無い事を示すようにひらりと両手を振る。そして口元に笑みを浮かべたまま、被っていた帽子をおもむろに脱ぎとった。陰になっていた目許があらわになる。

「オレやお嬢を見た時、変な目をしてる(・・・・・・・)って思ったろ。それ、オレ達だけだったか? 他に覚えがあるんじゃないか?」

 帽子の下から現れた男の瞳は奇妙なまでに赤く、虹彩は渦巻くような不思議な紋様を描いている。エノクの口が、あ、と開いた。いやに人目を引くその瞳の色には見覚えがある。霊堂で見た"お嬢"も同じ目をしていた。そして、もう一人。

 深く被った帽子の下。長い黒髪の奥に隠された巫医の瞳は、どんな色をしていた?

 モモコの口元がきつく引き結ばれる。スペードは声を上げて笑った。

「そう、あの女はオレ達と同じ血を引いてる。赤い瞳の悪魔の末裔……『赤の民』の同胞なのさ」


   ◆


 擦りむいた腕に治療を施しながら、ヘンリエッタは辺りを見回す。どこかそう遠くない場所から誰かの話し声は聞こえるが、目の前立ち塞がる氷には隙間のひとつも無く、向こう側の様子を窺う事はできない。

 意図的に分断された。それは断言できる。そうでなくては、五人──プラス、冒険者ではない二人──を綺麗に切り離すなどという針に糸を通すような芸当ができるものか。……そして、今こうして自分が一人になっているその理由は。

 物思いに耽っていた彼女は、背後に蠢く影がある事に気付けなかった。物音にはっとして振り返るのと同時に、岩陰から青いモグラが飛び出す。モグラが冷気を纏った爪を彼女に向かって振りかぶる──刹那、音もなく割り込んできた人影があった。次いで風を切る鋭い音。瞬きひとつすら終えないうちに、胴から切り離されたモグラの首が地面に転がる。

 自分に背を向けて立つその人物が、右手の短刀をゆっくりと収めるのをヘンリエッタは呆然と見ていた。シノビの格好をした、兜のような頭巾のような防具を被った男だ。ゆっくりとこちらを向いた顔は額当てと口布に隠されてよく見えない。しかし、その下から僅かに覗く青い目と顔面に走る傷痕の形には、確かに見覚えがある。

「サヤ」

 思わず呟いたヘンリエッタに、無機質な青い視線が向けられる。彼は何も応えなかった。眉ひとつ動かさないまま彼女を眺め、やがてするりと身を翻す。

「待っ、」

「──あなたがヘンリエッタ・グラナタスね」

 離れていく背中に追い縋ろうとしたその時、背後から投げかけられた言葉にヘンリエッタはびくりと身を竦ませた。恐る恐る振り返れば、そこにいたのは霊堂で出会ったあの少女だ。整えられた金の前髪の下でこちらを見つめる瞳が自身のそれと同じ色をしているのを確かめて、彼女はゆっくりと後退る。少女は僅かに目を細め、警戒の色を隠そうともしないヘンリエッタに告げる。

「危害を加えるつもりは無い……って言われても、信じられないかしら」

「…………」

「でも本当よ。私は、あなたと話をしたくてここに来た」

 その声色は、霊堂で耳にしたものより幾分か柔らかい。しかし彼女の言葉を聞いてもヘンリエッタは緊張を解かなかった。より一層強く杖を握りしめ、眼前の少女を睨む。少女は肩を竦めて一度息を吐いてから言葉を続けた。

「私の名前はエレオノーラ。エレオノーラ・ニコル・フィリスティア」

 己を睨む視線から目を逸らさず、真っ直ぐに見つめながら少女は言う。

「あなたを誘いに来たの。……一緒に、私達の国を取り戻しましょう」

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