【SQX】11-3 積み上げた欺瞞の先

 猿の頭に狸の胴

 手足は虎で尾には蛇

 夜霧に紛れて凶兆を

 囀る声は虎鶫

 真の貌は既に無く

 私は誰だと鵺が啼く


   ◆


 空気が爆ぜる音。その中に混じった剣戟の響きを聞きながら、彼は木々の隙間を縫うように駆けていた。一面に広がる枯木の向こう側、遠景に灰色の構造物の影が見える。目指す場所がすぐそこまで近付いている事を察し、ひときわ強く地を蹴った、その時だった。

 突如地面に浮かび上がった紋様が鋭い光を放つ。咄嗟に飛び退くも、一瞬だけ反応が遅れた。左の足首に重い何かが絡みつく感覚。寸でのところでバランスを取り着地するが、その拍子に被っていた頭巾が脱げ落ちて砂の上に転がった。押し込められていた赤い髪の束がするりと落ちる。

 実体のない何かに脚を縛り上げられているような感触──これは脚封じだ。重い足を無理やり動かしてゆっくりと立ち上がった彼は背後に目をやる。そこに立っていたのは、杖を構えた一人の女だ。

 乱れた呼吸を整えながら、ヘンリエッタはきっと彼を睨みつけた。

「やっと捕まえたぞ……!」

 何の感情も浮かばない青い瞳が、彼女を真っ直ぐに捉える。


   ◆


「『鵺』ってのは、本当は傭兵一族そのものの名前なんだよ」

 木陰に身を隠し、鏃の先端に毒薬を仕込んでいたモモコは唐突に響いてきた声にも眉ひとつ動かさなかった。声は西の方角、頭上から聞こえてきている。恐らくスペードは木の上からこちらの姿を探しているのだろう。急に投げつけられた言葉も動揺を誘うための罠だろうが、そんな手に引っかかるほどモモコは甘くはなかった。黙って仕込みを続ける彼女に、スペードは尚も話し続ける。

「あのシノビはそこの生まれで、いわゆる秘蔵っ子、ってやつだったそうだ。可愛がられてたって意味じゃないぜ? いちばん出来が良かったって事だ。最高傑作って言った方が正しいかね」

 ひとつ、ふたつ、矢筒に残った矢を数えて、モモコは次に得物の具合を確かめる。弓にも弦にも歪みは無い。辺りには枯木の焦げる臭いが漂っている。先程放った火矢が森の一角を焼いているのだ。黒煙が霧のように辺りを包んでいるが、もう少しだけこの中で無理をしなければならない。男の話は続いている。

「最強の傭兵ってのをつくるために何世代もかけて色々弄り回して、それでようやく生まれたのがあいつだった訳だ。依頼されれば何でもやる、無慈悲な傭兵さ」

「……成程、説明ありがとうございます」

「なんだ、反応薄いな。騙されてたってのにそんなんで良いのか?」

「過ぎた事を引きずってもどうにもならないので」

 淡々とした返事にそうかい、と笑い、スペードは素早く弓に矢をつがえた。先端に火の灯った矢がモモコの隠れている木へ向けられる……が、矢が放たれるより先にモモコの方から木陰を飛び出した。狙いをつけ直すスペードを撹乱するように木々の隙間を駆け抜けながら、彼女もまた弓を引く。スペードに向けてではなく、自身の頭上に向かって。

 遥か上空、突き刺さった矢の先端から燃え移った火が太い枝を炎で包む。しかし矢を放ったのはモモコだけではなかった。数十センチ離れた茂みに落ちた火矢から瞬く間に炎が広がり、ちょうど足を止めていたモモコのブーツを焦がす。

「っ、」

「……狼煙のつもりか? 面倒臭ぇな……」

 舌打ちをひとつ漏らし、スペードは再び矢をつがえる。足許にかかった火を擦り消したモモコは彼の死角に入ると低く身を屈めた。周囲に視線を走らせ、耳を澄ませる。乾いた葉が燃える音に紛れて微かに聞こえたある音に彼女の目がすっと細まった。それを知らないまま、男は呆れたように言う。

「アンタわりと雑な戦い方すんだなぁ。レンジャーがそんな直情的でいいのか?」

「そんな私を殺せていない貴方も大概ですけどね」

「上取られてるわりにはエラそうじゃねぇか」

 くく、と笑うスペードの目は地面に落ちたモモコの影の端を捉えている。どんな戦いであれ、相手より高い位置に陣取った方が有利を得る。彼にはモモコを追い込んでいる自信があった──言い方を変えれば、慢心があった。

「隠れてて当たんねぇんなら燻り出しゃ良いだけだ。降参するなら今のうちだぜ」

「あら、その言葉そっくりそのままお返ししますよ」

「言うねぇ」

 笑みを堪えて応えながら、スペードは鏃に括った燃料に火を灯した。今度はモモコが木陰から飛び出してくる気配はない。そのまま弦を引きしぼり、矢を放とうとした、その時だった。

 ざかざかと枯葉を踏む喧しい足音が響く。そちらに視線を向けたスペードが見たのは、刀を持った少女が全力でこちらへ走ってきている姿だった。額から汗を垂らして駆け込んできたチエリは弓を手にしゃがみ込むモモコを見てぱっと顔を明るくする。

「──あっ! モモコさん! やっぱり、」

 そう言い切る前に、素早く駆け出したモモコが彼女の腕を掴んで別の木陰へと滑り込んだ。思わずバランスを崩すチエリの数十センチ頭上を、スペードの放った矢が飛んでいく。

 狙いを外したスペードだったがその表情は変わらず落ち着き払っていた。黒煙に呼ばれてやってきたのだろうが、こちらからしてみれば的がひとつ増えただけである。しかも、あの女より格段に当てやすい的だ。

 射つ前にひとつ煽りでもしてやろうか、と口を開きかけた時、スペードはある異変に気付いた。頬を撫でる風がいやに冷たい。はっとして辺りを見回した次の瞬間、彼の眼下、枯葉の積もる砂の大地を這うようにして巨大な氷柱が出現する。足下からぱきりと軋むような音。術式の余波で凍った枝が折れる前に咄嗟に地面へ降りつつ、スペードは表情を歪めて叫ぶ。

「おいネロ! テメェ、邪魔してんじゃねぇ!」

 氷柱の向こう側からゆったりと歩きながら現れた星術師の男に、その声を意に介した様子は無い。ネロと呼ばれた男は金の瞳をちらりとスペードへ向けると静かに応える。

「そこにいたのか。あまりにも小汚ない格好をしているものだから気付かなかったぞ」

「あぁ? 先にテメェから射ってや……ッ!!」

 言葉を遮るように。帽子のふちを掠めて飛んでいった矢を、スペードは一瞬遅れて目で追った。巻き込まれて切れた髪が宙を舞う。矢を放った張本人は、マントの下に隠された唇をゆるりと引き上げて言い放つ。

「あら……急に怒りだすなんて。若い子は短気でいけませんね……もっと冷静にならないと。まあ、尻の青い若造に言ったところで無理かもしれませんが……」

「ン、のっ……クソアマッ……!!」

「かかってきなさい、青二才。正しい口の利きかたというものを、その軽い頭に叩き込んで差し上げましょう」

 放たれた矢が空を切る音。冷気と黒煙の立ち込める森で、混沌とした争いは尚も続く。


   ◆


 敷かれた『陣』は彼の脚を地面に縫い付けるように封じ込め続けている。方陣と呼ばれる妨害術式だ。初めて見たが、形式からして巫術を応用して発動しているのだろうか。知らぬ間に新たな技を身につけていたのはあの青年だけではなかったらしい──そう考えつつ砂上に転がった頭巾にちらと目をやる彼に、ヘンリエッタは抑えた声を投げかけた。

「ブロートを追うつもりだな」

「…………」

「姫を奪ってマギニアとの交渉材料にでもする算段か」

「…………それを、」

 口布に覆われた唇が開く。聞こえてくるのは感情の乗らない、低く冷たい声だ。

「お前が知ったところで意味はない」

「意味だと? そんなものはどうでもいい。私は私の納得できないものを受け入れるつもりは無い。それだけだ」

 きっぱりと言い切り、ヘンリエッタは彼をきつく睨みつける。感情を抑え込んだ様子とは裏腹に、その手元は至って冷静だ。常に新たな方陣を発動させて相手の動きを封じ続けている。

 脚を封じれば少なくとも逃げられる事はなくなるし、距離を詰められて斬られる事もないだろう。しかし彼のシノビ装束の下には飛び道具も数多く仕込まれている。いつ含針が飛んでくるかと身構えていたヘンリエッタだが、不思議な事に彼は武器を手に取る気配すら見せなかった。怪訝に思いながらも彼女は再度問う。

「お前、初めから私達を騙していたそうだな」

「そうだ」

「……分からない事がある。お前があっちに雇われてマギニアに潜り込んだのも、たまたま隠れ蓑に選んだギルドが『スターゲイザー』だった事も分かる。解せないのはその後だ」

 ひとつひとつ、言葉を選ぶように告げるヘンリエッタの声を、彼は微動だにせず聞いている。探るような視線を受けながら、彼女はひとつ息を吐いて続ける。

「私達をここまで放っておいたのは何故だ。分かれて足止めなんて手を使わなくても、お前ひとりで私達全員を排除できた筈だ」

「殺すなと命じられている」

「本当にそれだけか」

「……何が言いたい」

「殺さなくても探索をやめさせる方法なんていくらでもあるだろう。それをしなかった理由が知りたい」

 青い瞳が細まる。乗ってきた──ヘンリエッタは内心胸を撫で下ろす。彼女にはある種の確信があった。こうして少しでも動揺が引き出せるのなら、十分に隙はある。まだ打つ手はある。

 追い討ちをかけるように、彼女は言葉を投げる。

「毒のでも盛るなり四肢を削ぐなり、方法だけならいくつもあった。子供のチエリや力の弱い私なら簡単に狙えただろう」

「依頼は『秘宝獲得への助力』だ。それ以外に私のすべき事はない」

「敵対因子の排除も依頼の範疇じゃないのか?現に私達はこうしてお前達の邪魔をしてるぞ。それを予測できなかった筈がない。……お前は私達をこの戦いから下ろすべきだった。どんな手を使ってでも」

 返事はない。相変わらず無機質な、いっそ人形か何かのそれのようにも見える眼がヘンリエッタを見ている。彼女は、怯まない。

「殺さなかったのはエレオノーラの命令だからと言ったな。私達に手を出さなかったのは誰の意志だ? 誰がそうしようと思った? それは──お前の意志じゃないのか」

 ──ヘンリエッタは『鵺』と呼ばれる傭兵の存在を知っていた。正しくは噂を聞いた事があった。曰く、あらゆる場所に忍び込んでは依頼主の合図ひとつで暗殺、破壊工作、撹乱……ありとあらゆる活動を行うシノビなのだと。名を変え顔を変え、人格さえ作り替えて各地を渡り歩く彼の素性を知るものはいないと。ただの噂話だと断じていた存在が、すぐ近くにいたとは思いもしなかったが。

 噂の真偽はもはやどうでもいい。彼が初めから命令を受けて動いていた事も、理解はしている。そこに理由など求めても仕方ない事も分かっている。知りたいのは、彼の本心だ。何故裏切ったのではなく、何故裏切るだけで終わったのかと。その意味を知らなければならない。自分達も、そして彼自身も。

 彼女はまだ彼を信じている。

 だからこそ、強く問う。

「お前にとって、私達は何だ。答えろ『サヤ』!」

 答えは無い。

 尚も詰め寄ろうとしたヘンリエッタの耳に乾いた破壊音が届く。はっとした彼女が振り返ったその瞬間、木々の隙間から飛び出してきた人影が目の前に躍り出る。人影──全身に大小さまざまな傷を負ったクチナはヘンリエッタの姿を見てぎょっと目を剥いた。焦った表情の彼が口を開く間もなく、その背を追ってきたもう一人の人物が槍を大きく振りかぶる。

 瞬間、爆発的に広がった瘴気が辺りを黒く染める。渦巻く黒い奔流に飲み込まれ、全身の力を失って崩れ落ちたヘンリエッタをクチナの腕が支えた。周囲を包む暗黒の先で、緑色のキルトを所々血に染めたヘヴェルが槍を下ろして歩み寄ってくるのが見える。頬の切り傷を拭い、彼はちらりと二人の向こう側へ視線を送る。

「はやく行け」

「…………」

 彼の言葉を受けたサヤは、すぐさま踵を返すと森の奥へと駆けていく。脚封じの呪縛は既に解けてしまっていた。ヘンリエッタはその行く手に再び方陣を張ろうとするが、掲げようとした杖を力の抜けた指の隙間から取り落としてしまう。遠ざかる背中に向けて、彼女は吼える。

「待て、──逃げるなっ!!」

 叫びは森の空気を虚しく揺らすばかりで、彼には届かない。身を起こそうとするヘンリエッタを抑えて木陰に退避させ、クチナは刀を構え直すとヘヴェルへ斬り込んでいく。

 ヘンリエッタは唇を噛んだ。まだ話は終わっていない。覚悟を決めてここまでやって来たのに、これでは意味が無い。本当は伝えるつもりだったのだ──「戻ってこい」と。


   ◆


 ──なぜ何もしなかったのかと問われたのは初めてだ。

 緑の混じりだした砂の大地を駆け抜けながら、彼は考える。仲間"だった"人間に問い詰められた事は一度や二度ではない。何故騙したのか、何故裏切ったのか、何故殺したのか。問われる度に淡々と答えてきた。何故なら「依頼だから」だ。それ以上も以下もない。

 彼のなす事はすべて依頼に従った結果でしかない。 そもそも命じられた範囲以外の事をしようと思った事すら無いのだ。故に、何故そうしなかったと訊かれても答えられない。

 言われてみれば、たしかに確実性を優先するなら『スターゲイザー』は行動不能にしておくべきだったとは思う。その発想に至らなかったのは何故だろう。それだけではない。飛び道具なり何なりでヘンリエッタを攻撃すればもっと早く方陣から脱け出す事もできは筈だ。どうして自分は大人しく彼女の話を聞いていたのか。少し考えてみたものの、やはり答えは出なかった。

 そしてもう一つ。投げかけられた、最後の質問──。

 その時、高く響いた音が彼の思考を遮る。反射的に短刀を引き抜き、音の出所へと視線を向けた。静まり返った遺跡の空気を揺らすこの響きは、どこかで聞いた鈴の音のそれだ。

 暗がりから姿を現した赤毛の男は、どこか妖艶にすら感じる笑みを浮かべて語りかけてくる。

「やあ、君は『スターゲイザー』の……いや、あの少女の手の者だったか」

 穏やかに言葉を紡ぐ彼の傍らに、ペルセフォネの姿は無い。姫の行方を問おうとしたサヤの心中を見透かしたように、ブロートは肩を竦める。

「彼女は先に行かせたよ。ここにはいない」

「…………」

「僕が戻ってきたのは君を止めるためだ。放っておいたら追い付かれて、寝首のひとつでも掻かれてしまいそうだからね」

 そう言いながら男は片手に持っていた鈴を揺らす。涼やかな音が辺りに響き渡る──瞬間、足下を強い揺れが襲う。構えるサヤの目の前、地中から砂をはね上げるようにして姿を現したのは、巨大な芋虫のような禍々しい姿をした魔物だった。鈴の音に操られた魔物が三体、サヤの周囲を取り囲んでいる。

 巨体を揺らして敵意を顕にする魔物の姿を見て、ブロートは挑発的に目を細めた。

「そいつはこの森にいる奴らよりもずっと強力な魔物でね。連れてくるのには苦労したよ……だけど、その分役に立ってくれそうだ」

 それじゃ、しばらくそいつらと遊んでおいてくれ。男の言葉を合図に、魔物達は牙を剥いて襲いかかってきた。突き出された針のような器官をひらりと躱す。

 満足げな笑みだけを残して去っていく後ろ姿を横目に、サヤは短刀を握り直して魔物達を見据える。

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