【SQX】12-2 休息
「打ち身ってやつだな。すぐに治るよ」
マリアンヌの言葉にエノクはほっと胸を撫で下ろす。石畳に叩きつけられた時は骨のひとつでも折れたのではないかと心配していたが、どうやら気付かないうちに受け身スキルもなかなか上達していたらしい。
「明日くらいには動けるようになりますか?」
「……君達、ほんと無茶言うな……もう一日くらい休んでなさい。逸る気持ちも分かるけどね」
呆れたように答えるマリアンヌの表情には色濃い疲労が滲んでいる。エノクも詳しくは聞いていないが、彼女も迷宮で色々あったうえ街に戻ってきてからも働きづめであるらしい。一介の医者にここまでさせて良いのかとも思うが、他でもない本人が率先して動いているというのだから、とりあえず大丈夫なのだろう。
「……まあ、誰も死ななくて良かったよ。だいぶギリギリだったけど」
「ほんとにねー。あたしあのレンジャーの人の矢当たりかけて死ぬかと思ったもん」
エノクの手足にぺたぺたと湿布を貼りながらチエリがぼやく。そのくらい自分でやるよ、と言ったのだが、怪我人は大人しくしてて!と怒られてしまった。少し離れた場所でやりとりを見ていたクチナが苦笑を浮かべる。
「休んでおいた方がいいぞ。おまえ、たぶん瘴気を……あ、いや、何でもない。とにかく休め」
「はあ……」
「……そういえばエノクくん、何であんな所に倒れてたの?」
あんな所、とは四つ目の遺跡──極北ノ霊堂の入口付近の広間のことだ。エノクがエレオノーラと交戦し、ブロートと対面した場所である。エノクは唸った。何故倒れていたのかと訊かれても、実のところよく覚えていないのだ。ブロートに吹き飛ばされたところまでははっきり思い出せるのだが。
「あのハイランダーの人が目の前にきて……それから急に意識が無くなったんだよね。気付いたらクチナさんに担がれててびっくりしたよ……」
「おれも倒れてるの見たときびっくりしたぞ」
「でもそのハイランダーの人、直前までそのクチナさんと戦ってたんだよね。なんでエノクくんには何もしなかったんだろ?」
そんな事を訊かれても。
エノクは痛む首を湿布越しに撫でてひとつ息を吐いた。正直なところ何が何だか分からないが、確かなのはブロートが霊堂の奥へ向かった事と、ペルセフォネが未だマギニアに帰還していないという事だ。ブロートの目的がヨルムンガンドの復活であり、そのために古代レムリア王族の末裔を──ペルセフォネを霊堂の奥へ連れていこうとしているというのは既に分かっている。一刻も早く彼を止め、姫を保護する必要がある。
現在は他の冒険者達が霊堂の捜索を行っているようだが、魔物が手強くすぐには先に進めそうにないという。司令部からも『スターゲイザー』もできるだけ早く探索に加わってほしいとのお達しが来ている。今は療養に専念して、なるべく早く復帰しなければ。
それに、枯レ森の時のようにエレオノーラ達が現れるという可能性も、無いわけではないのだ──と、そこである事を思い出し、エノクはクチナへと向き直る。
「そうだ、僕を見つけたとき他に誰かいましたか?」
「……いたと言えばいた、けど……」
難しい表情で腕を組み、クチナは答える。
「金髪の女の子なら、その……ハイランダーってやつが連れていったのを見た。追いかけようとしたんだけどおれも怪我してたし、エノクは倒れてるし、やめた方がいいかなって」
「そうでしたか……」
ブロートの一撃は強力だったものの、自分達の命を奪うには至っていなかった。エレオノーラの安否は気になるが仲間に助けられたのならきっと大丈夫だろう。気になるのは、あのハイランダーがエノクを放置した意図だが……。
とにかく今はゆっくり休もう、とエノクが布団を被ろうとした瞬間、病室の扉が音を立てて開く。廊下から現れたヘンリエッタは、ひとつ部屋を見回すと神妙な面持ちで告げた。
「あいつが目覚めた」
◆
目が覚めた瞬間に目に飛び込んできたのは冷ややかな紫色の視線だった。彼はその事実を冷静に受け入れる。気を失う前に話した相手が誰だったかを考えれば、こうなるのも当然の事だ。部屋の隅には銀髪の男が壁にもたれて立っているのも見える。警戒されている事は、回らない頭でもすぐに分かった。
傷だらけの身体をベッドから身を起こさないまま、静かに視線を返したサヤにモモコは告げる。
「貴方を雇います」
返事はしなかった。反応が無い事を意に介した様子もなく、彼女は話を続ける。
「貴方レベルの傭兵の相場がどの程度かは分かりませんが、そうですね、前金はこの辺りで如何でしょう」
そっと掲げられた指は三本で、サヤは僅かに目を細めた。その動作をどう受け取ったのか、離れた場所にいたノワールが顔をしかめて口を開く。
「それはマナの分の依頼料でもある」
「──」
「既に交わされた契約をたかが子供の約束事だと無下にするほど、私は短慮ではない」
ひとつ鼻を鳴らしてそれきりノワールは沈黙する。もう喋る気もないというようにそっぽを向く彼の言葉はモモコが引き継いだ。
「先にマナちゃんから依頼された通りの事と、私達のギルドへの再加入と探索参加が依頼の内容です。司令部の許可は下りています。逆に言えば、貴方には私達と契約を結ぶ以外の道は無い」
それも承知の上だ。"『スターゲイザー』のサヤ"が裏切った事は司令部にも知られている。所属していたギルド……ひいてはマギニアを欺いて敵対勢力へ渡った者を、普通ならばこうして街まで連れ帰って治療を施す筈がない。
許されたのは、今この場においてサヤが生き残る術はひとつしか無いからだ。そしてこの場にいる三人全員が、それをよく理解している。それでも尚淡々と、モモコは"交渉"を続ける。
「給与は固定か歩合か……ギルドの収入は素材の額に左右されるので、こちらとしては歩合制を望みますが」
「…………、半分だ」
掠れた返答にモモコの瞳がすっと細まった。口腔内に僅かに滲む血の味を感じながら、サヤは重い舌を動かす。
「前金は半分。報酬は後払い、その時に払える金額を頂ければそれで良い」
「……随分と破格の条件ですね。何か目論見でも?」
「報酬の大半は既に支払われている」
言いながら、彼はゆっくりと身を起こす。覚束なく揺れる背中をモモコがそっと支えた。病衣の下、きつく巻かれた包帯を見下ろしてサヤは呟く。
「助けられた分は働いて返そう。尤も、私の命にどれだけの価値があるかは分からないが」
「やっほ。某、冒険者復帰するから。色々迷惑かけたな!」
と、病室のドアを開けた瞬間に飛んできた明るい声に、エノクは思わず面食らってはあ、と情けない返事を漏らした。隣にいたチエリも唖然とした表情を浮かべている。ただ一人、後ろに着いてきていたヘンリエッタだけは眉間のシワをますます深くして黙り込んだ。
三人の様子を見たサヤは、ベッドの上であれっと首を傾げる。
「ん……? 間違えた、もう少し神妙に行くべきだったか。出戻りの経験が無いからイマイチ分からないんだよな」
「は、はあ……」
「まあ、改めてよろしく~。こんな怪我だし暫くは療養しなきゃだけど」
そう言って呑気な表情で手を振るサヤを少々不気味なものを見るような目で眺めていたエノクに、モモコが声をかける。
「私はギルドで諸々の手続きをしてきます。エノク君もあまり出歩かず、ちゃんと休んでいてくださいね」
幾つかの書類を手に颯爽と部屋を出ていくモモコを見送れば、狭い病室には沈黙が下りる。エノクは傍らのチエリに視線をやった。が、チエリの黄緑色の目は一向にエノクの方を向こうとしない。畜生、この子僕に丸投げするつもりだ。
何を話すべきなのか。こう、離反している時に何をしていたかとか、訊くべきだろうか。しかしそれはだいぶ気まずいのでは……とエノクが思案している間に、後ろでじっとしていたヘンリエッタが急に動き出した。つかつかとベッドに近寄り、彼女はサヤを見下ろす。見下ろされた男は睨むような視線に軽い笑みで応えた。
「よ、ヘンリエッタ。無事で何より」
「今度こそ答えろ」
「……あの時の質問の話か?」
サヤは困ったように苦笑し、ふと息を吐くと目を伏せた。
「まったく分からん。分からんから戻ってきた。それじゃ駄目か」
「別に良い。分かろうとする気があるならな」
「……そうか。じゃあ、マギニアを降りるまでには考えておくとするかなー。お主の望んだ答えじゃなくても怒るなよ」
「もしそんな答えが出たなら、悪いのはお前じゃなくて私達だ」
サヤが閉口してヘンリエッタを見つめる。彼女は赤い瞳を一度ぐっと閉じ、長い息を吐き出した。
「方陣……食らわせて悪かった」
それだけ呟くと、ヘンリエッタは踵を返して立ち去っていく。呼び止めるのも聞かず扉の向こうへ消えた背中を見送り、エノクは困惑しつつその場に立ち尽くした。サヤを見てみれば、彼は苦笑しながら肩を竦める。
再び静まり返った空間で、やりとりを静観していたチエリがふと着物の懐を探った。しばしごそごそやっていた彼女だったが、やがて取り出したカードの束を二人に見せて言う。
「暇だしババ抜きでもやる?」
◆
礼を言って去っていく患者を見送り、ひとつ息を吐いて診察室から出たマリアンヌは廊下の奥に佇む影を視界に捉えてぎょっと目を剥いた。ちょうど暗がりになっている場所に隠れるようにして、ヘンリエッタがじっと佇んでいる。
「ヘティ……そんな所にいて、どうしたんだい?」
「……さっきの患者、あの兵士の嫁か」
問い返された言葉にひとつ頷く。救護テントで言葉を交わした顔見知りの衛兵の、身重の妻だ。検診ついでに夫の事で礼を言いに来たと言っていた。兵士自身はここより大きい病院に運ばれて未だ療養中だが、無事石化も解けて今日明日にでも仕事に復帰できるという話だ。
「礼を言われても、私が何かした訳じゃないんだけどね。……で、どうしたんだそんな所で」
「…………」
再度問われ、ヘンリエッタは顔をしかめて視線を泳がせた。何度か口を開いては閉じ、やがてぽつりと溢す。
「私は人間同士の争いは嫌いだ」
「……知ってるよ」
「でもあいつらが戦うって言うんなら、私も力になりたいと思った。……やりたい事が、できた。私は回復くらいしかできないし、方陣もまだ全然だが……少しは……何か、変えられたんじゃないかと……思う」
ぽつりぽつりと、ゆっくり言葉を選んで呟くヘンリエッタの声に、マリアンヌは静かに耳を澄ませる。小さくとも芯のある声だった。まるで見違えたようだ。戦争で何もかも失い、部屋に閉じ籠ってうちひしがれるばかりだったあの頃とは。
「だからお前には……感謝してる。私をいちばん初めに救ったのは、お前だから、……」
ヘンリエッタの声は次第にか細くなり、ついに言いきる前に口をつぐんで俯いてしまう。その表情があまりにも頼りなげな、まるで叱られる直前の子供のそれのようだったものだから、マリアンヌは堪えきれずに思わず吹き出した。くくく、と笑う彼女を見てヘンリエッタの眉間のシワがこれ以上ないほど寄る。
「何がおかしい」
「いや、違うんだ。……お前がそう言えるようになったなら、私も間違ってはいなかったって事かな」
「……勝手に冒険者にされたのは許してないぞ」
「あれも今考えるとだいぶ荒療治だったね! でも……結果的には良かっただろう」
「…………」
押し黙るヘンリエッタの肩を叩き、すれ違いざまにマリアンヌは笑う。
「あんな戦争があって、医者を辞めようと思った事もあったけど。……こうしてお前が救われてくれたなら、もう少し頑張ってみようと思えるよ」
「そうしろ。お前が辞めると色んなやつが困る」
「お前もかい?」
「……そうだ」
からかうような問いに対して返ってきた答えに、マリアンヌの青い目が丸くなった。驚く彼女を置き、ヘンリエッタはふんと鼻を鳴らして去っていく。その足取りに迷いは無かった。
二日後。未だ傷の癒えないサヤに見送られながら、『スターゲイザー』はマギニアを後にする。向かう先は最後の遺跡、第十二迷宮・極北ノ霊堂。
その最奥で男は待っている。操り人形の姫君を従えて、地の底で眠る蛇を目覚めさせるその時を。
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