【SQX】13-1 その剣で何を守るか

 昔、昔のお話です。

 滅びかけた世界の片隅に、レムリアという島がありました。レムリアは世界最後の楽園でした。その偉大な科学力でもって、地球を覆う滅びを退けたためです。『世界樹』に守られた島で、レムリアの民は平和に暮らしていました。

 けれどある時、事件が起こります。船に乗って滅びから逃げてきた人々が、島へと一斉に押しかけてきたのです。何千、何万の人が助けを求めていましたが、レムリアの民にもそれだけの人を救う力はありませんでした。

 避難を断られた人々は、武力でレムリアの土地を奪おうとしました。レムリア王はこの危機を乗り切るため、民と土地を守るための兵器を作らせました。レムリアの敵を討つ、最強の兵器です。

 兵器の力で、難民たちの多くが海に消えました。

 レムリアの危機は去りました。けれど、兵器はその時既におかしくなっていました。島にやって来る者を消し去るだけでなく、ついには自ら大陸へ赴いて戦いを始めるようになったのです。もう誰にも、兵器を止める事はできませんでした。

 人々が戸惑い嘆く中、ひとり立ち上がったのが事態を悲しんだレムリアの姫君でした。こんな事はあってはならない。私がこの身をもってあの忌まわしき兵器を封じましょう。

 姫の尊い犠牲により、兵器は眠りにつきました。けれどそれも一時の眠り。彼は今も、世界樹の根本で目覚めの時を待っているのです。

 口にするもおぞましい、その兵器の名は──"世界蛇"ヨルムンガンド。


   ◆


 自ら人柱となり、ヨルムンガンドを封印する。そう言い残して単身遺跡の奥へ消えたペルセフォネの言葉に、ミュラー率いるマギニア指令部は従わない決定を下した。離陸準備を取り止め、代わりに発動した新たなミッションは『ヨルムンガンドの撃破』──古代レムリア人が犯した罪の、その清算である。

「こんな大事になるとはなあ……」

 ミッションの詳細が記された書類をつまみ上げながらサヤが言う。扉越しに聞こえる喧騒に耳を澄ましていたチエリが何事かと振り返った。

 ここ最近で立て続けに起こった事件の影響か、湖の貴婦人亭はどこか慌ただしい空気が漂っている。否、この宿だけではない。マギニア全体が、どこかぴりぴりとした緊張感に包まれているのだ。

「しかし出戻りの某にもこんな情報ホイホイ渡しちゃう辺り、ミュラー殿もミュラー殿だな」

「えっまたギルド出ていくつもりなの?」

「いや、そうじゃないけどさ……」

 チエリの問いに肩を竦めて答え、サヤは座っていたベッドから身を乗り出して窓の外を眺める。遠景に見える世界樹の姿は、彼の記憶にあるものとは随分と違っている。

 大樹を取り巻く、紫色の霧。根本に行くにつれ濃さを増すそれは、これまで威厳溢れる佇まいで島々を見下ろしていた世界樹をどこか妖しい姿へ変えてしまっていた。マギニアの学者によれば、あの霧は生物の動きを鈍らせる特殊な成分が含まれているのだという。あれが発生したのもヨルムンガンドが復活したせいなのだろう。

「……もっかい聞くけど、本当に某が入って大丈夫なのか? こんな一大事だぜ。余所と内通してたような奴パーティーに入れて……」

「やけに食い下がりますね」

 ちょうど部屋に戻ってきたモモコが呆れたように言う。アリーくんどうしてた?とチエリが問えば、彼女は無理だけはするなと言ってましたよ、とだけ答えてサヤに向き直る。

「話し合って決めた事です。それとも不満がありますか?」

 重傷を負った状態で保護されたサヤを再びギルドに迎え入れるにあたり、『スターゲイザー』は司令部も交えて話し合いを行った。初めから間者としてマギニアに忍び込んでいたような男を、本当に信用できるのか。議論は紛糾したが、最終的には司令部が折れる形となった。怪しい行動が無いか監視する事、万が一なにかあれば『スターゲイザー』が責任を持って始末をつける事。サヤはその条件の下で自分が生かされている事を既に承知している。

 むしろ、彼は驚いていた。この有事において、そんな緩い条件で自分の存在が認められて良いのか、と。故にこうして本当に良かったのかと繰り返し問いかけているのである。モモコの言葉に頬を掻き、困ったような表情を浮かべてサヤは答える。

「某は不満とかそういうの、元々無いけど……あるだろ、普通は。反発とか」

「無くはないですけど、まあ私はその辺りの折り合いはつけていますよ」

「そもそもさー、サヤさんあっちにいた時なんかキャラ違ったじゃん? だからなんか裏切ったみたいな実感が無くて。どっちが本当のサヤさんなの?」

「困る質問するなあ、お主……」

 本当の某かあ……と真面目に考え始める素振りを見せるサヤを見て、モモコは溜息を吐いた。

「というか、実のところパーティーに入ってもらうしかないんですよね。貴方が目覚めた時点で、クチナさんはどこかへ行ってしまったので」

「まじ? 早すぎるだろ」

「なんか世界樹から出てるモヤモヤが気になるんだって。調べてくるって行っちゃった」

「あの人ほんと自由だな……」

 まったくだというように肩を竦め、モモコは思い出したように問う。

「貴方こそ、傷は大丈夫なんです?」

「それは大丈夫。元々ひとつひとつの傷はそんな深くなかったし、輸血もどうにかなったっぽいし」

「マリアンヌ先生様々だねえ」

「まあ、某は依頼がある限りは死なんさ」

 そう呟き、サヤはもう一度書類に目を落とす。文書に記されたミッション内容は至ってシンプルである。ヨルムンガンドの討伐、そしてペルセフォネ姫の救出。これだけ見れば簡単なようだが、実際には難しいどころの話ではない。ヨルムンガンドは古代レムリアの超技術により生み出された生物兵器だ。封印が解けたばかりで力を取り戻しきっていない──と、推測できる──とはいえ、倒すのは一筋縄ではいかないだろう。それこそ、ペルセフォネにヨルムンガンドの封印を任せてしまった方がよほど簡単だ。

「……けれど、それではやがて破綻する」

 モモコが物憂げに呟く。

「現時点でレムリア王族の末裔はペルセフォネ姫ひとりです。いま彼女を失えば、これから先同じような事が起こっても対処できない。」

「意外だな、モモコ殿。貴殿はチエリ達を危険に晒すのは嫌がると思っていたが」

「嫌ですよ。嫌ですが、先延ばしにされたツケを未来で払うのが、私の子や孫でないとは限らないので」

 サヤとチエリは顔を見合わせた。そういう考えは無かった……という表情を浮かべる二人を呆れた目で見つめ、モモコはもう一度溜息を吐いた。

 ペルセフォネが向かったであろう世界樹の内部──第十三迷宮への突入は、明日の朝から予定されている。第十二迷宮と同様、衛兵隊や複数の冒険者により結成された捜索隊との合同探索である。『スターゲイザー』には以前と同じように、最奥部までの道を切り拓く役割が与えられるだろう。そして、恐らくは作戦の本命……ヨルムンガンド討伐も。

「……こんな冒険者の肩に、世界の命運が載るとは思いもしませんでしたけど」

 ぽつりと呟くモモコの声は沈鬱だ。その視線は窓の向こうの世界樹に向けられているが、彼女の目はレムリアの世界樹よりもどこか遠い場所を映しているように見える。沈黙するモモコと首を傾げるチエリとをしばし見比べ、サヤはひとつ息を吐くと装備に仕込んだ武器の確認に取りかかる。


   ◆


 エノクはマギニア市街地を見下ろす高台で、神妙な顔をして立っていた。彼が何とも言えない目で見ているのは眼下の広場に集まった人々の姿だ。一部マギニア市民と冒険者によって結成されたデモ集団である。彼らはレムリアからの即時離陸を求めて司令部に抗議を行っているのだ。

「仕方のない事だ」

 と、呟くのは転落防止の柵に腰かけた少年である。普段は浮いているのに何故座っているのかと疑問に思ったが、こんな人が多い場所で俺みたいなのがプカプカしてたら騒ぎになるだろ、との事らしい。それは確かにその通りだ。納得して頷くエノクを横目で見やり、少年は話を元に戻す。

「こんな状況だ。今すぐ逃げ出したい奴だっているだろ。このまま大陸に帰ったって、とりあえずの事態は収束するんだからな」

「……でも、それじゃ……」

「立ち向かう勇気も力も無いやつもいる。それも引っくるめて、世界のあるべき形だ」

 彼の言葉にエノクは圧し黙った。確かにそうかもしれないが、自分達がやろうとしている事を遠回しに否定されているようでモヤモヤする。エノクの言わんとしている事を察したのか、少年は若いなあ、と呟いて唇の端をつり上げた。

「俺達がどうにかすれば不満だって消えるだろ。文句を言わせたくないなら、文句が出てこないくらいの成果を挙げればいい」

「簡単に言うけどさ……」

「そんな弱気で姫様が救いに行けるのか?」

「そうやってずるい言い方しないでよ」

 エノクが顔をしかめれば、少年はくすりと笑う。

「まあ、安心しろ。どうあれお前達は生きて帰すさ」

 その言葉にエノクは思わず彼の方を見た。視線に気付いているのかいないのか、じっと眼下の街を見下ろす少年の横顔はどこか憂いを帯びている。どうかしたのか、と問おうとしたエノクの声は背後から聞こえてきた呼びかけに遮られる。

「おい、何してる」

 振り返って見てみれば、そこにいたのはヘンリエッタだ。何やら大きな袋を抱えた彼女はいつもと同じ不機嫌そうな表情で二人の方へ近寄ってくる。よくよく見てみれば袋の中には医薬品や携帯食糧が入っているようだ。

「どうしたの、その荷物」

「マリアンヌに持たされた。こんなに要らんと何度も言ったのに……」

 うんざりしたようにぼやいて傍にあったベンチに荷物を置き、ヘンリエッタはエノクの横に並ぶ。そして二人の視線の先にある人混みを見てふんと鼻を鳴らした。

「マギニアは平和だな。ああやって主張する自由がある」

「……どこの国でもそうじゃないの?」

「私の国では非戦論者は弾圧された」

 少年が眉をひそめ、エノクは視線を彷徨わせる。やってしまった。思わず口をつぐむ二人の姿をヘンリエッタはじろりと睨む。

「何だその反応。人を腫れ物扱いするな」

「ええっと、いや、そういう訳じゃ……」

「あのブロートとかいう奴は馬鹿だ。戦争は苦しいだけで、終わっても平和なんか来ない」

 唐突な言葉にエノクは目を瞬かせた。ヘンリエッタは広場を指さしながら、ひとつひとつ言葉を選ぶようにして続ける。

「マギニアはあんな小競り合いが許されるくらい平和に治まってる。それは姫のお陰でもある。私には政治は分からんが、姫は善い人だ。危険思想の馬鹿の後始末をする必要なんて無いし、先祖の過ちがどうとか、そんな理由で犠牲にはできない。違うか」

「……ううん、合ってるよ」

「だから気にするな。私達は、たぶん、間違ってない」

 そこまで言って言葉を切ったヘンリエッタの、どこかばつの悪そうな表情を見て、ようやくエノクは悟った。彼女は彼女なりに自分を励まそうとしてくれていたのだ。相変わらず不器用ではあるが、仲間になった当初と比べたら随分と分かりやすくなった。エノクはヘンリエッタに笑顔を向ける。

「ありがとう。……頑張ろうね」

 その言葉にヘンリエッタは鼻を鳴らすだけで応えた。やりとりを静かに眺めていた少年が柵からふわりと飛び下りて満足げに告げる。

「宿に戻るか。モモコ達が待ってるだろ」

 二人も頷く。エノクはヘンリエッタが手を伸ばそうとした荷物を先に抱えて歩き出す。数歩後ろをついてくるヘンリエッタの眉間のシワは、いつの間にかすっかり薄くなっていた。

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