【SQX】13-2 遭遇、落下する鋒
レムリア島の中心部──世界樹の地下に広がる巨大な遺跡は、『世界樹ノ迷宮』と名付けられた。侵入者を阻むためのものだろうか、入り組んだ複雑な迷宮はそう簡単には踏破できそうもない。やっとの事で地下三階までは辿り着いたが、勢いに任せて一気に突破……というのは流石に難しそうだ。
今まで描いた地図を整理しつつ、携帯食糧を口に押し込んだエノクが言う。
「姫様は本当にこんな迷宮を一人で進んでるのかな。魔物も強いし、途中でやられちゃうんじゃ……」
「ああ、その話なら……どうやらこの遺跡自体にカラクリがあるようで」
そう応えながらモモコが示したのは遺跡の壁に走る紋様だ。
「衛兵隊に同行していた学者の方からの受け売りですが……何らかの術式のようなものが組まれているらしいですね。恐らく、レムリア王族だけに作用する仕組みになっているのだろう、と」
「あー……王族を守る機構みたいなもん?」
「推測ですけどね」
なるほど、と一同は頷く。四つの霊堂に施されていたように、レムリア王族そのものが鍵となる仕掛け──この場所が封印の神殿であるならば、そんなものがあっても自然に思える。そもそもヨルムンガンド自体がレムリアの民は傷付けないように造られたというのだから、迷宮自体にそういった術式が組み込まれていてもおかしな話ではない。
「……まあ、姫が無事だったとしてだ」
水筒に口をつけて水をがぶ飲みしていたヘンリエッタがうんざりしたように口を開く。
「私達が無事にここを抜けられないと何の意味もないが……」
その言葉に他の四人も溜息で応じた。マギニア冒険者の希望の星『スターゲイザー』は、現在進行形で絶賛迷子中であった。
ひとつ言い訳をすると、自分達がどこにいるか全く分からなくなっているという訳ではない。ちょうど迷路のように入り組んでいる場所を手探りで進んでいる最中に、恐らく本来道があったであろう地点を地図に描き残すのを忘れていたのだ。気付いた時にはどん詰まり、どこに正しい道があったのか思い出す事すらできず、現在は仕方なく通路をひとつひとつ確認しながら来た道を戻っている最中なのである。
「誰だ、ありもしない壁を描いたのは……」
「いやいや、この辺り持ち回りで描いてただろ? どこを誰がやったかなんて覚えてねえよ」
機嫌がもはや一回転しそうなレベルで傾いているヘンリエッタの呟きに、サヤがげんなりとした調子で応える。ヘンリエッタはぐぬぬと唸って圧し黙ったが、黙ったからといって怒りが消える訳ではない。苛立ちを隠しきれない彼女の口許に、チエリがさりげなくチョコレートの欠片を運ぶ。
突然の甘味に眉間のシワが少し薄まったヘンリエッタを横目に見つつ、エノクは上空へと声をかける。
「魔物とかいる?」
「近くには見えないな」
高い位置から辺りを見回していた少年がそう言いながら降下してくる。道が分からなくなったのは災難だったが、魔物にあまり出会わず探索できているのは不幸中の幸いだ。
「どこの道を見落としてたか、上から確かめられない?」
「うーん……迷路がやたら広いし、入り組んでるし……そもそも俺、地図見るの苦手だからな……」
「ダメじゃん」
「不得意なんだよ仕方ないだろ」
エノクの文句に少年は肩を竦めて応える。確かに、不得意な事を無理やり任せて、それで重大なミスが起こりました……なんて事があれば堪ったものではない。上空からの目があれば便利だろうと思ったが、やはり地道にひとつずつ確認していくしかないだろう。
「他にこの辺の地図描いてる冒険者とかがいれば、比較して確認できるんだけどなあ」
「冒険者か……オリバーさんとマルコさん、大丈夫かなあ」
サヤの言葉に、エノクは思い出したように呟く。少し前まで合流して一緒に探索していたオリバーとマルコとは、魔物を掃討してから後を追うと言って別れたきり出会っていない。二人も相当の手練れであるとはいえ、強力な魔物に囲まれた中で別れてしまったのが心配だ。
「あいつらも退き時くらいは心得てるだろう」
熊の時とは違うんだからな──と、チョコレートを食べ終えたヘンリエッタが言う。エノクはひとつ頷いた。心配ではあるが、今は自分達の探索を優先しなければ。相変わらず正しい道はどこにあるのか分からないが。
通路の見落としがないように注意しつつ一度来た道を戻っていく。おばけくん地図読めないの~、とからかいながらつついてきたチエリをつつき返していた少年が、ふと顔を上げた。同時に地図とにらめっこしていたモモコも小さく呟く。
「誰か来ますね」
「足音からみるに単独で軽装。冒険者の誰かだな」
応えるサヤの声はのんびりとしている。モモコも武器を手に取る様子は無い。いったい誰がやって来るのかと身構える一同の目の前に、次第に近づいてくる影が落ちる。
やがて曲がり角の向こうから顔を出したのは、大鎌を担いだ少年だった。白い前髪の下に笑顔を浮かべ、彼は明るい声を上げる。
「ああ、やっぱり『スターゲイザー』だ! 探索は順調ですか?」
「レオ君! 急で悪いけど、地図持ってない!?」
「えっ……ど、どうしたの……?」
詰め寄ってきたエノクの必死の表情に、嬉しそうな表情を浮かべていたレオは一転して目を丸くした。
「……『スターゲイザー』も、そんなミスする事があるんだね」
何故か感心したように呟いたレオに、一同は何とも言えない笑みを浮かべた。そう、『スターゲイザー』でもたまにはミスくらいするのだ。人間だもの。
レオの地図と自分達の地図とを確認し、間違えて描いていた箇所を発見した一行は、気を取り直して迷宮の奥へと向かっていた。当然、レオも同行している。彼は先程まで衛兵達と共に行動していたが、部隊に怪我人が出たため先に拠点へ帰らせたのだという。
「僕は一人で動くのに慣れてるから、少しでも先に進んでおきたいと思って。魔物と戦うのは避けてたけどね」
「そうだったの。また一人で無理してるのかと思っちゃった」
「あはは……流石にもうしないよ」
そう受け答えするレオの表情は第三迷宮で初めて出会った時とはまるで別人のようだ。ミッションに積極的に参加し、時には衛兵隊の指揮に協力する事もある彼は司令部から多大な信頼を得ていると聞く。今さら新しくギルドに入るより、そうして各所を回って手伝いをする方が性に合っているのだろう。それに、パーティーを組まずとも自分には多くの仲間がいる事を、彼はきちんと知っている。
薄暗い遺跡の中を、『スターゲイザー』とレオは連れ立って進んでいく。猛スピードで駆け抜ける三本角のサイをかわし、段差を上り下りし、謎の原理で突き出たりへこんだりする足場で高台を渡り……そろそろフロアの半ばを過ぎた辺りだろうか、というところで一行は足を止めた。今立っている高台のすぐ下に、三本角のサイ……『吶喊する鼎角』がいるのが見える。
「微妙に邪魔だな」
「あの床を使って回り込まないと駄目そうですね」
「それじゃ早く……、……! エノク!!」
サヤの鋭い声にはっと顔を上げ、振り返りざまに盾を構える。物陰から突然飛び出してきたジャッカロープの体当たりを、何とか受け止める──事ができなかった。足下の石畳の、ちょうど欠けた部分に足を取られたエノクは、バランスを崩して高台の下へ落下する。油断なく縄張りを警戒する魔物の、その目の前へと。
「っまず……っ!」
「エノクくん!!」
チエリの叫び声と同時に、侵入者の姿を捉えたサイがぐっと姿勢を低くする。エノクは即座に辺りへ視線を走らせた。高台へ上れる段差は少し離れた場所にある。今から向かっても間に合わない。
魔物が地を蹴って駆け出す。咄嗟に壁に張り付けば、顔の数センチ手前を巨大な角が掠めていった。通路の突き当たりまで突進していったサイは、勢い余って壁に激突したところでようやく足を止めた。あまりの衝撃に迷宮全体が揺れる。とりあえず命だけは助かった……と胸を撫で下ろしたエノクが急いで高台の上へ戻ろうとした、その瞬間だった。
足下から、がらり、と何かが崩れる音がする。
「……えっ?」
寄りかかっていた壁が崩れて大穴が開いたのだ、と気付いたのは、彼の身体が落下し始めた後だった。
唖然とする仲間達の顔が、スローモーションのようにゆっくりと遠ざかる。頭上から聞こえてくる悲鳴のような呼び声を聞きながら、エノクは暗い暗い穴の中へと吸い込まれていく。
少しの間、気を失っていたらしい。エノクが目を覚ました時、辺りに漂う土埃は既に晴れつつあった。痛む全身を何とか動かして身を起こす。視線を上に向ければ、天井に大きな穴が空いているのが見えた。どうやらあの穴を通ってここまで落ちてきたらしい。
「……くーん、エノクくーん!! 聞こえるー!?」
そう呼びかけながら穴の向こう側で手を振っているのはチエリだ。エノクは返事をしようとして大きく咳き込み、仕方なく痛む腕を動かして手を振り返した。チエリの声に安堵の色が混ざる。
「良かったあ、生きてる……!」
「エノク君、聞こえますか。今から至急下り階段を探してそちらに向かいます。獣避けの鈴と食糧は無事ですね?」
モモコの声を聞いてすぐさまバックパックを探り、中身を確認すると腕で大きくマルを作る。手振りだけで伝わるか心配だったが、どうやらきちんとこちらの意図を読み取ってくれたようだ。少し待っていて下さい、という返事の後、数分の間を置いて天井の穴から長い紐が結び付けられた小さな袋が下りてくる。慎重に受け止めて中を見てみれば、入っていたのは幾つかの薬瓶だ。
「それ飲んで安静にしてろ! 絶対動くなよ!!」
と、ヘンリエッタの叫び声。直後に複数の足音が走り去っていくのが聞こえてくる。どうやらモモコの言葉通り、下り階段を探しに行ったようだ。
さて、とエノクは薬の瓶を開けつつ辺りを見回す。状況から考えるとここは迷宮の地下四階だ。はっきりとした理由は分からないが、経年劣化か何かで脆くなっていた部分がサイの突進の衝撃で崩れ、たまたまそこに体重をかけた事で下階に落ちてしまった……といったところだろうか。
しかしいくら数メートルとはいえ、よくもまあ硬い石畳に落下して無事でいられたものだ──そこでふとエノクは思い出す。確か、落ちた時にあの少年も一緒についてきてなかったか?そうだ、そういえば着地した時に、背中や腰の辺りで何か柔らかい物を押し潰した感覚があったような。
慌てて立ち上がって姿を探すが、少年はどこにもいない。エノクはさっと血の気が引くのを感じた。謎の背後霊とはいえいつも一緒にいた存在を潰して消滅させてしまった……この事実はエノクにとっては大変なショックであった。
いや、今はショックを受けている場合ではない。少年がこうして消滅してしまった時、次にいつ現れるかの予測はできないのだ。場合によっては助けがくるまで一人で持ちこたえ続けなければならない。
「……心細いな……」
思わず呟き、はっとして頭を振る。こういう事を口に出すと余計に不安になってしまう。気を強く持たなければ。エノクはぺちぺちと頬を叩くとバックパックから獣避けの鈴を取り出した。この迷宮の魔物は強い。自分一人しかいない今、群れになって襲いかかられでもしたら命は無いだろう。
見通しの良い場所に陣取り、いつでも剣を抜けるようにしつつ壁に寄りかかって待機する。定期的に鈴を鳴らしておく事も忘れない。迷宮での遭難は第三迷宮に引き続き二回目だが、あの時とは状況が大きく異なっている。気を引き締めなければ……。
と、ふとどこからか聞こえてきた重い金属音に、エノクは肩をこわばらせる。
この音には聞き覚えがある。死霊の兵士と呼ばれる騎士のような姿の魔物の足音だ。はっきりとした音の出所は分からないが、近い。獣避けの鈴は魔物を追い払う効果があるが、全ての魔物に効くという訳ではない。音を無視して近付いてくるものも稀に存在するのだ。その"稀"を、いま引き当てたとは思いたくないが。剣の柄に手をかけ、息をひそめる。音の出所は──上?
すぐさま顔を上げる。ちょうど傍にあった高台の上から、ガシャリ、と鎧の擦れる音が響いてくる。気付かれる前にと壁に隠れるように身を屈めた。これで上手く凌げるか。魔物の足音はゆっくりとこちらに近付いてくる。首筋に汗が伝っていくのを感じながらエノクはじっと息を殺す。しばし響いていた足音が、エノクのすぐ頭上近くまでやって来たところで急に止まった。まずい、と直感する。自分を探しているのだ。居場所はまだ気付かれてはいないようだが……。
魔物がしきりに身動ぎしている気配がする。辺りを見回して獲物の姿を探しているのだ。今のうちに先手を取った方が良いだろうか。だが位置が悪い。高所を取られているこの状況では先手を取ったところで太刀打ちできるかどうか。
唇を噛みながらも剣を抜こうとした、その時。
暗い遺跡に落ちた何かの影を、エノクは視界の端に捉えた。突如頭上から落ちてきたその何かは一直線に魔物へと向かい──落下のスピードそのままに、鎧を脳天から刺し貫いた。中身のない鎧が一瞬にして崩れてバラバラになる。近くの石畳に破片が散らばるのを唖然と見ていたエノクは、我に返ると恐る恐る高台の上を覗く。
鎧の残骸の中にはひとつの人影があった。床に食い込んだ大槍を抜き、彼は──緑色のキルトを纏った長い黒髪の男は、ゆっくりとこちらを振り返る。金色の目がエノクを捉え、そのまま何度かぱちぱちと瞬いた。
「……大丈夫か?」
「えっ……あ……」
状況が呑み込めないながらも返事をしようとしたエノクは、そこでやっと思い出す。この男には見覚えがある。そう、確かあれは極北ノ霊堂でエレオノーラと戦い、ブロートの攻撃を受けて気を失う直前──。
動きの止まったエノクに何を思ったのか、男は小首を傾げて言う。
「ああ、うーん。初めまして? ……ええと、俺は怪しい者じゃなくって。お前を助けにきたんだ」
「助けに……?」
「エレオノーラがそうしろって言った」
そう呟き、彼は高台を飛び下りてエノクに向き直った。
「俺はヘヴェル。たぶん『ハイランダー』の、ヘヴェル……改めて、よろしく」
どこか輪郭のぼやけた言葉と共に差し出された右手を、エノクはしばし困惑したように眺め、やがておずおずと握り返した。
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